見出し画像

昔のレスは

先日読んでいた「ほしおさなえ」さんの「琴子は着物の夢を見る」ですが、こういうタイトルを見るとフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を連想しますね。
「アンドロイド…」はもちろんブレードランナーの原作です。

一方「琴子」は着物(和服)からその持ち主の言葉が聞こえてくるという話で、ほしおさんの作品には、そういうモチーフのものが多くあり、私もなんとなくそういうことを感じることがあり、良くは聞こえませんし、今は理解できないけれど、そのものから何か送られているメッセージがあるのだろうな、という思いもあるので、こういうモチーフんはそんなことないでしょ、とはなりません。

さて、この中に「秩父銘仙」について出てきます。秩父夜祭なんかの紹介番組で、この「銘仙」も出てくるので、なんとなくイメージが湧きますし、この本の中にも主人公が銘仙の博物館を訪問する場面も紹介されています。

大正モダニズムあたりから、派手過ぎないオシャレな着物として特に若い女性に銘仙は人気があったようで、そのことはほしおさんの本にも詳しく書かれています。
ネタバレには注意ですが、ある銘仙の持ち主(故人)が着物に残した声、イメージからその持ち主が銘仙を着ていた頃の思い出がわかっていくという話で、その中で重要なポイントは「少女の友」という雑誌です。

1955年に廃刊になってますから、もう70年くらい前の本ですし、私も流石に少女雑誌は手が出ないので全く知りませんでした。
唯一覚えがあるのは挿絵や表紙を書いたのが中原淳一ということで、正直少女趣味と一言で括ってしまい、見たようで見ていないというのが正直な所。

ほしおさんの本は、この「少女の友」が重要なモチーフですが、読んでいくと「『少女の友』とその時代―編集者の勇気 内山基」という遠藤寛子さんの本がベースにあるようで、図書館で借りてみました。

へー、こんな世界があったのかと感心した次第ですが、少女というのは良い意味で強か(したたか)だなと感心しました。
戦争の時代、色々なものが制限されたり、我慢を強要される中でも少しでも少女時代を生き生きと過ごそうとした少女たち、それを支えた大人の姿があったことを知りました。

またほしおさんの本でも書かれていましたが、やはり「雑誌」は「雑」で「本(単行本)」とは違う、確かに「雑」だから、消耗品的な扱いなんですが、どうやら違う側面もあることを書いています。その部分

「ほら、ここからがその投稿欄です」高野が開いたページには、「讀者文藝」というタイトルが記されていた。最初に雑誌を見たときは、読者ページもあるのか、と思いながら読みとばしてしまったが、どうやら重要な意味があったらしい。

中略

「雑誌を見るようになったら、これがまたおもしろくて。とくに『少女の友』の投稿欄みたいなものがね。これだけの人が生きてなにか考えていたんだと思うと、すごく高揚するんですよ。文章自体はありきたりなものも多いんだけど、その向こうにひとりひとり生きている人間の暮らしがあったわけでしょう?」

まさしく着物はこの投稿欄が大きく影響しているのですが、確かに本・単行本・文庫本は作家からのワンウェイで、せいぜい講演会やサイン会でツーウェイがある程度。もちろん今はネットですから変わってきていますが…。

雑誌はこの投稿欄というツーウェイが成立していたのですね。
ラジオでも投稿とか葉書があることが、他のメディアと違っていたところ。旧Twitter等が表れる前はテレビではツーウェイなんてありえませんでした。
雑誌が没落してきたのは、ネット配信の影響もあるでしょうが、あまりに雑多なSNSの反応により、純粋なツーウェイが成立しなくなってきたことがあるように思います。

雑誌の読者欄、投稿欄は読者からのレスの場だったのですね、気がつきました。

いいなと思ったら応援しよう!