○○一家の家族会議
先日のNHKの「ETV特集 膨張と忘却~理の人が見た原子力政策~」のことは書きましたが、それからしっかり勉強しようと「吉岡斉」先生の2冊を借りております。
遅ればせながら、今回この本を読んでよかった、もちろん原発だけでなく吉岡氏のいう「官産複合体」から紹介します。氏によると
「日本では、行政機関が政策的意思決定を事実上支配し、国会は行政当局の決定を覆したり、独自の決定を行ったりする能力を欠いていた。政権党は行政当局と利害を異にする場合に政治介入したり、非常時にイニシアチブを発揮したりするが、平時にはおおむね行政当局に権力を委譲してきた。また州政府に大きな権限が付与されていることが多い欧米諸国とは異なり、日本では地方自治体の権限は一般的にいって限定されたものであった。
なお批判的立場の専門家や知識人、あるいは国民一般が政策決定に参加したり、影響を及ぼすことは、きわめて困難だった。批判的立場の人々は政府審議会などの政策に影響を及ぼしうる機構から排除され、国民一般が政策形成に影響を及ぼすための制度も不在だった」(77頁)
とされますが、核の場合はさらに「国策共同体」「核の六面体構造」と手厳しい指摘がありました。この第4章は誠に面白く最後の「エネルギー一家の家族会議」にな頷かされました。そんなエネルギー一家の大番頭です。
なるほど、この本を読むとこの改定の思惑もわかります。
ただ我が国の経産省が絡むものはことごとく、この「官産複合体」として地ならしされたものだと感じます。
さらに1週間後のETV特集では「奥能登に生きる〜2つの過疎の町と震災〜」とあり、見始めるまでは気が付かなかったのですが、この中の珠洲市の高屋という町には原発建設の計画があったことで、それにも触れられています。
珠洲原発というのは1つだと思っていたのですが、当初計画としては北陸電力・中部電力・関西電力がそれぞれ建設をするというものだったようですから、3原発(その後中電と関電で2原発計画に)だったのですね。
能登半島の突端の日本一人口の少ない市である珠洲市、そこに3つも立地しようという話で、地元も賛否半ばしたそうです。
この反対活動の中心人物の塚本さんもETVに出ておられました。
特に珠洲市は本州にある市の中で最も人口が少ないのだそうですが、地元に働く場を設けたい=原発立地という思いは随分強かったようで、またETVに出た高屋という日本海に面したところの人は「もし原発が出来ていれば、何か月も道が通じなかったり、断水することはなかった」とも言われ、陸の孤島として見捨てられた感を強く持っておられることがわかりました。
また東京のことをあげられて「あんなに夜中にキラキラ灯りをつけている意味があるのか?」、つまりその灯りをつけるために珠洲に原発を置く意味があるのか?という指摘だったと思いますが、その通りだと思います。この時期はテレビも24時間とか27時間というイベント番組がありますが、今年は能登半島地震へのドネーションという意味をつけるのだと思います。しかし彼らが言う資格があるのか?どこにそれをやる意味があるのか?そう感じました。
また蛸島での漁師さんの話もありました。蛸島は珠洲市の富山湾側にありますが、この町は漁業だけでなく、JR能登線の終着駅の町だったそうです。いまは廃線になっていますが、国鉄が通じた時代は金沢や東京が近くなったという印象だったものが、結局他の町に珠洲の人が吸い上げられただけだったという感想もあり、JRは地方の端っこから切り捨てるなというのを改めて痛感しました。
人口減はとても大変な問題ですが、吉岡氏は「エネルギー需要自然減」という前提について指摘されています。
「今後の日本社会ではエネルギー消費の自然減が進むと思われる。その要因は人口減少、それにともなう都市の狭い地域への人口集中、脱工業化によるエネルギー多消費産業など製造業の衰退、化石エネルギー価格高騰による消費者の節約、国民の所得低下による消費者の節約などである。エネルギー効率向上(技術進歩による省エネルギー)や、再生可能エネルギー拡大を見込まなくても、自然減だけで脱原発と帳尻が合う可能性がある。」
確かに会社や家の家計も収入に応じた支出が原則で、その原則を無視しているのが国の財政。家庭も最初は夫婦二人→子どもが加わり→子どもが独立していき→老夫婦だけになるというサイクルが標準でしょう。家もそれに応じて大きくしたり小さくするのが普通。年とって無駄に広い家は面倒も見れませんからね。だから住み替えというのがあるわけですが、電力も吉岡氏の需要自然減は当たり前のこととして組み込んで考えるべき。先ほどの明るすぎる東京ですが、灯りが必要なら、需要地である東京に発電所を設ければよいだけで、過度な設備投資・資金投資をする時代ではないのだと思いますが、それだと経産省が自分が牛耳る家族会議を手放すことになるので、そんな前提は無視、右肩上がりの成長にこだわっているのだと思います。
当然ながらエネルギー問題における右肩あがりという幻想は、少子化も同じ。どんどん出産が減る現状を無視した、右肩上がりの出生率に基づく様々な思惑(年金等)も厚労省の「社会保障一家の家族会議」の鉄の掟なんでしょう。