私は忘れない
にじみ出るのは多選の傲慢さでしょうか。
喋る所は台本のまま、質問に対しては喧嘩腰。メディアの質問というのは本来べんちゃらやヨイショではなく、痛いところをつくのが当然で、そこに対してどうこたえるかが大事なのだろうと思います。
一般的なクレームやトラブルの際の記者会見をみても、答える内容もですが、それ以上に答える姿勢が評価を大きく左右します。
そこからいえば、まずい。
実際宮崎氏が文字起こしをしているので、活字だときつめの表現なのかなと思いましたが、動画をみるとママでした。「なんでそんとな質問するんか」「わざわざ答えてやるんで」という態度が端々に感じられます。まあそう受け止めるは私だけなのかどうか、動画をご覧頂きご判断ください。
この市長は4選したところ。やはり多選は人間をダメにする、傲慢にするなというのがつくづく分かります。
私はサンフレファンなので、25分あたりの新サッカースタジアム(エディオンピースウイング)のくだりも大変興味深く聞きました。
どうやら少々お忘れになっていたようですが、サッカースタジアムについては、県知事が宇品にしたいとごり押し、市長は時間稼ぎをしたいという中で、久保社長から旧市民球場跡地の具体的なプランがあがり、そこからようやく動き出した。つまり県市の首長は首を突っ込んで掻き回しただけで、主導などしていなかったという記憶があります。
当時の商工会議所も決まったら協力はやぶさかではないが、決断の際は尻馬に乗るだけという感じだったのは、広島電鉄の本社移転のプランもあり、宇品の再開発を従っていた背景で旗色を鮮明に出来なかったという事情があるしょう。
広電についてはスタジアムの宇品を放棄する代わりに、広島駅への乗り入れを後押しするバーターが進んだと理解しています。
ですから中に
中国新聞「1回目のサンフレッチェの優勝のときは、あの過去の記者会見録を見ると、市長はあの、自宅のテレビで観戦してらっしゃったというやり取りみたんですけど、それは何か、現地に行かずにテレビで見てたってのは何か事情があったんですか?」
市長「特段理由はない。」
というくだりは「痛いとこ突きやがって」というのが垣間見えます。そういえば市長と県知事が反省したのかどうなのか、時々エディスタに来て、キックインセレモニーとかしますが、この時期はブーイングか無音、その後も拍手なんかは聞かれませんね。「終わりよければすべてよし」じゃないよ、サンフレサポーターは忘れないよ。
さて、パールハーバーと平和公園の件。
なんだかグダグダ言っていますが、いつも言うように戦争は今みたいな市民を巻き込むのは20世紀になってから。それでも当初一般市民(非戦闘員)を巻き込むのは重大な戦争犯罪と言っていたのですが、今のガザとか見ると市民に対する殺害は当然のようになっています。
戦争は兵士と兵士が戦うもの、市民は巻き込んではならない。だから原爆という大量無差別殺人をした米国は戦争犯罪者です。もちろん東京大空襲なんかも同じこと。死傷者には兵士も含まれてはいましたが、市民を殺すのを正当化する異常な思考が大手をふるのは信じがたいことです。
真珠湾ですが、これはホノルル市内に日本軍が空襲したわけではなく、真珠湾の基地に対して、つまり米国兵士に対して日本軍が行ったもの。つまり目標は兵士対兵士であって、一般市民に対する殺戮の場ではないということ。これは広島の平和公園とは全く別の物。
私はこの姉妹提携をすると、原爆ドームを始めとする広島の被爆記憶が、無差別大量殺人、破壊に対するアイコンだったものが、違う見方にされるのではないかと、危惧しています。
ガザの市民に対するイスラエル軍の行為は紛れもなく無差別殺人です。これはナチスによって行われたユダヤ人への無差別殺人と何も変わりません。
今のユダヤ人は過去の不幸な出来事により、ジュノサイド、民族浄化への強い発言権を持っていますが、今回の行為で、今のユダヤ人の子孫はユダヤ人だからと言って発言する権利を失ってしまいました。それは過去のユダヤ人祖先に対する重大な背信行為だと思います。
広島もHIROSHIMA、ヒロシマという言葉で相手が受け止めていた意味は、伝承力の衰え、日本政府の核の傘への迎合により、今や失われつつあります。
今回のパールハーバーとの姉妹提携はヒロシマの持つ「市民に対する無差別大量殺人」に対する反対の意思と記憶を失わせるものです。そんな大事な失うものに対する代償はインバウンド収益でしょうか。
本日のタイトル写真は、私のハワイの友だち(パールシティの隣の市の中学校の先生)から毎年貰うカレンダーの写真。12月はこのアリゾナ記念館です。12月8日が真珠湾というのをハワイの観光カレンダーでもわすれてないのだと思います。