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空想地図とは記憶を自在に往還

「中井久夫 人と仕事」には絵と地図が少し紹介されていました。
表紙カバーにあるのは、中井先生による神戸大学医学部附属病院にある「清明寮」のデッサン。

こう紹介されています。

「中井久夫が神戸大学病院の新しい精神科病棟『清明寮』の設計に参与した時に描いたスケッチの一枚(1993年)。『清明寮一階。突起していない部屋は病室である。なお窓は天井まである』と、中井の説明がある。清明寮は1994年5月に完成した」

落成は1995年1月の阪神淡路大震災の8か月前ですが、阪神淡路のPTSDでも大変な役割を果たしました。以前も書いたことがありますが、私の娘はこの清明寮の隣にある大学病院の看護師寮に2年ほどいました。引っ越しとかで何回か行ったことがありますが、本当にきれいで落ち着いた寮という印象がありました。

そしてもう一つの手書き地図は、中井先生の幼少期から学生期まで住んだ伊丹の自宅周辺の地図。

そこにはこう書かれています。

「中井家には地図がたくさんあった。父方の祖父・裕計が日露戦争のときに測量して描いた世界地図もあり、『地図は描くものだ』と思っていた。
小学一、二年生の頃には『磁石を持って歩測で自分の町の地図を作った』こともあったというから、道や橋や植え込みや庭を描き入れるごとに芋づる式に当時の記憶が呼び戻されるのだろう。 『樹の身になって』『隣人としての樹をみる』中井であれば、メダカやホタルの身になって、世界を眺めることもあっただろう。地図を作ることによって自己を中心に置く『天動説的観点』から距離をおく。地図とは、『メタ記憶の総体としての〈メタ私〉』と特定の記憶を自在に往還するための『索引-鍵』の集合体なのかもしれない」

なるほど、中井先生の自己中心からでない見方は子どものころから養われていたのでしょうか。

中井先生の評伝と並行してたまたま読んでいたのは「空想地図帳」(今和泉隆行)でした。

「空想地図帳」は空想上の町の地図ですから、自分の頭の中にあったものを表現するものです。
中井先生には患者さんに絵を描かせる「絵画療法」というのがありますが、その中の一つ、風景構成法は

「患者の前で画用紙の四周をサインペンで枠取りし、断ってもいいしと球でやめてもいいと伝えた上で『今からいうものを一つひとつ描いて、全体が一つの風景になるようにしてください』といい、サインペンを渡す。
各順序が大切で、まずは『山』『川』『田』『道』、次に『家』『木(森)』『人』、さらに『花』『動物』『石とか岩のようなもの』、最後に『描きたしたいと思うもの』を加えて彩色していく」

というものだそうで、これは空想地図の書き方とさほど変わりがありません。

空想地図は架空の場所の地図であることだけが基本で、地図という書き方のルールはあるものの、そこに描かれたものは「自然環境や人間社会の変化」を作者が自由に表現できます。しかしそれは作者自身の自然や社会、人間関係に対する観念を表現していると言ってよいのですから、中井先生の「絵画療法」そのものでもあるでしょう。
実際は「絵画療法」のプロセスの中で患者と対話してくという治療があり、空想地図はアウトプットに続く対話ということではありませんが。

空想地図は架空のものではありますが、作者のぼんやりとした記憶や風景から立ち上がったものだと思います。そういう意味では中井先生の「特定の記憶を自在に往還するための索引」といえるでしょうし、空想地図を見ながら頭の奥底にある普段は表に出ない記憶とのやり取りをしている(それが楽しい)、と言えるのではないでしょうか。


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