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一喜一憂

私も集小零細企業の経営者なので、この話にはうなづけます。

販売実績と新陳代謝のグラフの相関関係。山と山、谷と谷、そりゃあそうでしょう。そうならない経営者がいるとすると、よっぽど腹が座っている人か、数字無視のいい加減な経営者だと思います。

とはいえ、山と谷の高さをいかに上下させずに、安定した高さにするか。もちろん販売実績もバカみたいにあがる良いようにも思えますが、各種費用もそれに応じて掛かりますし、それを維持する体制・人はとても難しい課題です。もちろんガクガクと下がると、収益そのものが大ごとですから、結局販売実績も緩やかな上昇が良いに決まっています。会社というのは一つの商品、一つのサービスやるのは危険ですから、複数の商品やサービスを抱えてやります。それは複数の良い事業があるとさらに伸びるというよりは、単一の事業が頭打ちになっても、他の事業が支えて、ダメな事業を止めるだけの時間的余裕を作ることができる、という理由の方が大きいと思います。
良い事業、良い商品がいつまでも良い、売れ続けるとは言えないですからね。そんなのは私の関連する業界を見てもざらに起きていること、同じものに拘泥せず、気が付いたらいつの間にか変化していたという会社の方が生命力は強いと思います。

もう1つ言えるのは、そんな山と谷の中では経営者のストレスは当然ながら上下しますが、様々な経営判断をする中で、そんな上下する精神状態=肉体状態で判断すると間違うということです。
だから良い時もあれば悪い時もある、いずれの時も極端に精神の置き場を動かないようにする、なるべく平穏の場所に立ち返ることができるというのは、経営者にとってとても大事なことだと思います。

だからこそ経営者はその心の置き場を求め、私は稲盛塾長のフィロソフィを日々、繰り返し学び、山あり谷ありの時、どういう心持になればよいのかを学んだうえで、日々の経営の山と谷に立ち向かい、「ああ、このことか」と実践するのです。

他にも坐禅を汲んだり、瞑想したりという経営者は多くいます。
若い友人の経営者も毎日通勤の行き帰りの時間、片道40分程度をブツブツ自分の心の中にある、あるいは頭の中にあることを吐き出しながら歩くそうです。それもそのブツブツをスマホに録音し、家や会社についた時に音声からディクテーション機能を使ってメモにして、こんなこと考えていたのかと確認するそうです。最初から書いたり、考えたりでなく、ウォーキングの合間であるからこそ、初めて頭や心の片隅に隠れているものが表れる。坐禅や瞑想は無にするということでしょうが、彼はすべてを吐き出すという心の持って行き方をしているそうで、私も何度か挑戦しています。

いずれにしてもワインバウム氏の話は当を得ていると思いますが、大事なのは「一喜一憂」しないこと。よく賭け事やスポーツ観戦で「歓声や溜息」がありますが、あれはストレス解消には良いと思います。でもその「結果」に囚われてで喜んだり怒ったりはいけません。かえってストレスは溜まります。勝ち続けることなんかありませんし、負け続けることもありません。そんなのは当たり前のこと。
経営も勝ち続けることはないし、負け続けることもない。あるのはどこで転機が来るか、潮目が来るかを見極め、行くべき時に良き、退くべき時に退く、良い精神状態、安定した心であればそれが執着なくできるのです。

昭和の大横綱双葉山も安芸の海に70連勝を阻まれ、「未だ木鶏たりえず」といったという有名な話があります。

この話は

昔中国に闘鶏を訓練する名人がいました。その名人に王様が一羽の鶏の訓練を命じました。
10日経って王様が「どうだ使えるようになったか?」と尋ねると「まだまだです。今は殺気立って、しきりに敵を求めています」と答えました。
また10日して尋ねると「いや、まだです。他の鶏の声を聞いたり、気配を感じるとたちまち闘志をみなぎらせてしまいます」。
さらに10日経ち尋ねると「まだ駄目です。他の鶏を見ると睨みつけたり、いきり立ってしまいます」。
さらに10日経ち尋ねると「もう大丈夫です。他の鶏が幾ら鳴いても跳んでも動ずる敬拝がなく、木彫りの鶏のようです。徳が充実している証拠です。こうなればどんな鶏もかないません。姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう」。
実際に戦わせてみると、他の鶏は闘わずして逃げ出しました。

という故事から来ています。双葉山関もこの域に至っていないと言われたわけですが、それは心身ともに山、谷に一喜一憂しない心情こそ大切だと教えているように思うのです。

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