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A→Z

A→Zといえば密林のパッケージを思い出しますが、今回のはアトウッド氏の「マッドアダム」の関連。

兄アダム(A)と弟ゼフ(Z)が登場する話なので、A→Zです。
「水のない洪水」と呼ばれるパンデミックにより人類はほぼ全滅した後の話で、この小説には不可思議な動物が登場しますが、それは遺伝子工学により人間に都合よく作り替えられた豚や熊の外見ではあるのですが、中身は人間の要素を持つ生き物になっています。
例えば遺伝子組み換え生物「ピグーン」(見た目は豚)の体内には、ヒトに移植する臓器や脳組織まで培養されており、知性もあるし、ある手段で人とコミュケーションもとれる。
ではピグーンの肉を食べるのは今の世界の豚をハムやベーコンとして食べるのと同じなのか、あるいは食人に近いのか、等々で登場人物が躊躇する。
また動物だけでなく人もどきの「クレイカーズ」は人間なのか、違うのか、相互の生殖は可能なのか?等の現在の科学では置き去りにしている問題を、登場人物たちは生き延びようとする一環で、誠に哲学的あるいは実践的に向き合います。
この本は様々な書評も出ているので、それも読まれると良いと思いますが、SFでありながら「宗教」「科学」「IT」「ゲーム」「二極化」も俎板の上に載せられていることから、今の世界への警鐘と感じます。

ゲームにはこんな箇所も

「ブラッド・アンド・ローズの(ブラッド)役になりきって、古代カルタゴ市民を一人残らず殺し、大地に塩をまき、ベルギー領コンゴを隷属させ、エジプト人の長子を皆殺しにしていた。
それにしても、なぜ最初に生まれた子どもだけを皆殺しにするんだ?バーチャルゲームのブラッド・アンド・ローズでは、さまざまな残虐行為が命じられる。赤ん坊を空中に放り投げて剣で串刺しにするとか、窯の中に放り込むとか。石の壁に打ちつけて頭をたたき割れという指令もあった。「赤ん坊
千人を、ベルサイユ宮殿、リンカーン・メモリアルと交換だ」とグレンに告げる「だめ」とグレン。「ヒロシマもつけてくれなきゃ、やだ」「ひでえ!赤ん坊がもがき苦しみながら死ぬのが望みか?」
「だって本物の赤ん坊じゃないし。ゲームだよ。だから赤ん坊が死ねば、インカ帝国は守られる。あのかっこいい黄金のアートも残る」
「なら、赤ん坊とお別れだな」とゼブ。」

つまり79年前も「広島の赤ん坊が死ねば、米国は守られる。天皇の財産も手に入る」ということだったのでしょうか。

さらに、登場人物のトビーが日記を綴り始め、期せずしてクレイカーズの子どもに「字」を教えることになり、その子がトビーの死後日記を書く様は、トビーが旧約聖書、クレイカーズが新約聖書を書いているかのようで、先月の「100分de名著」が取り上げた「千の顔をもつ英雄」(ジョーゼフ・キャンベル)の伝説にも重なりました。

アドウッド氏がこのような凄い作品を書いた背景は、今ちょうど読み始めたマルクス・ガブリエル氏の「倫理資本主義の時代」の「はじめに」に書かれたところと重なります。そこを無断引用します。

「私たちは先例のない危機の時代に生きている。新型コロナウイルスのパンデミックが世界を襲い、あちこちで戦争が勃発している。それを受けて多くの国々は急速な軍備増強に資金をつぎ込んでおり、それは新たな対立につながるだろう。世界が平和的に共存することは、ますます不可能になっているようだ。
国内的にも国際的にも経済格差が拡大している。異常気象や急激な自然環境の悪化というかたちで生態学的危機が表面化している。これらすべてが大規模な移民発生につながっており、政治的混乱を引き起こしている。一方、科学技術の進歩によって、人工知能(AI)システムを筆頭にデジタル技術が社会に浸透している。それは富と雇用を生み出すだけでなく、自動化による雇用喪失や、私たちをとりまく社会的世界のさらなる加速化を引き起こしている。社会の変化があまりに速くなっているため、メディア、政治、市民社会は世界全体で何が起きているのか、もはや把握できなくなっている。まるで誰もが夢遊病者のように世界的大惨事に向かってふらふらと歩いているようだ。
多くの危機はおよそ人間にはコントロールできないかのようで、近代という文明モデルは重圧にさらされている。このモデルは簡単にいうと、科学技術の進歩と経済的進歩を組み合わせれば、誰もがより良い生活を送ることができるという発想に基づいている。できるだけ多くの人のための富の創造と自由民主主義社会を組み合わせれば平和と幸福が訪れる、と。
現状を見るかぎり、この約束は果たされていない。このモデルの巻き添え被害と欠点は、恩恵を上回る。だから今、多くの思想家、ビジョナリー、政治家らがまったく新しい発想を求めている。
私は本書で、現代の問題に対処するためには新たな社会契約が必要だと主張していく。私たちが身を置く危機の時代を乗り越えるには、まさに「新しい啓蒙」が必要なのだ。この新しい啓蒙は道徳的な人間の進歩をハモノやサービスの社会経済的生産手段と、さらには豊かさや繁栄と早急にリカップリング/(再統合)、しなければならないという考えを出発点とする。」

これって今の世界の問題点、危機感を書いていますが、また「マッドアダム」の書評じゃないかと思うのは、アトウッド氏の筆の根っこにある現状認識が正しく現実的だからでしょう。「倫理資本主義の時代」はハヤカワ新書から。「マッドアダム」は岩波からですが、三部作の第一作「オリクスとクレイクの物語」は早川書房でした。両作品が早川書房から出版されているのもまた早川氏の慧眼化と。

マッドアダムのパンデミックにはこんな箇所が

「ヘルスワイザーはビタミン剤と市販の鎮痛剤をいろんな病気ーその治療薬は彼らのコントロール下にあるーのベクターに使っているんだ。今、実際に流通しているのは白い錠利。無作為にばらまかれるから、どこか特定の場所がその疫満の発生源だと疑われることはない。彼らはあらゆる方法を使って収益を上げている。ビタミン剤で儲け、市販の薬で儲け、そして病状が深刻になれば入院治療で儲ける。治療薬だって病気が再発するよう細工されているからね。
被害者のお金を吸い上げてはコーポレーションの収益にする、よくできたプランだよ」「これがその白い錠剤だな。じゃあ、黒と赤は何だ?」
「わからない。まだ試験中のもの。おそらく何かの治療薬か、即効性を高めるものか。成分を安全に確かめる方法すらわからないんだ」
ゼブは事態を呑み込み「でかい話だな」」

コロナも倫理観のない製薬会社と政府によるものだったのかしら。

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