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往生際の悪さと日々の鍛錬


往生際の悪さだけは一人前。
努力も好きなことの熱量も才能も学識も全くもって大したことはないのだけれど、なぜにこうもアラフィフにも関わらず、大きな夢が捨てられないのか。

少しでも知性を磨きたいし、少しでもうまく踊りたい。自らの思考と身体で人を感動させたい、自分自身の身振り、手振り、思考、痙攣、躓き、焦り、怒り、祈り、全部の生のエネルギーが、言葉となり踊りとなり、誰かの心に深く届いてほしい……

そんな往生際の悪さからか、日頃の無理がたたり、凄まじい首と肩の痛みによく襲われる。そろそろ全部やめて楽になれ、というメッセージなのか、今のやり方じゃダメだ、違うやり方をしろ、という予兆なのか、方向性が反対だ、もうやめろというお告げなのか。。。

何かがうまくいっていない。

こんな老いと迷いと泥沼での暗中模索でも、誰かの気づきや成長を促したり、やる気や元気を引き出したりする何かが、生まれてきてくれるのだろうか。

ヴァレリーの錯綜体、l’implexe、この謎めいた概念。曰く、すべての潜在的可能性、能力、感性、行動の可能性を指し示す何か。そこから偶然の作用で、作品が生まれ、言葉が生まれ、音楽が生まれ、身体の所作が産まれる。自分の脳ー身体の可能性。潜在性。頼むから少しでもマシな出力が出せますようにと祈りつつ、論文を書き、練習する毎日。

弱い弱い自分をなんとか支える知性の言葉。あっという間に、身体的痛みや情念やら欲求やらに飲み込まれてしまう、弱い弱い心の声。そんな心の声を電池切れの拡声器を使って自分に言い聞かせる日々。

自由の舞踏への道のりは、なんとまだ遠いことか。

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