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#255 読書日記39 多様性の科学と組織のあり方

マシュー・サイド『多様性の科学』
ディスカヴァー・トゥエンティワン

画像生成AIだと男前になるな・・・

チンパンジー先生の読書日記。
やっと夏休みで余裕ができた。
“ 読みかけ放置の積ん読 ” 掃討作戦決行。

組織マネジメントとかチーミングの肝は何かということを科学的に解明するお話。

私自身、組織を束ねる立場にいたこともあるが、さほど能力が高くなかったせいか、何か見えない敵と戦っているような感覚に陥ることが何度もあった。

大小さまざまな改革は手がけたりもしたが難儀することの連続だった。
チンパンジーだもの‥‥

■多様性の視点

困難を乗り越えて改革を実現したとしても、組織の劣化は3年も経てばジワジワと押し寄せてくる。

ジワる頃には「終わってるなコレ」となりかねない。

改革には相応のエネルギーが必要になる。
思わぬところでブレーキがかかったりして、なかなか前に進めないということはよくある話だ。

本書で使われている多様性(ダイバーシティ)という言葉は極めて今日的ではあるけれど、我が国にしっかり根づいている理念とは言い難い。

同じ言語でコミュにケーションしていても、個人の内面は多様だ。

ビジネスの場面では言葉遣いや振る舞いに関することはうるさいが、頭の中にある本音や多様性について互いに議論することが足りていない。

「推して知るべし」
「忖度する」
「あうんの呼吸」
「言わなくてもわかるだろう」
「俺の背中を見ろ」
「教えを請うより盗め」

ことば不要の文化がそこらじゅうにある。

組織は「失敗の共有」が大切とは言うけれど「報連相」がトップマネジメントどころかミドルマネジメントにすら上がってこないことはよくある。

知らぬはリーダばかり」という状況だ。

致命的でないにせよ、小さな失敗も積もり積もれば大きな失敗になる。

米国の「9.11」の事例はなるほどと思った。

CIAがビン・ラディンの動きに関する情報を読めなかったがために負の連鎖が起こり、9.11の悲劇が生まれた。

ドナルド・トランプが狙撃された事件も、FBIやシークレットサービスとして何か読み落としていることがあったのだろう。

シークレットサービスのキム・チートル長官(辞任)が連邦議会下院の説明責任委員会で述べたとおり、過去数十年で「最大の作戦上の失敗」と述べている。

大統領を標的とした銃撃事件は、ケネディ大統領の暗殺とロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂がある。

過去2度しか起きていないし現職ではないから、といった確率論で警備の強弱を決めるわけにはいかない。

シークレットサービスの護衛力は世界でも屈指の実力でありながら、組織内のコミュニケーションがどう機能していたのか、そこに慢心やおごりはなかったのか検証が進められている。

本書の中に「多様性がないと集合知は発揮されない」という言葉がある。

別な言葉を使えば、組織には「前向きな人」「ぶらさがる人」「しがみつく人」「脱落する人」がいるということになるのだが、能力には凸凹があって当然で、もし組織構成員の全てが能力が非常に高く、なおかつ同質であったなら(現実にそんな気持ち悪いことはないのだが)、組織として高いレベルで成功を収めることができるかというと、そうはならない。

組織とはバラバラな個性の集合体だ。
正にダイバーシティである。

組織は人心操作をどうするかが常に問題となる。

本書では、画一的な組織は判断を誤り失敗しやすいということが前提になっている。

画一は多様性を見過ごす。
多様性を悪とみなさず直視することが必要なのだろう。

思いっきり大雑把な言い方をすれば、
変なヤツもいる、めんどくさいヤツもいる、能力が低いヤツもいる、ドジなヤツもいる、それが組織というもので、それでも皆が同じ方向を向き、共に手を携えていくマインドを醸成するのがリーダーの役割なのだろう。

多様性を受容する力がイノベーションへとつながる。

ヒントは、個々の内面に無数に内在するバイアス(固定観念や偏見)を排除すること、若手とベテランの対立や上下関係を取り払った円滑なコミュニケーションを図ること、受ける人ではなく「giver(与える人)」であることがあげられている。

過去の政治・経済、ビジネス上の歴史的失敗や事件をみると、いずれも「不均衡なコミュニケーション」がキーワードになっている。

多様性があるからこそ、
「わかり合うためにはどうする?」
「相互理解をはかるために何をすればいい?」
「言葉を合わせるためにどう対話する?」
といった考える機会をつくれるのだろう。

今の私は、学内の教職員はもとより学生との対話を大切にすることだろう。