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チャレンジとは(右膝半月板手術から復帰までの一年間を市民ランナーが4,800字超で振り返る)

こんにちは、48歳の市民ランナーです。
会社では走るCEOで通っています。

このnoteでは、右膝半月板手術からリハビリを経て復帰するまでの一年間の過程を振り返り「どんな状況で、どんなことを考え、どんなことをやってきたのか」を書いていきます。いま怪我をしている方、あるいはビジネスやスポーツで困難を目の前にしていてこのnoteに辿り着いた方たちへ、何らかのヒントとなれば幸いです。この経験を通して私が感じた「チャレンジとは」についても触れていきます。

まずは前段の予備知識から(ご存知の方は1.2は読み飛ばして3からでOKです)。

1.半月板損傷とは何なのか、治るのか

私の右膝。真ん中に白い横線。そこが半月版損傷。

・半月板とは簡単に言うと「膝(太ももの骨とスネの骨の間)にある軟骨組織(クッション)」です。文字通り半月の形をしています。損傷すると歩けません。
半月板には血が通っていないため手術しても治癒しません(正確には周辺にわずかに通っていますが、血流がないため損傷した組織が修復、再結成されません)※ここ重要

2.半月板手術とは何なのか、治るのか(よく聞かれる質問)


足の骨=竹馬とイメージしてみてください。

・足の骨=竹馬とイメージします。右の竹にヒビが入り一部分が欠けてしまいました(右膝半月板損傷)。このままで竹馬に乗ったら竹が折れてしまいます。
・修繕します。ヒビが入って欠けてギザギザになった箇所を綺麗に削り取り、さらにそのヒビを硬い糸で強引に縫い付けます(これが手術)。つまり手術=元の状態に戻す、ではなく、手術=修繕です。
・竹にはもちろん血流がないので修復することはありません。
竹馬を使わずに放っておくと腐ってしまう、使いすぎると縫った糸が切れてしまう、だから適度に使う必要がある。
・元の竹馬ではない、だから修繕した竹馬をどう上手く乗りこなすかが大事。

3.半月板手術から復帰までの道のり

手術は無事成功。動かないように完全固定。
入院中に日の光を浴びたくて外に出る。片松葉杖。

手術と入院。

・2023年11月:手術
・2023年12月:入院(約1か月)
・手術→完全固定→リハビリ開始→器具で膝の曲げ伸ばし→歩行器で歩く→両松葉杖→片松葉杖→ヨチヨチ歩き10mぐらいで退院

さあいよいよ本題に入っていきます。
チャレンジが始まります。

病院で何を考え、何をしていたのか?
・個室をとってリモートワークしていました。仕事が出来ないと思われたくなかった。毎日普通にばんばんZOOM会議してました。リーダー集会で社員の皆さんにコメントしている時に担当医師がちょうど回診にきて、病室からの仕事がバレました(笑)。
正直、膝の方は想像よりもはるかに大変、痛いし硬いしでまったく歩けなくて治るイメージが沸かなかった
・そこでノートに一日一ページびっしりと「その日あった出来事、何をしたか、どのぐらい治ったか、何を感じたか」等々を夜寝る前に書くようにしました(普段日記を書くタイプではありません)。日記というよりリハビリノートに近いです。結局、入院中は一日も欠かさず一か月間書き続けました。
・このリハビリノートにより「自分は毎日何かにチャレンジ出来ているんだ、それによって一歩ずつ、いや半歩ずつかもしれないけれど前に進んでいるんだ」と思えるようになりました。特に一週間ぶんぐらい読み返すと、驚くほど前進していることを発見できて前向きになれました。

