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#369 モヤモヤの正体を見つけるための対話

 後期の授業も残すところあと1回。

 教育、マーケティング、組織、ICT、リベラルの各ジャンルとも、最後のまとめに入る。私の人生は残り少ないが、生き急いではいけない。
 授業は終了しても、学生達はこれで終わりではない。この先の人生へつなげることが大切なので、どうまとめようかと、チンパンジーなりに思案している。

1,200字

「対話」の意味

 今見えている問題や課題は何か。

 学生はまだビジネスの世界に身を置いていないから、ゼミや部活・サークル、ボランティア、アルバイト等の経験で考える。そこで大小さまざまな困難に直面している。実社会はもっとめんどくさいことがあるぞ。

 いろんな機会に対話の重要性を説いてきた。問題とされることについて、その枠組みから抜け出して問題を俯瞰するのはなかなか難しい。
 それでも、個人や組織がよりよい状態になるためには対話が必要だ。

 人はそれぞれの立場や視点で物事を判断している。みんな異なる枠組みを持ち、自己の解釈、物語の中で生きている。
 だから、意見や解釈に違いが生まれたりぶつかり合ったりするのは当然だ。

 自分に問題がある場合もあれば、他者に問題がある場合もある。しかし、多くは自分の物事の捉え方や考え方を変えることで解決する。どこかのタイミングでそれに気付かなければならない。

 人は自分がコントロールできないと、自分以外の誰かに問題や責任を求めようとする。いつまでも自責・他責にこだわっていると前へ進めない。そのためにも対話によって気付きを得たい。

 対話とは他者と向き合うこと。個々に抱えている断片を持ち寄って、今何が起こっているのか、どこに問題があるのか全体像をつかみ、みんなで情報共有し、合意形成を図る(ための努力をする)ことである。

 「わかり合うこと」とは違う。
 異なる価値観を認めつつ、物事を動かすためにどうしたらよいかを対話の中で探っていく。

 日常では「この人(たち)と分かり合えている」と勘違いしていることが多い。
 普段はみんな異なるポジションで異なる景色を見ている。違う現実と向き合いながら生きているのだ。それぞれが見ている断片を持ち寄って初めて互いの違いに気付く。そこから先が本当の対話の始まりだ。

「見える化」するための対話

 一人だけで考えていても行き詰まって先を見通せないことはたくさんある。
 能力の高い人は自分で何とかできると考えがちだ。しかし、現実にはどこかで行き詰まり孤立を深める。
 だからこそ他者とのやり取りを通じてパラダイム(物事の見方・考え方)の転換を図る必要がある。

 私は授業でワークショップを行う際、イケイケのアイディア創出のブレインストーミングよりも、モヤモヤの正体を言語化するための「モヤモヤストーミング」(勝手に名付けただけ)を重視している。

 ブレインストーミングは陳腐なアイディアだったとしても批判や反対をしてはいけないというルールがあるので思考が停滞しやすい。
 そのため、モヤモヤを吐き出させる機会はあったほうがよい。

 これは、以前に勤めていた学校で教員を対象に取り入れていた手法だ。KJ法を用いながら、組織の中に潜在している問題が炙り出されて「見える化」されるという効果がある。

 校長のナラティブを振りかざして「これをやるぞ!」と命じなくとも、みんな何をやるべきかが見えてくるので動き出したら早い。校長の役割は責任を取ることだ。

 もちろん、学生に高度な取り組みは望むべくもないが、対話思考を繰り返すことでどんどん化学変化が起こる。

 そんな経験をさせながら授業を終える予定。