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アニメ感想:サマータイムレンダ
ポイ活で入った無料期間U-NEXTで、サマータイムレンダ見ました。
めっちゃ面白かった~~ので感想かいてく。
そもそもあらすじ読んだ時からずっと「これ絶対私好きでしょ~」とおもってはいたのだけど、なんか最近アニメとかドラマとか見続けることができなかったというか…気力持ってかれない?
映画の2時間がギリギリって感じで限界社畜の時は娯楽が映画だけだったんだけど、時間ができると集中して見れて嬉しかった。
一応あらすじはこんな感じ↓
Wikiからひっぱってきた。
アニメだけしか見てないからみんなの名前の漢字見てびっくりした。特にそうくん。笑
いろんな人の感想読んでてずっとまどってだれ?と思ってた。
2018年7月22日。網代慎平は幼馴染・小舟潮の訃報を聞き、葬儀に参列するために2年ぶりに生まれ育った故郷・日都ヶ島(ひとがしま)に戻る。 潮は海の事故で亡くなったと聞いていたが、居合わせた親友の話では潮の死には不可解な点があり、他殺の可能性が浮上する。 その背後に見え隠れするのは、日都ヶ島に昔から伝わる「影」の存在。
『「影」を見た者は死ぬ』──。
翌日、突如として島民一家が姿を消した。
あ、ネタバレゴリゴリしていきますので、あらすじ読んで気になった方はアニメ見てから戻ってきてくださいね。
私が感じたこと、書きたいことをわけると大まかに4つ
・タイムリープものってやっぱり最高だなって話
・自分と同じ存在のコピー人間に関する倫理観の問題の話
・誰もが苦しまない世界を望むことは責められないなって話
・世界観における死の価値観の相違の話
で行こうと思います。
あ、ちなみにキャラの話をすると推しはトキちゃんですね。
開眼トキちゃんとOPの影を操るトキちゃんイケなので好き。
澪は終始男受け~って感じの描かれ方をするからあんまり好きになれなかったんだけど…でも絶対に勝てない相手に当たって砕ける恋をしてる様は灰原哀みを感じるので人気ありそうだなって思いました。
タイムリープものってやっぱり最高だなって話
わたし「ひぐらしのなく頃に」が大好きなんですよ。
これだけで言いたいこと伝わりそうな気がするんだけどwwww
閉塞的な島の雰囲気と夏のひと時の話、っていうそこだけでもう~すきかも~ってなってた。
タイムリープものにおける一番の楽しさって、練られた設定と伏線にあると思うんだよね。疑似ミステリーというか。
半端な設定では矛盾がおきる世界観だからこそ、穴がないよう描く必要がある。
そういう緻密さが作品として出やすいから好きになりやすいのかも。
死んで戻ったときに何が確定した事実で何が変えられるのか、
今のターンで分かった事実は何なのか、
を一緒に考えるのが楽しかった。
何度か追いつけなくて一時停止して考えながら見てました。楽しかった。笑
全員と協力しないと打ち破れない、はもうひぐらしの世界から学んでいるので(私が)
ストレスなく次の世界で仲間を味方に巻き込んでいくスピーディーさには舌を巻きました。
理解早すぎない?南雲先生。笑
あと影の記憶のコピー能力有能すぎ。笑
自分と同じ存在のコピー人間に関する倫理観の問題の話
タイムリープしてみんなを救う、という王道ヒーロー物語の中にもう一つ「影」って存在が色々考えさせられるな~なんて思いました。
そもそものエンディングについて私の初見の感想は、「え、こわ」だったんですよね。
ハッピーエンドってなにをもって、
誰の視点でハッピーエンドなのかって前提決めとかないと変わるかなって思うんですけど
多分私はあの瞬間、オリジナルの潮の気持ちになっちゃったんですよね。
単純に文字で「ただいま」が出て、タイトルが出てきた演出がすごく怖かったからそう感じたのかもしれないんだけど…
影ウシオも潮に間違いはないんでしょう、それは本人も言っていた。
でも別の個体であることもまた事実で。
澪と影ミオはわかりやすく違いを明確に変えてくれていた。
でも潮はそうじゃなかった。
だからこそぱっと見、「よかったね、みんな生きてて、しかも慎平も「うしお」と会えてハッピーエンドだね」にみえるけど。
結局今までの記憶が上書きされた時点で、オリジナル潮は死んだも同然で、
慎平が好きになり、選んだのは影のほうだったのか、と。
なんかそれって、どうなんだろうと…思って…
オリジナル潮に思いを馳せてしまったのでした。
つい最近も人間じゃなくて自分がコピーのほうだったと気づくゲームをやったんだけれども(こういうのって設定そのものがネタバレだったりするから迂闊に言えない…)