リハビリについて。

・担当の看護師さんや理学療法士さんがとても良い方で、ストイックに見える私がいたたまれなくなり(笑)、リハビリの相談やアドバイスに乗ってくださいました。そのメニューをたんたんとこなしました。
・毎週水曜日に配信されるランナー仲間のポッドキャスト(サブ3やるまでラジオ)を聞いて気持ちに刺激を入れました。ラジオを聞きながら動ける範囲で筋トレとストレッチしていました。みんなチャレンジしている、自分も頑張ろうと励みになりました
焦ったり羨ましくなったりする自分の気持ちを認めながらも、まずは自分に出来ることを一つずつクリアしていこうと決めました
・ベッドで出来るものとして、膝の曲げ伸ばし、腕立て、腹筋、背筋など上半身を中心に。
・毎朝、休憩室の窓際で朝日を浴びながら、体幹を意識して腕ふりをやりました。
・リハビリ時間以外もリハビリ室に通い、器具を使って上半身のトレーニングに励んでいました。
・やり過ぎない程度に歩いた方が良いとのことだったので、松葉杖でも出来る限り院内を歩いて回りました。

リラックスについて。

・仕事と自主リハビリで意外と忙しかったのですが(笑)、個室だったこともあり合間に音楽を聴きながらコーヒーを炒れて飲んだりと好き勝手に生活していました。エドシーランと大橋トリオがなんとなく気分でした。
・夜はNETFLIXでゴールデンカムイを見ていました。面白かった。なんかはまった。
・病院の朝は早い。とっくの昔にやめていたオンライン英会話NativeCampを一か月間限定で毎朝欠かさずやりました。朝から英語話してなんとなく気分が上がる(笑)。フィリピン人講師の方々に「あなたそこ病室じゃないの?!」とことごとくバレいくのは何でだったんだろう。
・意外とコミュ障な私ですが、看護師さんや、理学療法士さん、スタッフさんにこちらから挨拶をして出来るだけ明るくコミュニケーションを取りました。

ランニング記録。

2024年のランニング記録。

退院後の生活について。まず最初の3か月。

・膝にばかり着目していましたが、恐ろしいほどに一気に筋力が衰えています。これが驚きでもあり苦労した部分でした。
・2024年1月2月:走れない。歩く。早歩き。階段昇降。
・2024年3月:1kmの軽いジョギングからスタート。嬉しかった。
・いきなり走ろうとは思わずに、リハビリで言われていたスクワットやストレッチ等の自宅トレーニングを毎日欠かさずやりました。とてつもなく地味な日々でした。

桜咲くころに公園で1kmラン。

4月~8月のランニング復帰期間。

・少しずつ走れるようになってきましたが、ひたすら家の近所ばかり走っていました。
・ランナーの聖地「大濠公園」に行くことが出来ませんでした。大濠公園ではランナー仲間がたくさん走っている、みんなに会うのが怖かった。正直な気持ちはポジティブではなく楽しい話が出来る気もせず、ここでみんなと会って話しても、すーっと自分のもとを離れていくだろうと。また、みんなに気を遣ってもらうのも気が引けました。
・何事もなかったように復帰してみんなの輪の中に入るのが一番だろうと思っていました。

怪我する前の自分と、怪我した後の自分で変わったこと、変えたこと。

・この辺りから「もう元の自分には戻れない」と明確に認識するようになりました。
・それならば「これを機に前の自分より強くなってやろう」と考え方を切り替えました。
・半月板損傷をした原因は何なのか、再発しないように何を直せばよいのか、何をすれば以前の自分を超えていけるのか、分析して考えるようになりました。
姿勢と筋力、それによるランニングフォーム。これを変えていくことで前の自分を超えていける、いったんそう結論が出ました。
・YouTube等で筋トレ、ヨガ、ピラティスを学び、骨盤の位置を中心とした姿勢矯正、体幹強化、自分の運動神経や体格にあった自然なランニングフォームを研究し、それらをトレーニングに組み込みました
・大変なことはやっていませんが、原則毎日何かしらのトレーニングをして、時々ランニングをして効果を試す、という作業を繰り返し行っていきました。
・周囲から見た自分はほぼ変わっていないだろうけど、確かに変わっていく自分を実感できて、自信に繋がっていきました。

