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墓地すなわち図書館

先日ネット経由でラジオで聞いて驚きました。

最初はJET STREAM懐かしいな~と聞き始めたのですが、なかなか城達也の渋い声も懐かしく、選曲がもう一つでしたが楽しんでいました。
すると城達也が「大谷翔平が…」と語り始めて「はて?」城達也はとっくになくなっているので、大谷の活躍など語れるはずはなかろう、と思い違和感を感じつつもやはり城達也の渋い語りに聞きほれてしまいました。
すると番組のキャスターがこれはAIによる音声と言われて、やっぱりと思うと同時に、これってどうなんだろうか?と感じたのです。

JET STREAMは今はどうか知りませんが、かつての番組はイージーリスニング的な選曲の合間に城達也氏の語りで番組として独特のリズムを作っていました。どちらかというと選曲よりも語りの方が特徴的だったと思います。
その語りの部分を内容はどうあれAI音声で語るというのは私にはすんなりと受け取れません。

こういうのするのだったら「ドラえもん」も「ちびまる子ちゃん」もAI音声でやればよかったのでは?恐らくその方がコスト的には安上がりで制作会社側はハッピーではないかと。

図書館で借りた本に「安倍公房 21世紀文学の基軸」があります。神奈川近代文学館で開催された「安部公房展」の公式図録です。

特別展のサイトを見ても彷彿とするように、安倍公房は相当早い時期からワープロやシンセサイザーに入り込んだ、どちらかといえばオタク系だったと思います。その図録の中に三浦雅士の項があり、その一部を無断で抜き書きします。

言うまでもなく、漱石も賢治も安部公房も死者である。にもかかわらずなぜ、これほどにも生々しくいまなお生きているのか。死者は歴史に住まうが、死者も歴史も日々新しいのはいったいなぜなのか。なぜ、歴史は書き変えられ続けるのか。それはほとんど人類が書き変えられ続けるに等しいのではないか。
インターネットは現在そのものの体現のように思われるが、そのじつは死者たちが充満する世界にほかならない。墓地すなわち図書館と同じだ。太古から変わらぬ事実だが、いまやインターネットの全世界的な普及によって、その事実の仕組みが解明されようとしている、と、私には思われる。先に挙げた一群の作家もまたそう思わせるのである。
安部公房の世界はそのような問いと答えが反響し続ける時空であるというほかない。

そうか、城達也も図書館たる墓地の死者の一人で、ネットによって墓を掘り起こされ語らされているというわけか。
タイトル写真は「繭の内側」という安倍公房の部屋の再現、ヴィデオ・インスタレーションの写真(図録より)です。

遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、
たゆみない  宇宙の営みを告げています。

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