_メシ__190810_0044

作業の日

12時近くまで寝ていた。

私はソファで転がっていて、起きたら沖田が元気そうな足音を立てて部屋を行き来していた。目を覚ますと、寝起きには眩しすぎる爽やかさで「おはよう」と言われる。

朝からトイレ掃除をし、トイレマット等々を放り込んで洗濯機を回し、バジルとしその水をやり、からの洗濯もの干し、などなどを一通りこなしたらしい。とても清々しそうであった。それはそうなるよな。

そのあと素麺をゆでてもらった。私はねぎとみょうがを切った。

出来上がってみるとひどく輝かしい素麺だった。夏だな…

ふたりとも書きものの仕事があり、私が家にいるとだれてしまうのでどこかに行って書こうと言った。

うちはちょっと頑張って歩いけば吉祥寺へ行ける。吉祥寺なら喫茶店がたくさんある。といううわけで行き先は吉祥寺に決まったが、最高気温38度予想のめちゃくちゃ暑い日で、外に出た瞬間の熱気におののく。暑い。

ムーバスに乗ろうということになった。

ムーバスは吉祥寺周辺を循環しているバスだ。100円で乗れる。安い。このバスの利用者の約80%がお年寄りだ。だいたいいつ乗ってもお年寄りでぎゅうぎゅうだ。病院や住宅地の方を循環しているので便利なのだろう。

ムーバス内は譲り合い文化が盛んである。席が空いていて誰も座らないと諸先輩方が「ここ空いてるから座りんしゃい」というようなことを言う。

その日は子供2人連れのお母さんが乗っていて、サングラスをかけ手押し車を携えたマダムが「座りんしゃい」とやっていた。マダムの隣の席がひとつ空いている。言われた母親は、遠慮してなのか座ったら座ったで大変だと思ったのか頑なに座らなかった。「子供連れて大変なんだから座りんしゃい」と2、3回くらい攻防していたが、母親は会釈するだけでやはり結局座らなかった。最終的にマダムの「座りんしゃい」のターゲットが目の前にいた沖田へ向いた。そこに沖田がすとんと座り、ひとまず収まりが付いたのだった。

しばらく揺られていると近くに席の老夫婦が「病院はどこで降りればいいのだっけ…」と話しているのが聴こえた。するとすかさず「次で降りりゃあいいよ!!」と声が飛んできた。少しガタイのいい中年男性だった。少し声は大きくてビクッとしたが、言動はやさしい。「あ…ありがとうございます…」と夫婦は返して次の駅でゆっくりゆっくり降りていった。

たった十数分の乗車だが、密だなあと思った。ゼロ距離のコミュニケーションだ。平日の山手線じゃ絶対起こりえない。

目の前の知らないお婆さんににこっと微笑まれる。

沖田を見てみるとこの人もまたにこにこしていた。沖田はじいさんばあさんが好きだ。

住宅街を進み病院に寄って、ちょっと遠回りで吉祥寺に着いた。

さて作業場探しだ。沖田は喫煙者なので、煙草が吸えるところを探さねばならない。これがなかなか見つからず彷徨った。本当に喫煙できる飲食店が減ったなあと思う。私も数年前までは喫煙者だったのだが、だいたいの飲食店には喫煙できる席があった。今はもうファミレスはほぼ全面禁煙だ。

星乃珈琲へ行ってみたが、7月から全面禁煙。最有力候補のコメダ珈琲店は入ってみたら数名が並んでいてほぼ全員が喫煙席待ちだった。ちょっと覗いてみると喫煙席はBOX三席とカウンター数席しかない。かなり縮小されている。

最終的にたどり着いたのがサンロードのエクセルシオールカフェだった。これがなかなか穴場だった。思ったよりけっこう広い。窓際のカウンター席には充電できるコンセントがある。ここで各々ぽちぽちと作業を始める。

私は今度出す脚本案の登場人物の整理、沖田は落語を聴きながら落語っぽいものを書いていた。

隣の机では大学生くらいの三人組が「ビジネス」ぽい話をしていた。早口で構想を話す内容は新事業がどうの。夢あるなあ、と思いながら聴いていた。

外の空間っていうのはなんでこうも集中できるのか。人の話し声や物音やなんとなく流れているBGMが適度に気を紛らわすんだろうか。家だとすぐにベッドに寝転がってしまったりするが、さすがにここで寝転がるわけにはいかない。人の目というのは重要だ。

17時。私は気付いたら平沢進の音楽史を追っていた。集中が切れていた。沖田がふいに「お腹すいたね」と言った。このままここで軽食もいいが、作業もぼちぼち進んだし家に帰ろうということになりカフェを出た。

暑さは少し和らいでいた。

肉屋のさとうの行列がこの日は奇跡的に短かった。いつもは通りを跨いで並んでいるのに、今日は10名ほどしか並んでいない。ラッキーとばかりに行列に参加。沖田はここのメンチカツをずっと食べてみたいと言っていて念願かなって嬉しそうだった。私は幼少の頃、今はもう亡くなったババがよく買ってきてくれたのを思い出していた。紙袋に入った丸くて美味しいメンチカツ。

そんなに待たずに順番は来た。沖田はメンチカツを買い、私は悩んでけっきょくコロッケにした。

「え、ここまできてコロッケ?」と言われたが、コロッケはまだ食べたことがなかった。そもそも、ここのメンチカツは私にとって「買ってきてくれるもの」でちゃんと並んで買ったのは初めてだったな。

紙袋にはいったコロッケを取り出し、かぶりつく。初めて食べたさとうのコロッケは感動的においしかった。

沖田も念願のメンチカツを美味しそうに頬張っていた。

コロッケとメンチカツを交換して一口ずつ食べた。

沖田は開口一番「コロッケうめー!」とひどく感動していた。

メンチカツはやはり思った通りの味がした。


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鈴木のすり
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