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それはこっちも同じこと
先日聞いたこの番組、本当に驚きました。まだ「聴きのがし」で聞くことができるので是非聞いてもらいたいです。
この3通のラブレターは「人類館事件の歌」「Kozaの街ラプソディー」「No More Rain」「ドゥチュイムニー」
内容がわかるテキスト版もあります。
佐渡山氏は沖縄、戦争に向き合った歌を歌われているんですね、トラトラトラというライブをやられるようですが、これはご本人が12月8日生まれで、寅年生まれということもあり、真珠湾攻撃のあったこの日にちなんで、「トラトラトラ」なんだそうです。もちろん私がこの言葉を知ったのは映画から。
地元紙によるとこの舞台のパールハーバーで来年原爆展があるのだそうです。どういう思いを伝えたいのか、全然わかりません。姉妹縁組のためだけの地ならしなのか?どう扱われるのか?思いもない丸投げだけはして欲しくない。
佐渡山さんの唄「人類館事件の歌」は驚きました。この事件知っていたような気もしますが、他人事と忘れてしまっていたのです。痛恨。
この人類館事件は大阪で開催された「明治の万博」での出来事。
万博は「わが国凄い」をひけらかす金儲けの場ですが、「自国第一」は必然的に「他国は第二以下」を意味します。この「人類館」はそれを露骨に披見した場だったのです。そのことを忘れてはいけないと佐渡山さんは歌います。
恐らく金の無駄遣い、維新を抱き込むためだけに開催する今回の大阪万博も、利権と差別を生むだけなのだろうと思いますし、その後賭博場にするための方便のイベントなわけですから末路は見えています。
佐渡山さんは1950年生まれの74歳。私より7歳上ですが沖縄ではまだ戦後の色合いも強く、またコザで生まれ育ったことから国に対する思いもあると思います。
先日も紹介した丸山健二氏は1943年生まれの80歳。彼も国に対しては随分思いを持っています。先日読んだ「言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から」はおとなしめのエッセイではありますが、そこかしこに鋭い牙が見えます。こんな箇所も(無断で一部引用します)
時代の流れは、現実路線への切り替えが急速に進んで、その分、心のゆとりを失いつつあるようです。花どころではないのでしょう。無理からぬことです。
資本主義経済が煮詰まるだけ煮詰まって、自由主義の名のもとに階級社会がどんどん固定化されつつあります。つまり、工夫や努力によって小さな成功への道が切り拓かれる可能性が大幅に減少し、下手に動けば大失敗を招く危険性が高まっているのです。
となると、後はもう生活費を切り詰めるという自己防衛の手段しか残されていません。
そしてこの際、国民のためを本気で願う国家など世界のどこにも存在しないという常識を改めて認識しておきましょう。
そうです。理想的に思える政治体制であっても、国家とは結局、支配層のために存在するのです。このことは、現実中の現実であり、真理中の真理であって、体裁の違いこそあれ、今の時代も根本は中世の時代となんら変わりません。
特定少数の支配層は、不特定多数の人々に国民の一員であるというりの自覚を持たせながら、実に巧妙な手口で奴隷化を進めてきました。これが近代社会の実態です。
とりわけ事大主義に凝り固まっている日本人は、良きにつけ悪しきにつけ、何事においても隣人と肩を並べられるかどうかを必要以上に気にかけ、集団のなかに個を埋没させて生きる種類の昆虫に似ており、忖度や協調を第一義とする、なんとも没個人の、奇々怪々たる珍しい人種で、ために、ひとたび国家全体が破局へと傾くや、あっという間にそうなってしまいます。歴史がそのことを如実に物語っています。
愛国者気取りの御用文化人が何をほざこうとも、どう言い繕おうとも、この厳然たる事実はまったく揺らぎません。
おそらく千年後も同じでしょう。千年持てばの話ですが・・・。
「自分たちはおまえの奴隷ではないからな」と庭の草木が私に言いました。
「それはこっちも同じことだ」と私。