近所のY字路の記憶から
先日から読んで大変興味深かったのがこちらの本「時をかける台湾Y字路 記憶のワンダーランドへようこそ」栖来ひかり著です。「台湾」について書いた時に少し紹介しましたね。このサイトから立ち読みが出来るのでY字路に行ってみてください。
台北という大都会でのY字路だから歴史的にもとても面白いことがわかる。
以前メキシコシティーに行った時、この町はアステカのテノチティトランという都の上にスペイン人が入り、都を壊した上に今のメキシコシティーを建てたから、ソカロという中央広場の大聖堂の下にはアステカの中央神殿が埋まっていたと聞いてびっくりした。
街というのは時代の上に時代がのっているのだ、過去と現在は繋がりがないようで、実はコインの裏と表みたいに、表の顔に裏の顔が引っ付いているとしみじみ思ったものだ。栖来市の本のあとがきにこうあり、とても良い比喩だと思う。
「私にとって、台湾のY字路は馳走のように重なった履歴の断面図である。たとえてみれば、台湾というミルクレープをY字型に切り出したら、内側からは古く原住民族が暮らしていた時代から、大航海時代、清朝の時代、日本時代、そして戦後の国民党独裁時代、民主化された現代といったレイヤーがクレープ生地や生クリームとなっていく絵も見てくる。」
私は広島の平和公園のすぐ西側で生まれ育ったが、戦後両親がこの場所に居を構えたので、その前の持ち主とは直接関係はないが、今振り返ると色々なご縁で繋がっていることがわかるし、この土地から立ち上ってくる何かが私を私たらしめているようにも思うのである。
その中心部には自宅兼会社があったが、手狭になり小学校の中学年からは、西の山側にある己斐というところに自宅は移った。車だと10分程度の距離だが、そこは昭和40年代初めだから新興団地の中でも比較的先に開発された団地で、その後続々と周囲に団地が造成されたのを記憶している。
実はY字路の本を読んで、そういえば家の近くにY字路があるなと思い出した。地図の赤丸がついている所がタイトル写真のY字路です。
栖来さんの本だと、台湾は昔、川だったり、それが埋め立てられ道になったり、暗渠になりその上に道が出来たりしてY字路となったケースが多いようだが、この赤丸の場所は今でもはっきり覚えているが、違う理由がある。
それは地形図でもわかるがこのラインであります。もともと赤いラインより左側が古い団地で、赤いラインより右側は少し落ち込んだ谷筋だった。赤いラインの左上の尾根から右下にかけてハッキリと傾斜がわかる。赤いラインより右側は新しく造成された団地になるわけです。
では今団地のあるこの谷筋はどのくらいあったかというと、地図の左上部の地形の形、等高線から、赤と青の線の間が谷筋だったことがわかります。
この谷筋を埋め立てて、新しい団地を造成していたのを記憶しているのは、当時小学生だった頃に、この造成地は工事中で遊べない区域だったのを覚えているからだ。
で、赤と青の線の右端のそれぞれ突端を結ぶライン(法面の上部と下部)と下の道とは高さが20m位違う。一気に落ち込んでいるが、それは膨大な盛り土でその谷を埋め立てたからです。
実はここには己斐断層という活断層がある。この活断層が走っている場所はボーリング調査で確定している。どこかと言えば赤と青の線の左端を結んだ線あたりに走っているのが分かっている。
つまり何が問題かと言えば、活断層による地震は、その真上に影響を及ぼすが、不幸なことにこの活断層の上には膨大な量の盛り土があるということなのだな。活断層と豪雨被害は別だが、熱海の土石流災害を想起させる。
ちなみに広島市の土砂災害ハザードマップでは、先ほどの法面部分は土砂災害特別警戒区域に指定されているし、赤と青のラインの間は土砂災害警戒区域である。
このところの豪雨をきっかけとする土砂災害から、梅雨や台風に気を向けがちだが、このハザードマップは豪雨だけでなく活断層の場合も同様に被害が生まれることを示している。
家の近所のY字路はその過去の風景を思い起こさせてくれるのだ。