プロフェッショナル〜発信側と受け手側〜
プロフェッショナルの出川哲朗さんの回を見させていただきました。
自らを芸人ではなく、リアクション芸人だと認識している出川さん。
芸人さんはネタを作ったり、コントを作ったりして、舞台に立つ経験を持っている人と解釈されていました。
言われてみればたしかにそうだなと感じます。
番組の中で、
①BPOが痛がっている芸人さんの映像について、制作側に配慮を求めるようになったこと
②20年前出川さんが言われのないところから嫌がらせを受けていたこと
がとても気になりました。
①に関してはこの配慮よりも家庭の教育力だったり、対話に費やす時間の少なさが気になっています。
わざわざスーパーやテロップで注意書きを書かなくても本来分かりきっていたことのはずなのに、そこへの想像力が無くなって来ていることもとても心配です。
前に、ビートたけしさんが同じような話題について、「じゃあよ、御涙頂戴の作品ばっかり流してもどうして世の中良くならねぇんだ?」
とおっしゃっていた事を思い出しました。
過酷な現場をお茶の間の視聴者に笑顔を届けたいという思いでやり抜いて、一緒にお風呂に入ったり、楽屋で反省会をしたり、一緒に飲んだりする中でたくさん話して、お互いの良いところ悪いところを見つけつつ、信頼し合っていくからできる絆。
その絆があっての芸なのに…
テレビ離れが深刻になって来てしまっている理由が垣間見れた気がします。
視聴者が自分達で自分の首を絞めてしまっている気がします。
②に関しても本当にひどいなと感じます。
「出川狩り」なるものが横行していたり、実家の海苔屋さんに「横浜の恥」といって嫌がらせをしに来る人がいたり、なんでそんな事をしてしまうの?と思わずにはいられないことが起こっていたそうです。(特に渋谷は酷すぎて一時近づけなかったそうです)
テレビに出ている人も人で、生活があったり、仕事でプロとして体当たりで臨んでいることに想像が及ばなかったのでしょうか。
今その世代が、お子さんやお孫さんを持つようになって出川さんは絶大な人気を得ています。
(出川さんは逆風に負けずにやり抜いて突き抜けたんだなと心から思います。良いお手本を見せていただいているようでリスペクトします)
お子さんやお孫さんが出川さんの活躍を見て笑顔になっているとき、それを見てどのような感情になるんですかね…。
昔こんなことがあってね…と真実を話す覚悟はあるのでしょうか…。
ちょっと心配になっとことと辛辣なことを書いてしまいました。
さまざまな理由でテレビを見なくなったという方もいらっしゃるかと思います。
発信側は日々芸を磨いていらっしゃるのに対して受け手側はどうでしょうか。
鍵を握るのはやっぱり家庭の教育力になってくるのかなぁと感じております。
最後までご覧になっていただきありがとうございました!