年寄りには冷や水が必要
月曜にアップした「せとうちジャーニーウォーク」ですが、予想通りゴール後の日曜、月曜はほぼ使い物になりませんでした。
もともと左腰が1週間ばかり痛かったこともあり、万全の体勢ではありませんでしたが、それなりに準備をして臨んだ30キロウォーク。
その顛末を備忘録として残しておきましょう。
ちなみに火曜日は疲れはないものの両足の筋肉痛がひどい。歩き出しはよちよち歩きですが、まあこれは予想の範囲、歩くにつれて徐々に痛みが取れていくでしょう。
さて、せとうちジャーニーウォークは尾道→広島の120キロと呉→広島の30キロの2コースあり、わたしは30キロに参加しました。
呉のマリンパーク川原石に集合(受付終了が7時30分)なので、西広島駅まで女房に送ってもらい、JRで山陽線→呉線経由で川原石駅に7時15分に到着、速足で会場まで向かいました。この時間川原石で降りるのはこの大会参加者ばかりでした。
受付で番号を伝えてゼッケン等を頂き、近くにある宅急便の受付で、着てきたシャツとズボン、さらに頂いたグッズをビニール袋に入れて、ゴールまでの搬送をお願いしました。
早々に開会式が始まりましたが、スタートは50人単位のウェーブスタート。私はゼッケンが784番で、6番ウェーブでしたので、時間がたっぷりありましたからトイレに行き、準備万端。
すでに呉線の車窓から前日スタートの尾道組が歩いているのが見えて、大したものだな、と感心していましたが、この時間はまだ呉辺りはまばらで、それをみはからっての30キロのスタートかと。
ウェーブスタートとはいえ、魚見山トンネル前からは歩行者通路が狭く1人がやっとなので、この辺から数珠繋ぎになりました。一応トンネルの中だけはマスクをしておりましたが、今は昔みたいに排煙を垂れ流す車はなくなったのかな?目もショボショボしませんでした。
最初のピッチは天応まで歩こうと思っていたので、吉浦、かるが浜と順調に過ぎていきました。
天応の前に行くとようやくゴールである広島が遠望でき、あそこまでか、結構あるなと噴き出す汗をふきふき、天応駅の先にある呉ポートピア隣接の天応公園の第5エイドに到着。ここ迄予定の1時間15分と順調でした。
ここでは焼きそばとうどんのサービスがありましたが、結構並んでいたので、ここはパス。持ってきていたエネルギー10秒チャージ(ゼリー)を飲みむだけにして、次の目標である「坂」迄向かいました。
そうそう、道中は小さめのペットボトルに飲物を移して、ひと駅ごとくらいには水補給していました。
天応から坂までは参加者はほぼ抜きも抜かれることもなく、淡々と歩きます。途中青のゼッケンの120キロ参加者とすれ違い、本当にすごいと激励して追い抜く余裕もこの辺はありました。
坂にもほぼ予定通りの1時間半で、11時には到着しましたが、さすがに腹が減ってきたので、コンビニでミニッツメイド朝バナナを買って頂きました。
この辺りでは日差しも強く、地面に座ると暑いのと、長い時間座ると歩けなくなるような気がして、ほぼ立ち休み。
次なる目的地は海田市なので、早々にスタートして向かいました。
矢野を過ぎたあたりから、少し左足が攣る感じになり、こりゃ気をつけないとと思っていましたら、海田の大正交差点の手前で、こりゃ休まないと両足が攣りそうだと警戒警報。
ところが大正交差点の所に多分大会の誘導員がいて、「信号間に合うから渡れ」とのことで、それっと小走りになったところで右足が攣りました。大正交差点の真ん中で止まるわけにはいかないので、死にものぐるいで足を引きずり渡ったところに「餃子の王将」があったので、ここで昼飯を頂きながら足を休めようと入りました。丁度12時過ぎでしたからね。
さすがに餃子定食という元気もなく、聞いたら冷やし中華がまだやっているとのことでしたので、オーダー。
脚を揉みながら休んでいましたが、痛みは減ったものの攣りの嫌な感じは残っています。出てきた冷やし中華も、これは油そばじゃないか、というくらい脂っぽく、食いしん坊の私も残してしまいました。
店を出て瀬野川を渡り、まだ両足が攣る感覚があったので、もはや目標はタイムとか順位ではなく、完歩に変更し、どうぞ抜いてくださいという感じでペースダウンです。
