西周、「アルファベットを公用語に」言文一致のドラマと正しい日本語


明治維新の際に、英語を公用語にしよう、とする無茶な試みがあった。聞きかじっていただけで、碌でもない素っ頓狂な考えだなあ、アホや、という感想しか持っていなかった。ひよんなことから原文にあたってみて、なんと自分は浅はかであったと反省。

日本の哲学の父、西周はとても優秀であった。今読んでも、当時こんなことまで考えていたのか、とビビるのである。森有礼らと共に『明六雑誌』で英語公用語論を展開する。西周の場合は正確には平仮名、漢字ではなく、ローマ字で日本語を書く、という立場を取った。愚鈍極まりない、日本の民衆を啓蒙するための『明六雑誌』創刊号にて、西は「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」を発表している。

まあこんな感じで紹介すると、なんとイケスかない欧化主義者、オランダに3年留学したくらいで、何を血迷ったことを、と思う人もいるかもしれない。しかしながら、当時の圧倒的な西洋文明のパワーを肌で感じて、日本人のヤバさ、危機意識のなさ、アホさ加減を身に染みて知った上で、真摯に考えて出てきたのが、ローマ字を日本語の書記システムに組み込む、ということだった。

西周は日本語のシステムをそう簡単に変えられないことを知っている。言語はその土地の慣習、風土、文化に深く根ざしているのである。そして日本語の出自、漢文、中国語を取り入れて、カナ文字と混在させる謎の日本語システムの性質をよく理解している。自前のひらがなだけではなく、漢字というあからさまな外国語の書記システムを使い続けた日本文化であれば、模範とするところが中国から西欧に変わるなら、ローマ字という書記システムを日本語につっつこんでもよかろう、と言う、至極真っ当な議論である。

実際、西は奈良時代から明治までの日本語の変遷を理解していて、そらがいかにめちゃくちゃなものかを力説する。時代ごとに、当時の中国語をもでるにしつつ、日本でガラパゴス的な発展を遂げていることに意識的なのだ。正しい日本語は、外国語と話し言葉をめちゃくちゃに混ぜた謎の混ぜご飯なのである。

そして、当時問題になっていた言文一致問題。謎の発展を遂げた日本語は、書き言葉と話し言葉が、独特の形でえらく乖離してしまったわけだが、これは明治維新の、際に大問題となる。そこで、この言文一致を推し進めるのに、ローマ字を使って日本語を書いて仕舞えば一石二鳥どころか、10もの利点がある、と西は主張する。挙げ句の果てに、これを実現するための資金繰りまで考えているオーガナイザーであったりする。日本語というハイブリッド言語、そしてこの言語を使って考えること、これは実はかなりとてつもないことなんだなと実感する。カオスな装置としての日本語、謎の国際語としての日本語の潜在能力。。。

結局西の主張は通らなかったわけだが、パソコンでローマ字を使って日本語を書いている今、この状況を西周に見せてみたいものである。酒席で「貴方はこの状況をどう考えまするか候うベイベー?」とか言ってみたら笑ってくれるかな。

今大学でレポート添削しつつ、正しい日本語を教えているわけだが、正しい日本語なぞ、こんなものたと奉る次第にて侍りまするなり🤣
しまった。僕の大学のゼミ生には読ませてはいけない記事である🤣

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