#312 急に「変われ」と言われても
『急に「変われ」と言われても』
熊野 英一・杉山 錠士/小学館クリエイティブ
講義終了後、借りていた本を図書館へ返却しに行き、ついでに館内をブラブラした。
学生の関心事に焦点を当てているのか、キャリア本が並べてあるコーナーがあった。
働き方や生き方の変容が求められている現在、この手の本はよく売れているようだ。
本書は各分野で活躍する6人の先駆者たちの生き方のヒントがまとめられている。
10分間もあれば速読できると思い流し読みした。
コロナ後、「働き方」「家族のあり方」「自分自身の生き方」を“変えなければいけない”という強迫観念に苛まれ、精神的に追い込まれた人は多い。
人は多くのことを自分の意思に従って決定しているようでいて、案外、他人からの影響を受けている。
私たちは、何かを変えるにせよ、変えないにせよ、常に主体的に考え、選択し、判断し意思決定につなげなければならない。
意思決定の責任を引き受けるのは自分なのだという覚悟がないと、どうしても他責的・他罰的な思考になっていく。
何に価値を置くかは、もちろん個人差があって然るべきだ。
自分の足場や身の置き所がどうなっているかで、感じ方、考え方は千差万別なのは当然だろう。
私が常々学生に言っていることは
「どんな価値観でも構わないが、その言葉、その考えに覚悟と責任を持てるか?」ということ。
ネット社会にはよい意見もあれば匿名の無責任な意見もある。
それに振り回されている学生は多い。
私たちの選択的行動はパターン化されていて、何か(誰か)の影響を受けている。
私のnoteは、どこの誰が書いているのかわからなくて怪しい。
正体がわかる記事もあるが、たまたま読んだ人には、正体不明のオッサンの戯れ言だから信用に値しないと感じるだろう。
私は誰に相手にされなくとも、自分の思考を整理する意味でアウトプットしているにすぎない。
フォロワーは少ない方が気が楽だ。
私の書きぶりを見て「いや、それって違うんじゃね?」と思うのもありだろう。
混沌とした時代だからこそ「不易と流行」を考えなければならないとは思っている。
人として何を大切にすればいいのだろう。
「君にとっての正義はなんだ?」と、よく学生達に問いかけている。
幸福感を得たい、共感を得たい、と思うのはみんな一緒。
自分が変わること、自分を変えることで何が得られるのか。
『急に「変われ」を言われても』から、そんなことを想起した。
何冊も読んでいる前野先生のことも書かれていた。
こんなところで出会うとは‥‥
慶應義塾大学大学院の前野隆司教授と研究グループが、幸福感と相関関係がある4つの因子をあげている。
やってみよう
ありがとう
なんとかなる
ありのまま
私の脳内辞書にも「ありがとう」は“魔法の言葉”と記されている。
私は誰かから急に「変われ」と言われても、批判されても、うろたえたり、悩んだり、反感を抱くことは滅多にない。
若い頃はその対局にある振る舞いをして随分と損をした。
何かを指摘されたり指示されたら
「ご助言ありがとうございます」
「ご指摘に感謝します」
と意思表示するようにしている。
とりあえず、カメレオンのように見た目の色を変える。
そうすると相手は私を受け容れてくれる。
私自身、相手を変えてやろうなんて無駄なエネルギーを使わなくて済む。
数多のモンスターとの百戦錬磨で自然と身に付いたのかもしれない。
それでも、立ち止まって考え込むことはある。
生きるとはそういうことなのだと思う。
利己と利他
職場でもあらゆることに変革が求められ、コロナ後は研修機会が格段に増えた。
「働く」とは「人と動く」と書き、いい仲間を見つけて一緒に動いて汗をかきながら何かを創造する営みだ。
いい仲間、一緒に動ける仲間、そんな出会いの場を紡いでいくのが組織の役目なのだろう。
相手の心を感じる者でありたい。
そんなことを漠然と考えていたところ、
先日、フォロワーの野地ちえみさんの素敵な言葉に触れ、働くことについて新たな解釈を付け加えさせてもらった。
こればかりは変態カメレオンにならず、
素直に「ありがとうございます」と思った。