思い出「就職は、倒産後」
【デニーズ退職】
24歳の時
デニーズを退職した。
退職理由は
毎日15時間労働が過酷で
自分の時間が作れないからだった。
仕事が終われば
帰って寝るだけの生活に
激しくうんざりしていた。
そんな中
溜まりに溜まった不満が爆発して
デニーズを辞める事を決意した!
ムギャァァァァ(# `益´)凸
そして
デニーズを勢いだけで退職し
しばらく疲れを癒す事にした。
この疲れは
凄く酷くて全然疲れが取れず
一か月休んでも体がだるい。
ダルダル~( ・´_・`)
完全に体の疲れが取れるまで
2か月位かかり
その間ずっとぼ~として過ごして
だいぶ楽になってきた。ワオ(:D)┼┤
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【老舗の会社】
俺は
そろそろ働き始めようと思い
職業安定所に行ってみる。
そこでふと目に止まった会社があった。
なんと!
もう香港の「グランデ」に買収され
倒産してしまった「赤井電機」が
従業員を募集していた( ゚Д゚)!
この赤井電機は
日本で初めてカセットテープを開発し
日本で初めて販売した
超老舗の会社だ!
でも
経営が悪化し
2000年に民事再生法を適用されて
香港の「グランデ」社に買収されてしまう。
この赤井電機が募集している仕事内容は
関東圏内に設置されている
赤井電機が独自開発した
英語を学ぶ専用機械のシステムメンテナンス。
俺は
この頃機械やパソコンが好きだったので
この募集を見た時「何だか面白そう」ムフ(*´Д`*)
そう感じて面接に行く事にした。
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【衝撃の告白】
そして面接当日
赤井電機に出向いたら
本当に赤井電機が日本にまだ残っていた!
(´∀`)bグッ
日本に残っていた赤井電機の部門は
「清水機部門」
ここは
利益が黒字だったので
赤井電機として残しておいたそうだ。
俺は
募集していた仕事と何か違うなと感じたが
やる仕事は
どうやら清水機部門じゃないらしい。
募集していた通り
関東圏内の学校に設置されている
赤井電機の独自開発機器のメンテナンス。
更に話を聞いていると
そのシステムは
このCDが主流の時代に
カセットテープのシステムだと言う。
しかも
もう赤井電機が倒産して消滅したから
壊れた時用の部品すら製造してないらしい。
カ¨━━━━( ゚Д゚; )━━━━ンン
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【終わりの時間】
俺は
ならどうやって修理するのか聞いてみた。
答えは
全ての学校の契約期間が
「あと4年間残っているので
その間を残りの部品で持たせるのだ( ゚Д゚)!」
そう返答をされてしまい
なんかこの仕事に対して
猛烈に嫌な予感がしてきた。
このメンテナンス期間が終わった4年後
そのあとの仕事は
どうなるのかも聞いてみた。
返答は
「ない!契約期間終了じゃ!」
そう返答された。
ナニィィィィィィィィィィィ(*`ロ´*ノ)ノ
しかし俺は
この仕事をやる事にした。
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【気楽な条件】
この悪条件でもやろうと思った理由は
永遠に同じ状況が続かず
終わりがある仕事だったからだ。
普通退職が決まっている仕事なんて
みんなやりたがらない。
でも俺には
これが最高の環境でもあった。
その理由は
1つの場所にずっといると
俺の悪い所をたくさん発見され
結果いつも嫌われてしまう。
そうなると
その場所にいられなくなり
その場所から逃げる様に消えないとならない
そんな思いをずっとしてきた。
だから終わりがある
そんな仕事が凄く気が楽だと解っていた。
そして面接が終わり
数日後
採用通知が来た。
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【貴重な体験】
俺は
この終わりがきちんと設定されている
この仕事が出来る事に喜んだ。
(´∀`*)ウフフッ
そして仕事始めの日
会社に行き仕事内容を聞いたら
「車1台で関東圏内全て回り
日帰りで完了する」という事だった。
最初は
先輩の付き添いで仕事を始めた。
訪問する学校は
1年間で150か所もあり
中には
2回訪問しないといけない学校まである。
しかし訪問する学校を見てみると
女子高や女子大が大半を占めていた。
俺は
男子禁制の女子高に入れる
こんな珍しい体験ができるなんて
凄く貴重に思えて感動した!|ョ´゚∀゚`)hehehe…
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【実感】
その訪問する学校の中には
超高学歴高校もたくさんあった。
「東洋英和女学院」
「聖心女子学院」
「駒沢学園女子高等学校」
など凄い学校がある。
そしてこの学校を訪問したら
校門で厳重な身元チェックをされ
学校内も先生付き添いでないと
メンテナンス場所まで行けなかった。
この厳重なセキュリティーは
どの学校でも同じで
ゴキブリ1匹入れさせない厳しさだ。
🐛(((((゚д゚; )))))
そして
システムが置いてある英語教室に入り
全ての動作チェックをして
壊れている物を修理する。
この修理の仕方が
出来るだけ変えの部品を使わず
木材や針金やプラバンで工作して
直す方法だった。
こんな効率悪い直し方をしないと
修理できない現状をみて
「これが倒産した会社の末路か」と
実感した。(゚´ω`゚)
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【日替わり作業場】
この修理とメンテナンスは
早ければ1時間30分位で終わる。
そして次の学校に向かい
また同じ事をする。
学校訪問は
1日に1~4件まわり
仕事が終わると現地で解散するので
そこから電車で帰らないとならない。
そして家に到着するのが
いつも夜8時ごろになっていた。
あぁぁ(*´Д`)
出勤場所も
訪問する学校の現地で待ち合わせするので
1~2時間位かかり
しかも毎回違う場所。
おかげで
関東圏内の電車の経路が
凄く詳しくなった。
しかし
やっぱり赤井の教材システムの
カセットテープと言う古さが
この仕事の最大の欠点だ。
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【時代の変化】
そもそもカセットテープなんて
1980年代の物であり
2000年代にこんな骨董品がある事が
非常に気に入らない。( *`Д')凸
きっと凄く昔に
時代の変化なんて考えず
開発したのだろう。
こんな考えじゃ
確かに赤井電機は
倒産すると実感してしまった。
中には
修理が出来ないような物もあり
それは
カセットデッキ丸ごと交換する。
そして
工場に持って行き
我々が時間をかけて修理する。
でも
基盤が壊れている時なんて最悪だった。
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【発狂現場】
今のような複雑な基盤じゃないので
電気が流れていな場所を機械で探していき
発見したら半田付けしていく
そんな原始的な作業を強いられていた。
更に
訪問場所で一番遠い場所が
静岡の先の掛川と言う所にある
「東洋英和女学院大学」
ここに行くのに
片道4時間かかり
日帰りで帰ってこないとならない。
かなり過酷な道のりだった。
うあぁぁぁヽ(゚Д゚; )ノ )
俺は
こんな会社で4年間も働けるか
非常に不安になり
早速幻滅した。
しかし入社したからには
やらないとならない責任感がわき
何度も発狂しながら
死線を渡り続けて続けて行った。
ギャァァァァァァー!∑(゚Д゚ノ)ノ
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