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#117 面白半分日記17 尽きぬ煩悩の声、諸行無常の響きあり

2023(令和5)年も残り少なくなりましたね。
いつも私のつまらない煩悩にお付き合いいただきありがとうございます。

大晦日の除夜の鐘を聞きながら私の煩悩を消すには時間が足りません。

私の中に次々と生まれてくる煩悩は年間365個ありますので、今日から3日間noteをほっぽって、自分と向き合いながら、ひとつひとつやっつけていきます。

中学生の頃、暗唱させられた平家物語によりますと
祇園精舎(古代インド仏教のお寺)の鐘の声には、この世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがあるそうです。

勢い盛んではげしい者も結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようなものです。

あれ? 何の話でした?

平家物語から始まる連想ゲームで辿り着く歌があります。
連想だから話はどんどん飛躍します。

塵ですね。
塵といえば・・・・

1977年にカンサスがリリースした
Dust In The Wind
の歌詞とメロディーが思い出されます。

風の中を舞う塵
すべては風の中を舞う塵

特に、サラ・ブライトマンのカヴァーを聞くと心が洗われます。

青春時代の失恋した時期と重なる歌で、当時は切ない思いで聞きましたが、そんな思いも塵となりどこかへ飛んでいきました。

人間の煩悩なんて、ちっちゃくてつまんないことばかりだけど、時の流れの中で過去のものとなり消えてゆくものもたくさんあります。

消えずに語り継がれている「良いこと」「悪いこと」には何か意味があるに違いありません。

そこで私たちは問いを立てて考えていくのでしょう。

■今年最後の学生との対話から

「ボクら “ ゆとり世代 ” は、実はゆとりがないことで焦っています」
ワークショップでの学生の発言にふと思った。

どこからどこまでが「ゆとり世代」なのか。
いまの大学生は、「脱ゆとり」の洗礼を受けた世代ではないかと思ったのだ。

その線引きは微妙だ。

教職課程の授業用に作成した学習指導要領の変遷を今一度ふり返ってみた。

10年に一度の学習指導要領改訂は、国の教育の方向性を知る上で目安になるが、学校現場は手のひらを返して何もかも一気に変えて動けるものではない。

数年間は、変わる学校(教師)変わらない学校(教師)が混在しながら新しい教育が推進されていく。

前回改訂の学習指導要領は「脱ゆとり」で学習量が増えた。
その中で教育を受けてきた世代でも、自分たちをゆとり世代と自称する者が結構多いようだ。

ゆとり教育が始まろうとしていた当時、騒がれた話題がある。

円周率=3.14を円周率=3で教えることになった」ということが、ゆとり教育の象徴として語られたが、実際には3.14で教え続けられてきている。

田舎は「のんびり、のびのび」の教育を堅持し、「これこそ “ ゆとり ” だ」と捉え、田舎に暮らしの拠点を移す人もいた。

1980年後半あたりからだろうか
ゆとり教育がじわりじわりと進行し、2000年に入ると
やっぱりこりゃダメだ!学習量が圧倒的に足りない!!ゆとりぶっこいているとロクなことにならないぞ」となり、
脱ゆとり宣言」が語られ始めた。

今の子どもたちは考える力がない
と大人たちは眉間にしわ寄せながら嘆く。

まるで自分たちには考える力があるかのように・・・・

20年前、四十だった私も、教師とチンパンジーの狭間でブツクサ言っていたのかもしれない。

孔子が言うところの “ 不惑 ” の年齢であったが、惑うことばかりだった。

自分のことは棚に上げて、世を憂い嘆くのが大人の世界。

「子どもの読書量が少ない」
「子どもの読解力が低い」
「子どもの学習量が少ない」
「子どもの道徳観が危うい」
「子どもの辛抱が足りない」

考える力が弱いのも、考えることを避けるのも、読書量が少ないのも、道徳観・倫理観が低下しているのも、大人たちにだって言えること。

子どもは大人を映し出す鏡だから。

社会全体にはびこっている問題を客観視することは大切だが、
「子ども」を主語として語る前に、「大人」「わたし」を主語にして語る必要があるのではないだろうか。

子どもたちの可能性、伸びしろは、期待に満ちあふれている。

大人は子どもより長く生きているのに、それらが身に付いていないとなれば、むしろ子ども達以上に深刻である。

いま、国を牽引するはずの国会議員が裏金疑惑で、東京地検特捜部の家宅捜索を受けている。

その中には、文部科学大臣政務官、教育再生担当大臣、文部科学大臣まで務めた政治家もいる。

私は、高校で校長をしていた時、その人物から教育改革の実現に向けた訓示を受けている。
何をかいわんや。

私が教師になった1983年、すでに「思考力の育成」が唱えられていた。
あれから40 年がたった。

「考える力」が一向に育てられていないとしたら、依然として大人に考える力がないからという見方もできる。

カネ勘定は冷静な思考の妨げになることもある。
裏金は自分をダメにするだけでなく組織を、さらには国を滅ぼすことにもなる。

国民に正しい経済教育(行動経済学)と簿記教育を!・・・・
と、ふと思った。

今次の教育界改革のポイントのひとつは「思考力・判断力・表現力」の豪華三本立て。

個人的には知育・体育・徳育だと考えている。

五育(知育、食育、体育、徳育、才育)という理念もあるが、3本柱の中に落とし込むことで補えるだろう。

考えることは問うことから始まる。
考えが漠然としているのは、問いが漠然としているから。

具体的に考えるためには、具体的な問いを立てなければならない。

問いの質と量が思考の質と量を決める。

新年も改めて学生たちと共に問いを立て考えていきたい。

新年もよろしくお願いいたします。