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細川周平「アメリカでは──カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』を読む」-その4
マニャタン 彼はアメリカ合衆国をブラジルの反転と見る一方で、ニューヨークだけは特別扱いしている。八〇年代に初めてこの「アングロサクソンの世界帝国の首都」へ行った時、イベリア半島やイタリアよりももっと親しみを覚えたのは、そこがサルヴァドールや生まれ故郷サントアマーロと同じ「アメリカの領土」にいると実感させたからだった(489ページ)。そこにはブラジルと同じように「運命的に混血の現実」が動いている。混
もっとみる細川周平「アメリカでは──カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』を読む」-その3
「英語を覚えなさい」 六〇年代後半、ビートルズやストーンズを外国語の歌として聴いた若者にとって、英語は特別な意味を持った。英語の響きはバンドのサウンドにあまりに組み込まれ、別の言語のカバー・バージョンを色あせた二級品にしてしまった。「英語の侵略」──アメリカがいう「英国の侵略」というよりも──は、各国で同時に進んだ消費文化──とりわけ都市中産階級の若者のライフスタイル──のアメリカ化のプロセスの一
もっとみる細川周平「アメリカでは──カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』を読む」-その2
マリリン、ウォホール、シャクリーニャ 『熱帯の真実』は「エルヴィスとマリリン」という章から始まっている。ウォホールを連想しないほうがむずかしい。カエターノは少年時代にこの二人のスターにひかれたことはなく、むしろウォホールを経由して近づいた。トロピカリズモが運動になり始めていた六七年には、サンパウロのビエンナーレ美術展で、アメリカのポップ・アーチストと接触し、スーパーマーケットに向かう自分の道のりに
もっとみる細川周平「アメリカでは──カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』を読む」-その1
月刊誌『ユリイカ』2003年2月号「カエターノ・ヴェローゾ特集」に掲載された音楽学者の細川周平さんによる『熱帯の真実』評を、細川さんと『ユリイカ』編集部のご厚意により、ここに再掲します。
このテキストは、『熱帯の真実』の編集をしながら何度も参照し、そのたびに細川さんの読みの鋭さ、的確さ、深さに感嘆していました。ポルトガル語による原書の発売から5年あまり、全文を読み通した人が日本に何人いただろう?