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永田町の殿中でござる

12月14日は討ち入りの日。この時期は「赤穂浪士」が沢山というのは昔のことで、今はBSあたりの再放送であるかないか、という寂しい状況です。どうやらこういう事情もあるみたいです。

そんな中、今年はBS朝日でマツケンの大石内蔵助を4日連続でやっていました。吉良上野介は伊東四朗氏であります。春日氏の「大人気俳優」って今いるんでしょうか。

実際これ見ていると松平健はマツケンサンバが重なり、伊東四朗は電線マンが浮かぶので、なんだか軽いのなんのってね~。

女房と話をしたら、吉良上野介は「小沢栄太郎」が浮かぶとのこと。私は「月形龍之介」(市川右太衛門と片岡千恵蔵がそれぞれ内蔵助をやった映画の吉良役)なんですが、小沢ということはNHKの大河「元禄太平記」でしょう。これは主役が柳沢吉保(石坂浩二)で内蔵助は江守徹氏の回です。
ちなみに江守氏はマツケンの方では「大石東下り」の垣見五郎兵衛役で登場しておりますが、垣見という顔芸の見せ場なので良い演技でありました。

実は途中からBSイレブンの「日本侠客伝 花と龍」に切り替えてみていたのですが、その顔触れは豪華でした。
中でも迫力のあったのは「若山富三郎」「高橋とよ」「小松方正」に「上田吉二郎」です。
「若山」と「高橋」はヤクザの親分で二人とも押し出しが良い!
「若山」の少々とぼけた顔の裏に見せる迫力はさすが。
「高橋」は小津映画のおばちゃん役もいいのですが、女親分は清川虹子に匹敵するくらい最高です。
「小松」は本当に見ていて腹の立つような悪役ぶりがかえって爽快です。
「上田」はボケかけた親分役ですが、ああ「金子信夫」ってこのセンが入っていたのかとわかりました。
失礼ながら何れも美男美女とは程遠い凄い顔ばかりで、こういう脇役がいるから主役「高倉健・藤純子・星百合子」が引き立つんですね。
それに比べるとマツケン赤穂浪士は脇役も綺麗な顔ばかりで、本当に軽い。

さて話を戻して、忠臣蔵の吉良は「高家」という儀式指導の役職というのは知っていましたが、ちゃんと調べようとWikiをみると。

「高家(こうけ)は、江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。」

とあり、また

「公式の場における礼儀作法を諸大名に伝授することも職分であり、その際、相応の謝礼を受けることが黙認されていた。諸侯から贈られる金額は相当の額に及び、そのため生活は楽であった。」

とありました。なんだ映画なんかでは欲深の業突張りのジジイとして上野介は描かれていますが、安倍派のパー券キックバックみたいな袖の下というわけではなく、金貰ったりするのは普通のことなんですね。

丁度先日NHKの「知恵泉」で今川氏真をやっていました。私は大河はもう10年以上見ていないのですが、今年の回には氏真が出ていたのですね。最近NHKの番組は番宣が多くてウンザリしていますが…。
そこで知ったのは今川氏真と吉良上野介は遠い親戚であったということ。今川家は幕末まで「高家」を務めていたそうですし、氏真の孫娘が吉良家に嫁いでいて、その子孫が上野介なのだそうです。

知らなかったな。NHK-BSで「英雄たちの選択」の細川幽斎の回で「古今伝授」(「古今和歌集」の解釈を一子相伝の秘伝として伝える)というのを知ったのですが、それとの共通点も感じました。

幽斎はその役を務めていたがために、関ヶ原の前に光秀の娘(細川ガラシャ)が光成に攻められて大阪で自害、幽斎らが西軍に囲まれて籠城していた時に、宮家が「古今伝授」が絶えてはならないと幽斎を救ったというのも初めて知りました。

結局武士であっても混乱から安定に進む中で、いかに昔からの正当性を持っているのかという「形」がないと締め付けが出来ないのだということなのだと思います。
源平交代説(武家政権は平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)が革命(易姓革命)的に交代する)という俗説がありますが、これもポッと出の成金ではなく、過去からの繋がりがあるという正当性を示しているのでしょう。

「高家」も「古今伝授」も内容以上に「その形・解釈は古来からのものを踏襲してますよ、だから今のやり方は正しいのです」という論旨から来る役割なんでしょう。

今の冠婚葬祭なんて昔からやっているものではないですから、正当な形などその時その時に変化しているわけですから、現状もそれでありなんだと思います。今の葬式だって結局はせいぜい戦前、戦後からのスタイルに過ぎないし、ブライダルコーディネーターも「高家」というわけではないですからね。

春日氏は「スター俳優を集め、一大プロジェクトとして制作してきた映画会社やテレビ局の現場の資金力低下が理由」と言っていますが、これって自民党に重なりますね。「世襲議員を集め、派閥プロジェクトとして組織してきた陣笠議員の現場の集金力低下が理由だ」という感じでしょうか。

永田町の殿中のごたごたで岸田丸が沈没寸前ですが、結局は有象無象の自民党を束ねていたのは総裁ではなく、派閥の切磋琢磨(?)緊張関係だったということで、その派閥も「モチ代」と「猟官活動」の餌でまとまったかのようにしていただけですから。忠臣蔵映像の衰退同様、自民には「高家」もいないし、1955年に結党して3四半世紀になるのですから、まあ崩壊してもおかしくない、賞味期限切れということではないでしょうか。

広島一区は浅野本家の地元ですが、岸田君はどこかに「高家、吉良上野介」はおらんかな~と無いものねだりしているのでしょうね。

タイトル写真は高野山の「無量光院」です。浅野家の高野山の菩提寺ですが、昔12月14日に宿坊に泊めていただき、朝のご祈祷にも参加しました。その時まさに討ち入りの日でもあったので、ご祈祷の際には「大石内蔵助…」と浪士の名前を一人ずつ挙げて護摩をされており、元禄以来毎年やっているのか…とこれまた「高家」ではないですが、その積み重ねに圧倒された記憶があります。

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