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保守と革新の選挙ではなかったが

先日広島地裁でこのような判決がありました。

これはなかなか面白いニュースで、タイトルで各社の姿勢が如実に表れています。
地元紙は「東電に賠償命令 国の責任認めず」と国にも言及したものの、毎日新聞は「東電のみに支払い命令」と微妙な含み。読売新聞は「東電に損害賠償を命じる」とタイトルには国のことは触れず、時事通信は「東電に2400万円賠償命令」ということ。産経と朝日は見当たりませんでした。

さて、この判決を読んで強く感じたのは
「想定された地震よりはるかに規模が大きく、津波の到来で海水が侵入することは避けられなかった」
という箇所の違和感。つまり国は今後も同様の事故があっても、知らんよということだというのが、政府と司法の姿勢だとわかったことです。
あくまでも国策としての原発ですが、事故があったらそれは電力会社の責任で、わしゃしらん。ということでしょう。物凄く違和感があるし、今後仮に事故が起きたら、同じような対応に終始するのだと確信しました。

原発の安全基準は国が定めたものですが、基準に合致しているかどうかは国が指導する責任はあるけれど、仮にその想定を越えた時には基準を定めた国自体には責任はありませんよ、運が悪かったと思いなさい。と言っているようです。

ウンザリするような判決でしたが、丁度予約していた本を図書館で借りることが出来ました。


「原発を止めた裁判官による 保守のための原発入門」です。著者の樋口英明さんは、高浜原発再稼働差止決定を書いた元裁判官の方。

タイトルの「保守」とはメンテナンスの「保守」かなと思っていたら、コンサーバティブの保守でもあり、両方かかっているようです。

読み始めて最初にこれは読むに値する(失礼)と腑に落ちたのはこの箇所があったからです。


保守は本来現実主義である。現実を直視しようとしない保守は、理想を語らない革新と同じくらい無価値である。また現実を直視しない保守が権力を持つことは、無価値というよりも有害であるというのが正しいだろう。しかし、私は現実を直視しようとする真の保守が現在も国民の中で多数を占めていると思っている。

なるほど、確かに保守は今から将来を定義しますから、宿命的に現在の延長上でしか描けないし、そこに齟齬があれば齟齬を守るために必死になるもの。
一方革新は、未来を定義した上で現在の過不足を問う、だから夢のようなあるいは非現実的な部分がありますし、それが現実的でないと叩かれる部分で、自ずとそういうものだと思います。
しかし討論の場になると、革新は保守から「じゃあ代案を出せ」と現在に引きずり込んだ論議に引っ張られがちです。それは保守の土俵なので、そこで相撲を取ってはいけないのにウマウマと土俵にのせられる。

ちょうど選挙が終わったところですが、経済対策について

このアンケートで「では財源は」と言及するのですが、まさにこれは革新を保守の土俵に引きずり込む姑息なやり方です。
よく政府が経済財政諮問会議に出させる「経済財政運営と改革の基本方針」を「骨太の方針」と呼びますが、これは全くの言葉遊びに過ぎません。なぜなら保守政府ですから、現状の延長であって弥縫に過ぎず、抜本的な改革など出来るはずがないからです。
骨太とは「骨格のがっしりしていること」ですから、現状から微動だにしないという内閣の姿勢のことを意味しているのだろうといつも思います。

樋口英明さんはこうも書いています。

我が国では安全性に関する偽装が発覚すれば大きな制裁がある。例えば、2005年ころに世間を揺るがした耐震偽装事件(いわゆる姉歯事件)において、設計者は処罰され、マンションは取り壊され、販売した不動産会社は倒産した。タカタという世界一のエアバッグメーカーも偽装を図ったために倒産してしまった。また、認証試験で不正を行ったトヨタも出荷停止に追い込まれている。これらのことから、多くの人は「我が国はたとえ偽装等の不正行為があったとしても、それを正し、正常な社会に回復させる力、つまり軌道修正機能と嘘を許さないという倫理性がある」と思っている。
ところが、国策についてはこのような社会の持つ軌道修正機能が働かないのである。国策である原発については軌道修正機能が働かないということを認識していないと、「福島原発事故前の電力会社が原発の安全性について甘い姿勢であったとしても、事故後には正されているはずである」というように思ってしまうのである。だから、多くの人が福島原発事故後においては「原子力規制委員会が再稼働を許可した原発は安全だろう」と思ってしまうのである。原発に対する立ち位置の如何を問わず、多くの人が我が国の原発はそれなりの安全性があることを前提にエネルギー問題として原発の問題を論じているのが現状である。


