見出し画像

年末年始の鈴木家の助かり感と困り感

この度の年末年始はとても長かったですね(と言っても、娘の中学校も坊やの養護学校もまだ始業式始まりませんが。。。)
年末年始は放課後等デイサービスも日中一時支援もお休みとなるので、我が家の坊や(ダウン症児)は家族でなんとか支えることになります。
わたしのくらしプロジェクトで行っているフリースペース事業や地域の遊び場、家の前でのソリ遊びなどでなんとか乗り切れるかなーと思ってました。
確かにそういった場が開いているときやイベントのときはたくさんの方々から坊やも遊んでもらい、楽しんでいる様子です。

正月3日あたりからちょっと様子が変わってきた感じ。帰宅後に車から降りようとしないで泣く、ソリ遊びを終わることができず玄関先で泣く、などイヤイヤ的な行動が目立ってきました。僕も辛抱強く関わらないと、と思いながら接していましたが。。。何度も繰り返されるとこちらもイライラが募ってしまい。怒りが抑えられず強い言葉を投げつけたり、叩いたりしてしまいました。。その後には僕自身強い後悔に囚われてしまい、気持ちの落ち込みや体調不良につながってしまいました。

強い言動やアクションで子どもの行動変容を促すのは難しい。彼の世界を見に行きながら、彼の思いを推量しながらのかかわり・・・とは思いながら、自分自身の怒りを抑えることができない。アンガーマネジメントにおける怒りの6秒間を耐えることができない・・・

ほんの1週間程度の話でしたが、結構精神的にも追い詰められた実感がありました。現在は母親が支援者として手伝ってくれているので大変助かっていますが、ゆかりのない土地で母子家庭のお母さんなんか本当に大変なのだろうな・・・と肌感覚で感じられました。

地域活動を通して、暮らしの基本的な部分でのつながり、たがいに少しずつきづかいあえる関係づくりを目指しています。しかし「何かできることがあれば声かけてくださいね」「何かあったらいつでも言ってくださいね」という言葉の権力構造・暴力性を感じてしまっています。
今回の僕のような場面では、こういう言葉はほぼ役に立たない。じゃあ、と息子をその方に預けることもできない、その方から自宅で息子を見ていただくことも難しい。では公的サービス・・・でもお盆や年末年始はやっていない。
「何かできること」・・・申し訳ないけども、なにもないです。
「何かあったら」・・・言っても解決できないですよね。
皮肉ではなく、事実そうだからそう感じてしまいます。
では何ができるのか・・・自分が耐える以外の選択肢は今のところ考えられません。このあたりの地域では日中一時支援や短期入所の社会資源も極端に少ない。気軽に利用できる雰囲気では全くないのです。。

こういう課題感を文章にしておくことで、自分自身の課題として言語化しておけるかな、と思い書いてみました。次のお盆休みにはなにか具体策を自分に提示できるかな。皆さんからもアドバイスいただけると嬉しいです。


いいなと思ったら応援しよう!

鈴木直
サポートによって、山形県最上地域・新庄市での地域活動の資金に充てさせていただきます!