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#348 絵本『 翻訳できない世界のことば 』 繊細な心情をあらわす言葉たち
読書日記#47
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エラ・フランス・サンダース
2016年
■ 言葉は記号ではあるけれど
私たちは日々さまざまな感情が湧き起こる。心は忙しい。
喜びや楽しみ、怒りや哀しみには複雑な感情が入り混じり、ひと言では言い表せないことがある。
「なんも言えねぇ・・・・・」
言葉には何かしらの意味が割り当てられている。良くも悪くも人の心をとらえて離さない。
言葉ひとつで心が軽くなることもあれば苦しくなることもある。
私はこれまでに、天につばを吐いたり、嫌なことを言ってくる人に対して不幸を願ったり、それ見たことか、ざまあみろ!とつぶやくこともあった。
その言葉がやがて別な形で自分に返ってくるなどとは露ほども思わず。
とらえ難い心情や情景を言葉に凝縮するのは日本だけのお家芸だと思っていた。日本特有の美意識である侘び・寂びがそうだ。
しかし、世界の6,900言語にもそういう言葉があることを知った。
以下800字
■ ヒラエス(HIRAETH)
ウェールズ語で「 もうそこへ帰ることができない 」という悼いほどの郷愁感をあらわしている。
日本で言えば、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの よしやうらびれて異土のかたゐとなるとても 帰るところにあるまじや」
内心は癒しがたいほど望郷の念が渦巻いているのに、犀星は「もう帰ってはいけないところなんだ」とあきらめて遠い地からふるさとを思うのみ。
これをひと言で表したヒラエスにも物語があるのだろう。
■ IKUTSUARPOK(イクトゥアルポク)
極寒のグリーンランドやアラスカなどに住む民族のイヌイット語で「 家の外に誰かが来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出てみること 」という意味だそうだ。
環境と思考と言語は密接な関係があるという。
極寒の雪原に暮らし、誰かの「訪れ」を今か今かと待っている。犬ぞりで猟に出かけた父が無事帰ってくることを願う家族。
世界各地の先住民族は差別と同化政策に翻弄されてきたが、イヌイットもエスキモーと呼ばれていた時代から抑圧されながらも、心豊かな言語を操ってきたのだろう。
人を思う心、客をもてなす心、家族を愛する心を表す言葉は深い。
人の訪れは音連れであるということを何かで読んだことがある。
耳を澄まして人の気配を感じ取ろうとしている情景を思い浮かべると温かい気持ちになる。
私自身、北海道の最北部に近い所で生まれ育った。約5か月を雪の中で過ごし、豪雪や吹雪で人との交わりが寸断されることがよくあった。
猛吹雪で玄関のドアや窓がガタガタ鳴る。屋根に積もった雪や長く伸びた氷柱がドスンと落ちる音にハッとして
「誰か来た!サンタさん?」と・・・・
子どもの情操を育てるためにも、情感あふれる言葉を大切にしたいと改めて思った一冊である。
講義で大学生に読み聞かせた。
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