2種類の人間と火星の轍
8月の「こころの時代」では「ヴィクトール・フランクル」の連続特集でとても良かった。記憶に残っている時期に図書館で勝田茅生さんのテキストを借りて読みましたが、とても良い特集だったなと改めて感じます。
その中に、こういう箇所が。
この地上には二種類の人間がいます。それも、品格のあるしっかりした「人間」か、またはそうでない「人間」か、この二種類だけなのです。そしてこの「二種類の人間」は両方とも一般的に広まっていて、どんなグループにも入り込み、至るところに浸透しています。
つまり、どんなグループでも、品格のあるしっかりした人間だけで成り立っているということはないし、あるいは、しっかりしていない人間だけで成り立っているということもないのです。
(中略)
私たちは、おそらくかつてどんな世代の人たちも知らなかったような人間を知るようになりました。ではそれは一体どんな人間なのでしょう?その人間というのは、どんなときでも自分のあり方を自分で決める生き物です。人間はガス室を発明した生き物でもあり、また同時に、しっかりと背筋を伸ばして祈りを口にしながらガス室に入っていった生き物でもあるのです。
そうです、どちらの人間になりたいのか?そのことが何より大事でしょう。
先々週のNHK「宙わたる教室」は「オポチュニティの轍」でした。このタイトルは火星探査車のオポチュニティにちなむもの。
わたしは伊与原新さんの作品は好きで、以前ラジオの朗読で聞いた「月まで3キロ」で知り、即本を手に取りました。それからは、氏の本の愛読者のひとりです。もちろろんこの「宙わたる教室」も読んでいましたが、ドラマもなかなか良いです。
この本にヴィクトール・フランクルが気に入っていた詩が紹介されています。
輝く日々ー
それが過ぎ去ったことを泣くのはやめよう
その代わり、かつてそれがあったことを思い出して微笑もう
オポチュニティの轍ですね。
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