この海田から広島駅、紙屋町はお盆に予行演習で歩いたコースなので、大体どの辺かは頭に入っていますので、「次はここまで」と目標を細切れにして、休みながら歩きます。
マツダ本社工場の前を通り過ぎ、府中大川を越えてようやく大洲に突入。ここからなら1時間ちょっとかな、と思ったところで、何と両足が強烈に攣り始めました。
こりゃ歩けないと道端の縁石に座り込み、水を飲みながら足を伸ばしたりしましたが、揉んでも全然よくならない。ここからが地獄でした。交差点2つくらいで休み、また歩くを続けていましたが、とうとうもみじ銀行(大洲)の手前でどうしようもなくなりました。
こりゃリタイアかな?と頭をよぎりましたが、丁度そこに30キロに参加の親子が通りかかり、さすがに悲惨な状況を見て「大丈夫ですか」「両足攣っちゃって」「じゃあ」と口の空いていないスポーツドリンクと、塩飴を頂きました。「とにかく水を飲んで」としばらく様子を見ていただき、倒れるところまではいかないようだと判断されたのでしょう「あと5キロですから、完走しましょう」と激励していただきました。本当にありがたかった。
この大洲道路はコストコに行く自家用車が渋滞していて、乗っている人らが「あのおじいさん大丈夫か?」という目も感じていたので、何とか立ち上がり、信号1つごとに歩く、休むを続けましたが、しかしとうとうマツダスタジアムの手前ではどうにも足が折れたんじゃないか?という痛みに
そこで、腰の痛み止めとして病院からいただいていたロキソニンをここで使おう、足が攣るのは仕方ないが、痛いのは誤魔化せるかも。と飲み込んだところ、凄いものでものの5分もしないうちに、痛みが少しやわらいできました。
もちろんいつまた足が攣るかもというビキビキとした痛みは両足にあるものの、ゆっくりペースを守って進めばいけそうな感じに。
荒神交差点あたりからは、信号待ちの間は足踏みするくらいの休憩で続けてあることができ始めました。座ったら立ち上がる自信もなかったですからね。
猿猴川を渡って、比治山通りをひたすら進みます。女房が駅の近くの実家に居て、時々様子を探るラインを送ってきていたので、今は広島駅の近くと送り、黙々と進みます。
女学院の前を通り、合同庁舎の所で、市民病院側に渡り、あとは中央図書館の横からハノーバー庭園のゴールに向かいました。
そしてゴール。いや~嬉しかったな。
コロナ前でしたが、70キロは歩いたことがあるので、30キロなんてと思っていましたが、いやはや老化は恐るべきものと痛感しました。
ゴールでスタッフに写真を撮っていただき、スタートで預けていた荷物を取ったところで、女房から「近くに迎えに来たよ」と連絡が入り、座り込んだら立てそうにない、と真っすぐ車に向かいました。
やつれた顔の写真を撮ってもらい車に乗り込むと、「大丈夫、ご苦労さん、何かいる?道中の写真撮ったよ」とのことだったので、「ありがとう、スイカが食べたい」とご褒美をおねだり、さすがにビールとか飲む気にはなりませんでした。もう夏も過ぎたはずで、スーパーとかにはスイカはありませんが、まだ子の地でも手に入る店があるんですよね。まるまる買ってもらい頂きました。
今回の挑戦は目的が1つと誓願が1つ。
目的は前回も書いたように、完歩したらこういうロングディスタンスのウォーキングは引退し、来年高校の時初めて上った白山に再チャレンジして、それで高山からは引退する、ということ。
誓願は、病気の心配のある親戚の平癒です。これがあったから両足攣ってどうしようもない時、周りの目なんか気にせず、何とか這ってでも、と思ったんですよね。
願いが叶って欲しい。
で、学んだことは両足が攣るということは、熱中症による脱水症状だと思います。ちびちび水を飲んでいましたが、あれじゃあ足りなかったんですね。
この日は広島で35.3度の猛暑日でしたから、JRの二駅ごと(5キロごと)で1本ペットボトルを開けるくらいの水が必要だったかもしれません。
確かに敬老対象者の私が30キロを歩くのは「年寄りの冷や水」かもしれませんが、「年寄りには冷や水が必要」というのを痛感しました。