9月。大濠公園に復帰。8月まで支えてくれた友だちと。

9月ランニングクラブに復帰。

・10km走れるようになったのを機に、大濠公園で活動しているランニングクラブに復帰。
・5km太っていた身体もこの頃には元に戻っていたため何食わぬ顔で復帰。しかし仲間とのコミュニケーションの取り方を忘れていて苦労(笑)。優しく話しかけてくれた友だちに感謝。
・復帰後にクラブメンバーで5km競争したら後ろから2番目か3番目でした。なので一番タイムが遅いチームの練習に入っていきました。
自分は怪我する前にしていなかったトレーニングをしている、だから必ず前の自分を超えていける、その気持ちがあったから焦ることはありませんでした

11月。福岡マラソンに出走できた。

11月。福岡マラソンで完走。

・福岡マラソンのスタートラインに立つことを目標にトレーニングを継続。無事にその目標を達成することが出来ました。
・会社で福岡マラソンのスポンサーをしていて社員の大応援団が30km地点に。こちらのプロジェクトの責任者をしていたのでなんとしても30kmまでは辿り着きたいと考えていました。
・結果的に3時間39分で完走(自己ベストは3時間8分)。当初の目標は5~6時間で完走でした。予定よりだいぶ速いタイムで完走できたのは間違いなくトレーニングをしたおかげ。
・定期的に病院の器具で筋力を測っていました。手術していない左足は手術前より手術後の1年後の方が筋力が20%アップ、手術した右足は元の筋力まで戻りました。

30km地点、社員の大応援団。
完走!応援ありがとうございました!

4.チャレンジとは

チャレンジしている方へメッセージ。

チャレンジしている方へメッセージ。
私は昨年の今頃、膝の手術で一ヶ月入院、その後もヨチヨチ歩きからスタートでしたが、地道にトレーニングを積んで、今日、福岡マラソンで完走することが出来ました。
好むと好まざるとに関わらず、昨年は仕事も家庭も個人も大きな変化があり、一時期は後悔ばかりしていました。何故あの時に自分はああしなかったか、だからこうなったのではないかと。
悩み続けていたある日、ふと「復活より創造」という言葉が浮かびました。もう元に戻ることは出来ない、ならば新しいものを創り出すしか選択肢はない。創造することは過去を否定したり捨てたりすることではなく、過去の積み重ねがあって実現するもの。そして創造することで、過去と自分との関係や意味をも変えることが出来ると。
人には頑張れる時もあれば頑張れない時もある。そのことを知りました。チャレンジを目の前にしている方、どうかご自身のペースでいいので歩みを止めないでください。いつかどこかで変化があり、何かが創造されることと思います。
沿道で、また遠くから、たくさんの応援ありがとうございました!全ての応援が力になりました!
福岡マラソンのゴール地点で、私はまたスタートラインに立つことが出来ました。
2024年11月10日 鈴木優輔

※福岡マラソンゴール後のFacebook投稿より再掲

チャレンジとは、

チャレンジとは、
チャレンジは、困難だ。
だからこそ、やりがいがある。
チャレンジで、過去を超える。
チャレンジで、自分の可能性が試されている。
一人では、見られない景色がある。
一人では、辿り着けない未来がある。
だから、仲間のチャレンジを応援する。
チャレンジを共に楽しもう。
Enjoy the Challenges Together.
LINEヤフーコミュニケーションズ

※弊社の福岡マラソン2024の動画よりコピーを抜粋

おまけ(2025年1月)

・2025年1月:手術した右足のふくらはぎをランニング中に痛めました(肉離れ一歩手前)
・原因:手術した膝の周辺の筋肉がどうしても強張って負担がくる。十分な注意をしていてもランニングやトレーニングの疲れが溜まってくる頃。
・全てが順調にいくことはありません。今後は瞬発系のトレーニング、適切な休養を取り入れて、更なる創造を目指します。
・「50歳でサブスリー」(3時間以内でフルマラソンを走ること)が中期目標。三歩進んで二歩下がる、でも一歩進んでるからいいじゃない。

皆さんにとって、チャレンジとは何ですか?

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