コンプライアンスを見直す
堀川惠子さんの「透析を止めた日」という本を東京で買ったことを書きましたが、ようやく読み終わりました。
さすが堀川さんと、本の印象を重く受け止めています。
この本は堀川さんのご主人が長年透析を受け、亡くなるまでのことが前半、後半はそこから見えてきた透析患者に対する現状と疑問という書き方で、前半の患者の伴侶、家族からの思いや見えてくるものが、あまりにリアルなので後半の疑問や提示が腑に落ちる構成になっています。
私は腎臓の透析が必要な方のことはほとんど存じませんでしたし、透析をされている方がそれを止める時、止めざるを得ない時は死の間際であり、さらにその最終期が苦痛を伴うものとは全く知りませんでした。
私自身、健康診断で尿が引っかかったことはないので、全く別の世界の話と思っていました。
実は私の姪は県外にいますが腎臓の専門医ですが、彼女の仕事のことは全く知りません。
ただこの本を読んでいて後半に「腹膜透析」というのが出てきて、あれっ、これ先日テレビで見たなと思い出し、NHKと腹膜透析で検索したらありました。
日曜の夜7時からだったんですが、これ見ていたので本の内容がすんなりと入り込みました。しかしなんでこれ見ていたのか?まあ引き寄せられたということなのでしょう。
当社は毎年11月から年末の間に健康診断に行くことになっています。私も先日行って、12月初めには結果が来るのだと思います。
この結果は本人と会社宛に送られてきますが、プライバシーの問題もあるので、問題が指摘されていてもあまり積極的に介入はしていませんでしたし、社員数の関係で産業医も置かなくていいので、「要診察」とかの指示があっても、本人に注意するだけでフォローはしていない。それが実体でした。
ところが社員の高齢化と共にそうはいっておられないと思い始めました。
例えば数名「要診察」がいる中で、腎臓の透析が必要となるかもしれない糖尿病が指摘されているものがいるのです。その社員にも通院や検査に行くように指示しますが、毎年言っても頑固に行かないのです。
なんで行かないのかな?と思っていたのですが、もしかしたらそれは社員が透析、そしてその後の生活に対して漠然とした不安を、もしかしたら持っているから躊躇しているのではないかと、この本を読んで感じたのです。
その社員は認知症のお母さんとの二人暮らしで、もし透析に通うことになったら、あるいはその先は…と悩んでいるのかも、そう感じたのです。
さらに今回この本を読んで、プライバシーとか、あるいは強い指示はパワハラと思われないかと躊躇していた自分を反省しました。
もちろんコンプライアンスということにも関わってくるでしょうが、プライバシーにどの程度関わるのかについて腰が引けていたように思うのです。
実は私自身コンプライアンスという言葉に逃げ込んで、何も触らない、何もしないのが正解という考えに落ち込んでいたように思います。そこで今期は社員と共にコンプライアンスについて毎月考える場を設け、私が勉強する、そして社員も勉強してもらうことにしました。そして会社の基準を合意していこうと思っています。
全くノータッチから深く関わるまで、0から100の段階があるとして、うちの会社はここまで関わるよという合意を社員みんなと一律ではなく個別に確認しておかなければならない、そう思ったのです。
特に健康については個人情報ですから、非常にセンシティブな問題ですが、会社として、仲間として関りが0で良いわけではなく、ある基準まで関わろうと思っています。
健診に行ってもらうのは当然ですが、そこで注意点があれば、私から病院に行くように話をして、その後も毎月確認する。その上で重大な症状の人は、私が知っている病院まで連れて行く。そこまでしようと思っています。
社員が大事なら、少なくとも出来る範囲で健康を守らねば、と思った次第です。
もちろんプライバシー、コンプライアンスでは問題とされるのかもしれませんが、私は0か100かではなく、健康についてはここまで(例えば40)関わるよ、という合意を互いにしていくことが、また社内風土でもあるのだと思っています。今更ではありますが、今期はしっかり継続して学び合おうと思います。
さて本に戻ると、幸いこの本には広島にもいいお医者さんがいるようですし、さらに緩和ケアについても堀川さんの御経験から深く踏み込んで書かれています。
確かに私の女房の叔母さんが癌で緩和ケア病棟に入った時、感じたのは緩和ケアとは本人はもちろん家族にとってもとても大事な最後の場だということ。本で紹介されているのは安芸市民病院さんでした。
堀川さんが広島の出身ということもあり、広島の場面が多く出てきます。そしてあとがきの最後に書かれた「校了」の日付が8月6日だということも、堀川さんの背負った思いを感じるものでした。