先日読んだ笠井千晶さんの「家族写真」は南相馬市と大熊町の話でしたが、今回樋口英明さんのものにも浪江町の請戸のことが書いてあり、全く「家族写真」と同様であったことにハッとしました。

請戸の浜と避難計画

福島県浪江町請戸地区は福島第一原発から北に約7キロメートルのところにある漁村である。津波によって多くの家屋が流され、3月11日夜10時、消防団の方たちは翌日の救助活動の準備のために請戸の浜を回った。そのとき、助けを呼ぶ声や、鳴り響くクラクションの音を聴いて多くの人が助けを待っていることを確信した。しかし、翌3月12日午前5時44分、放射線量が高くなったということで福島第一原発から半径10キロ圏内の住民に避難指示が発令された。この避難指示により、3月12日早朝から予定されていた行方不明者の捜索・救助活動が中止になった。請戸の浜で福島県警及び消防署による行方不明者の捜索活動が行われたのは実に1か月余を経た4月14日のことであった。3月12日に救助活動ができたならば、何人かの尊い命が救われたと思われる。福島原発事故では、避難の途中で病人等50名以上の方が亡くなっている。福島県の震災関連死は岩手県、宮城県の震災関連死数を大きく上回っている。
請戸の浜で助けを待っていた人たちも間違いなく福島原発事故で亡くなったのである。あのとき真っ暗闇の中、そして凍える寒さの中、救助を待ちわびていた人々の無念、放射線量が高いと言われて救助活動を断念せざるを得なかった消防団員の無念を我々は決して忘れてはならない。

そして選挙の結果は

今回の選挙で感じるのは4つ

1は樋口英明さんの示した「保守と革新」の選挙ではなかったということ。

2は赤旗の非公認候補への2000万の支給のスクープの絶妙のタイミング、これが決定的だったと思います。今のメディアで内容もそうですが、出すタイミングを戦略的に打ち出すのは赤旗位で、あとのメディアはタレ流すだけ、尊家印象を強く持ちました。
まあ内容についてどうのこうのという候補はいましたが、結局裏金の時と一緒で、表ざたになってから返すの返さないの、悪いの悪くないのの発言ですから、この人たちは表ざたになってなかったら知らんふり、裏金の時と同じ性根の腐った人なんだということがよくわかりました。

3は今回の選挙はアメリカの大統領選挙に似ているということ。政策ではなく空気感、ムードが優先したものということです。その空気感ゆえに今まで与党に投票していた人が足踏みしたので、その分が低い投票率の一番の要因。今まで投票に行かない人は今回も行かなかったようですが、結局与党の上澄み分であった人らが行かなかったのが打撃だったのでは。それを招いたのは「空気感」だったと思います。

4は見ている限りどのメディアも「ねじれ国会」に言及していないこと。参議院では与党が多数、衆議院で少数になったということは、次の参議院選挙が勝負になります。ねじれ国会であれば今までの強行一本鎗など出来ず、妥協をいかにするかが政治になります。その上で与党は参院選まで何とか粘ろうとするだろうし、野党はそこまでに勝ポイントを得たいと思うでしょう。

野党にとっては野党共闘は誠に難しいので、まずは共通する項目についてのみ合意して攻め立てることになります。それは安倍・菅・岸田政権が乱発していた「閣議決定」について取り下げさせること。予算に関わらないものからであれば国会の決議は要りませんからね。例えば「マイナンバーカードと健康保険証の切り離し」なんかは選挙前後で共通していっていたことですから、即できるでしょう。
「妥協」はこのような「閣議決定」で進めていたものを取り下げ、見直させることで与党が進めたい予算審議のバーターにすることになります。
それにより野党は目に見えるような勝ポイントを稼ぎ、次の参院選では「野党もそれなりにできるじゃないか」と思わせること。つまり一気に政権交代より、かえってそれまでの期間現与党に政権維持をさせる方がポイント稼ぎとゆるい野党連合の準備をする機会では?野田氏や小沢氏の老獪な政治経験ならそれが出来るのではないでしょうか。

一方与党は内部紛糾をすれば一巻の終わり。自民に人材が払底しているので、頭を変えるより、今回は問題のある古い政治家の一掃セールが(一部残っていますが)できたと思ったほうが良いでしょう。とりあえず石破政権を維持して、政権与党の甘い汁を吸うのが上等策だと思います。

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