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亀嵩、木次線、出雲弁

嵩という字を見ると、昔一緒に働いた方を思い出します。名前が「嵩」(たかし)でした。それまで嵩という字は「かさ」としか読んでなかったので、なるほど「たかし」もあるのかと印象に残っています。

その「嵩」を久しぶりに見たのは地元紙のコラムでした。
コラム欄に木次線に関わる連載をやっていました。

「村田英治」さん。面白そうなので「『砂の器』と木次線」を図書館で借りましたが、掘り出し物(失礼)、秀逸でした。

まだ2月ですが今年の上期の私のベストブックの一冊に入るでしょう。映画の「砂の器」も素晴らしい映画なのですが、その背景をこういう視点から書かれるとは本当に素晴らしい、もちろん映画も見たくなります。

特に緒形拳の演技、出雲弁を聞きたい。緒方さんは映画の舞台の一つ「三成」の呉服店のお年寄りの家に何晩も飲みに行き、そこで出雲弁を直に習得するのです。

その箇所。

何しに何回も来られたかというと、おじいさんおばあさんは根っからの出雲弁ですが。その勉強に来られた。だけん、私らは、私は出雲生まれだけども、ま、若い者はどうしても、ちょっとふつうの標準語使う感じ、わかってもらうためにね、使うようになりますが。こういうようなふつうの言葉ですから、つまらんていうか。おじいさんおばあさんはもう何言いたってそんな言葉使われんから。(中略)何のことかとか、それはどげかとか、(緒形は)自分もそれを使いながら、アクセントがちょっと、ニュアンスが違うかとか、アクセントが違うかとか聞きながらね、やっとられた。
次の日の朝、撮影が行われる前に、緒形は白い巡査の衣装を着て三成の内田家にわざわぎ立ち寄った。そして、覚えたばかりの出雲弁で安一さんに話しかけ、しばし会話を楽しんでいたという。

ほんとうにいい方だけど、頭のいい人でね(中略)次の日には朝間「おはようございまーす」言いて「ゆうべはだんだん(ありがとう)」とかね、すぐそれでやられますけんね。「ゆうべはだんだん、ごっつおなーましたね(ごちそうさまでした)」なんてこと言ってね。朝来て。やあ、すごいなあ。「やあ、なんだなーてねえ(何にも無くてね)」なんてなこと言いて「お前さん、飲んでばっかおらっしゃったがね」なんて話ですからね、おじいさんとですよ。

木次線沿線のロケに参加した俳優陣の中で、出雲弁を話す役柄を演じるのは、三木謙一役の緒形だけだった。駐在所で本浦父子に事情を聞くシーン、隔離病舎で千代吉を説得するシーンなどで緒形は出雲弁を披露している。
今なら映画やテレビドラマで方言を扱う際は、演出サイドが方言指導の先生を頼んで俳優たちを指導してもらうところだが、この時はそうではなかったようだ。緒形は奥出雲に入ってから、スタッフの助けも借りず、地元の人たちの中にたった一人で飛び込んでいって、膝を交えて生きた出雲弁を実地で学び取ったのである。
生前「自分は演じるために生きている」と語っていた名優、緒形拳の真髄がこの独特のアプローチにも表れている。

ねっ、映画見たくなりますよね。

私も隣県でもあり何度かこの地に行っています。車で行くこともあり、また木次線に乗ってということもあるので、木次線、そしてこの本の空気感がわかります。私はコロナの頃どこにも行けないので、初夏に木次線を含む廃止候補路線の旅Part1を行きました。人があまりいない所という条件にピッタリかと。

その連載にも書きましたが、この木次線も乗り、亀嵩駅のホームで亀嵩の蕎麦弁当(タイトル写真)を求めました。

で、その時蕎麦弁当についてきた亀嵩駅の蕎麦屋さんのリーフレットがこちら、また行きたいです。


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