青にゆれる
夢の中では、私の顔にアザがない。
この話をするのは初めてだ。
というのも私自身、気付いたのがつい最近のことだから。
夢の中で、私は旅先のショッピングセンターにいた。
急に雨が降り出して、傘を買おうとしている。賑やかなBGMに混じって、私の大好きなアーティストの曲が聴こえた。聴いたことがない曲だったけど、そのアーティストの作品だとわかる。
曲をかけているお店を探して歩きだすと、ショーウィンドウに私の姿が映った。
スマホを片手に、誰かにLINEしようとしている私。アザがある。
「うわあ・・・、夢の中であたしの顔にアザがあるの初めてかも」
夢の中で、私はそう思っていた。
☆
『青に、ふれる。』という、顔の右側に大きな青いアザ《太田母斑》がある女の子・瑠璃子の物語を、6年にわたって描かせて頂いた。
最終7巻が発売されてもう半年。
それでもいまだに読んで下さって、わざわざ感想を綴って下さる方がいる。本当に嬉しいし、描いて良かったなあとしみじみ思うし、いまだに頂いた手紙を読み返して泣いてしまったりもする。
眠れなくなってしまったりもする。
そう、私はいまだにゆれている。
私の顔にも、生まれつき《太田母斑》がある。
『青に、ふれる。』の主人公・瑠璃子とは反対の、左側。
自己卑下と葛藤の暗黒時代をなんとか生き延び、レーザー治療やカウンセリングにも手を出し”自分を好きになりたい”ともがいていた濁流カヌー時代も潜り抜け、
今はゆるっと穏やかに、どんな自分もOKじゃーんになっている。
大海原を豪華客船で渡っているような感じ。
それでも。
”ルッキズム”と表題のついた記事は必ず読んでしまう。
”レーザー治療”の広告を街中で目にするたび、思考が一瞬止まる。
一度しか行ったことのないお店なのに、店員さんに覚えてもらっていると思考がかけめぐる。
スマホのカメラを向けられるととりあえず笑ってしまう。顔の右側が映るように、首をぎこちなく動かしながら。
「生きづらさをアザのせいにできていいよね」
その昔、友人に言われた言葉を思い出す。
簡単に暗黒の濁流に飲み込まれそうになる。
それでも。
「鈴木さんの笑顔、私好きですよ」
「のんさんの愉快な性格が好き…あ、もう一軒行きます?」
「え、アザ?ごめん。言われるまで気にしてなかった」
私の周りにいてくれる人、いてくれた人が渡してくれた言葉を思い出す。
溺れかけている私を掬い上げてくれる。
濡れてしまった身体を乾かしたら、自分でマッチを擦って、光を灯すことができる。
『青に、ふれる。』を描きながら私がしていたのは、悲しみを愛に変えることだった。
怒り、やるせなさ、理不尽さ、不平等さ、孤独感。
モヤモヤと喉やお腹にまとわりつくこれらの感情は、すべて本当は”受け入れてほしい””愛されたい”につながっているのだと。
アザはただの、ひとつの原因にすぎない。
なにか”ネガティブ”とされるもののせいで、自分が愛し愛されている存在だという、この世界の大事なことから隔てられてしまっている…それを思い出せばいいだけ。
思い出すだけでも十分なのだ。
『青に、ふれる。』を描き終わった時、私は自分の名前も、生い立ちも、性格も、顔さえも、愛せるようになっていた。
アザは今のところ治療しないと決めている。
私はこの顔で生きてきたし、そんな自分を愛おしいと思っているから。
それでも。
「アザとかがないとキャラ的に物足りない感じがして」
「アザあるとさ、気になって見ちゃうよね。逆に有利じゃん?」
「強いですね」
やっぱりゆれる。全然ゆれる。
ただ、いちいちゆれたり考えてしまう私を、愛おしいと思う。
以前よりも、とんでもなく無神経で「よくぞそんなことを口にできましたね…!」と内心思うような事を言われる機会も減った。
世界はちゃんと、優しい方向に変わっているんだなと、幸せに思う。
それでも。
夢の中の私は、アザのない顔だった。
アザがある自分を見るまで、気付かなかった。
起きてから、とてもゆれた。ゆれる自分を愛おしいなと思いながらも、自分の涙で溺れるかと思った。
☆
私は旅先のホテルのベッドにいた。
隣に寝そべっている恋人が、私の右の頬を撫でている。
「幸せ・・・」
そう呟きながら、私は(この人は私の左の頬も、同じように撫でてくれるだろうか・・・)と思っている。
恋人に撫でられながら、私は左の奥歯をきゅっと噛みしめている。
これもまた夢の話だけど。
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