やっぱりどんな物語の中でも、生まれてしまった個体はもう「人」であることは間違いなくて。
何をもって私は私であると証明するのかっていう哲学的なところまでいっちゃうな、って思う。
影ミオみたく、記憶が一緒でも人格に相違がでてくればわかりやすく別個体だと認識できて「まったく同じ」ではないよねってなるけど、
じゃあどっちかには消えてもらわなくちゃってなったときに、違いがあれば余計に別人なんだから消える必要はあるのか?って問いにぶつかる気もする。
じゃあ人を人とみなすのは記憶でもないのかな。
人格?人格ってなんだろう。
あーーーーアニメ感想からめちゃくちゃずれてしまった。
そもそも25話までの流れからして、影ウシオは消えてしまうんだろうなって流れではあった。
それでもみんなを救うが二人の意思だったんだと思うし。
で、いざヒルコ様が来なかった世界に移動出来て
影に殺されていた慎平の親も生きていて、
影に殺されていた潮も生きている。
やっぱり、オリジナルの潮だけがいない世界なんだろうな、あれは。
きついけど…慎平と命を懸けて戦ったのは影ウシオだもんな…
おおおーーーん複雑!笑
誰もが苦しまない世界を望むことは責められないなって話
ストーリーの中で誰かに焦点を当てるとしたら、私は菱形青銅かなーと。
自分の妻を影にしてもらって一緒に生きるため、自分も家族も影になって苦しむことのない世界にいくために本物の家族(窓)を裏切り、また朱鷺子を使役しシデに協力している人物。
もちろん窓やトキちゃんの立場で考えればクズの一言、最低の父親だと思う。
つーか影ミオだったとはいえ娘撃ってるもんな…普通に最低だな…
でも最愛の人を亡くしたときに、彼の世界は終わったんだろうなと。
彼にとってはわが子よりも愛した人が大事だったんだなって思った。
そして嘘であっても、影の世界に行けるのであればそれは救いだと感じてしまうのは人間の持つ一番弱い部分じゃないかなっておもう。
こういう全部なくして誰も苦しまない世界を望む人って、死ぬほど苦しい思いをして絶望した人達なんじゃないかなと思う。
別作品でいうとワンピースのウタとか、最近やったP5Rの丸喜先生とか。
物語ってその人に起きたことがわかれば理解できたり、寄り添えたりすることもある。
これって現実の人間関係においてもきっとそうなんだろうなって思う。
一方からみたら身勝手でも何か理由があるかもしれない。
そう考えるだけで世界は優しくなるかもしれない。
でもまあ、そのうえで間違ったことは間違ってるって言える関係性が一番大事なんだろうけど。
結局はコミュニケーションか…
私は絶望に寄り添うだけで、希望を持って相手をすくい上げる力はないなぁと思う。
青銅が窓には言わなかった理由とかも考えるとなぁ…
窓にはできないと思ったっていうのは
優しくまっすぐでそれは間違っているといわれることが分かっていたからだろうか。
伝えられた朱鷺子の気持ちもそれはそれで、って感じよな。
なぜ兄は知らずにのうのうと生きているのだろうってなるよな…
でもそれはそれとして、
兄は知らない地下の扉とかぐいぐい開けてく、仲間にしたときの心強さたるやトキちゃんは最高だったわ。
世界観における死の価値観の相違の話
菱形家の母のように
死んだ者は戻らない、だから影であっても会いたい。
そういった普通の「死」という概念もある中で
自分には戻れる力があるから、軽率に死ぬ
という行動も描かれる。
でも戻れる力があることで慎平にとってはそれは「死」ではないってことだから
同じ意味の重さの死ではないってことで。
前提とか、設定とかそういうので全然変わる命の重み。
ドラゴンボールがあれば生き返る世界もあるしなー
死ぬ気でやれ死なないからって言葉が私にはよくわからない。
私は幸運なことに死が身近にないから、死ぬことの怖さとかそれは一番いやなことで避けるべきことであるっていう認識がないかもしれない。
死ぬより辛いことがあるっても思うし。
何がいいたいのかっていうと…
物語の世界観によっても
人それぞれの価値観によっても
死の定義というか重さっていうかそういうのは変わってくる。
結局何事も捉え方ひとつでしかないんだろうと思う。
シリアスな世界で崖から落ちるのとギャグアニメの世界で崖から落ちるのでは重さが違う。(意味も多分違うけど)
人生生きる上で難しくとらえすぎず、
ギャグアニメの世界観くらいの認識で恐れず挑戦できたらいいのにって思う。
色々難しいこと考えたけど
サマータイムレンダで得られるメッセージはやっぱり、
あきらめずに考え続けて挑戦し続けて納得した未来をつかみ取れってことかなとも思う。
とにかく面白かったです!!!!
みてよかった!!!
話ズレまくったけど
読んでくれた人がいたらありがとうございます!