#188 認知構造 ~ 大切なことは目に見えないんだよ
■ものごとは心で見る
先日の教育心理学は「認知」に関する講義だった。
私たち人間の脳は、外界にある対象データとなるヒト、モノ、コトなどを知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする非常に高度で複雑な処理をしている。
「あまりにも複雑なので私にはよくわからない。
だから授業は以上で終了!残り時間は休講!」
・・・と言いたくなるが、そこは百戦錬磨のチンパンジーだ、いつもギリギリのところで踏みとどまっている。
わかったフリをして説明するのがチンパンジー教授である。
幼少から少年期前半の私は緘黙傾向が強かったので文学の世界に没頭し、何か思考を整理するときは、いろんなセリフやシーンと連結させていた。
基本的に今も変わっていない。
自分なりに理解したことや認知できたことを生徒・学生、保護者に伝える場合、文学や童話(イソップ、アンデルセン、グリム等)の名作を引用する。
作品や作者の考え方に関する記憶が曖昧なときはネットで調べる。
今はChatGPTのお陰で、要領よく説明してくれるので随分と助けられている。
実際のところ、目に見えない分野を扱う認知科学は多様に分岐している。
世界の流れは、認知力(知識・技術)を重視しつつ、目に見えない非認知力の獲得と向上にも力を入れ始めている。
■認知の癖、習慣
人は、目の前にある情報に基づいて判断し、関係のない情報や邪魔な情報は無視する傾向がある。
基本的に自分に必要な情報(興味・関心)に集中する習慣があるため、目の前にない情報の重要性や、そうした情報が存在することすら気付かなかったり無視しがちである。
目の前の問題に対処するためには「何が欠けているのか」と問う必要がある。
そこで思い出したのがサン=テグジュペリ
『星の王子さま』だ。
友だちになった狐が、プチ・プランス(星の王子さま)との別れにあたって“秘密の贈り物”として語ったものだ。
「ものごとは心でしか見ることができないってことさ。大切なことは目には見えないんだよ」
私がこの言葉を受け取ったのは小学校4年生の時だった。
その後、中学生の時に読み直し、教師になってからも何度か読み直し、その都度、出会い直しと新たな気付きを得ている。
学生たちに「見えないものに目を向けてみよう」と語りかけてみた。
空気も、気や意識も、心も思いも魂も、そして愛と命も、目には見えていないけれど、それらは確かに存在している。
言葉によって理解してはいるけれど。
心の中に渦巻く無形の喜怒哀楽は、笑顔や涙、声として表出することがある。
「君たちはやがて教師になる。
そこに愛はあるんか?
生徒の涙の意味はなんだ?
ため息は何を意味している?
沈んだ顔から何を読み取る?
一緒に思いきり笑えるか?
共に喜べるか?」
■現在から未来への贈り物
私たちは過去(past)からの贈り物である現在(present)に基づいて未来(future)を創り出していく。
予測が間違っていれば必要に応じて修正しなければならない。
思い込みが邪魔をすることは案外多い。
私たちはある想定や考えに従うと心に決めると、めったに思い改めることをしない。
なかなか覚悟が持てなくて三日坊主で終わってしまうことが多い反面、覚悟を持つとそれを崩さずに頑なに貫き通すという、融通の利かない頑固者になったりすることもある。
認知とは“両刃の剣”である。
疑う余地のない想定の中には世の中を知るために不可欠なものもあるが、そうした物事の多くには何かしらのバイアスがかかっている。
偏り、歪み、間違いを見破り、未然に防ぐには、心に決めたことを進んで受け入れると同時に、疑うことも必要だ。
結論を出す前に自問すること。
問いを立てること。
それは本当に正しい判断なのか?
思い込みを明らかにして、物事を捉え直すことだ。
なおもっと学ぼう。
自戒の意味を込めて。