
#258 面白半分日記50 遠いあの夏の日の思い出
麦わら帽子は もうきえた
たんぼの蛙も もうきえた
それでも待っている 夏休み
けだし名曲である。
吉田拓郎の『夏休み』
夏の出来事を絵日記風に書いてみました。
僕は小学校低学年くらいまで麦わら帽子を被っていました。
ちょっとお兄さんになると、それが子どもっぽく感じて、流行のキャップを被るようになりました。
月面着陸したアポロ11号計画のNASAのスタッフ達が被っていた「アポロキャップ」が憧れでした。
着陸船のイーグル号が月面に着陸した1969年7月20日、僕は9歳の誕生日を迎えました。
このことは生涯忘れないでしょう。
お年玉を貯めて自分で買ったキャップは中学生になっても愛用していました。

母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?

夏はいろんな出来事がありました。
夏は暑くて外へ出たくない、なんて思ったことは一度もありませんでした。
北海道の夏はとても短いです。
50年以上も前の話ですが、あの頃、地球温暖化なんて言葉はありませんでした。
僕は海の近くに住んでいたので毎日が海水浴でした。
朝ご飯を食べたらすぐに浮き輪と水中メガネを持って友達と海へ行って遊んでいました。
波が高い日は、砂遊びをして過ごしていました。
僕は大人や友達と話すことができない子でしたが、同い年の子で何人かは話せました。
毎日、友達と海で泳いでいたので、遠泳大会に出場して友達と一緒に入賞することができました。
家は山のふもとにあったので、よく山へも遊びに出かけました。
カラスの巣に悪戯してカラスに襲われたたこともありました。
ターザンごっこをしていた時のことです。

友達がヤマブドウのツルにぶら下がって「アーアーアーっ!」と叫びながら向こうの木に向かって行ったら、ツルが切れて遠くまで飛んで地面に叩きつけられました。
友達は足が痛くて歩けないと泣いていました。
僕はちょっと太っちょの友達を背負ってなんとか家まで送り届けました。
お礼に友達のお母さんからお菓子をいっぱいもらいました。
青大将を家に持ち帰ったら母にひどく叱られたこともありました。
ある時、田んぼのあぜ道を蹴飛ばし、ビックリして飛び出てくる蛙ピョコピョコ50ピョコくらいをバケツに入れて持ち帰りました。
50ピョコのカエルを町内の防火用の貯水池に放ったら、夜に蛙の大合唱で近所中の人が驚いて翌日には噂になっていました。
大人の人達はみんな「天変地異か!?」と言っていました。
近所のみなさんゴメンナサイ、犯人は僕でした。

田んぼではザリガニもたくさん捕れました。
農家のおじちゃんが、ザリガニは稲を切る悪いヤツなので、じゃんじゃん捕ってくれと言われました。
友達は「焼いて食べると美味しい」と言うので、あの北海道の定番、鉄製の「ジンギスカン鍋」でザリガニを焼きました。
僕はどう頑張っても食べられませんでした。

友達のお父さんからスズメの丸焼きも食べないかと言われましたが、意気地のない僕は口に入れることができませんでした。
仲良しだった2、3家族で行くキャンプも楽しかったです。
遠くまで出かけず、近所の浜辺で済ませることが多かったけど、夏休みごとに知床や阿寒湖・摩周湖、小樽・仁木、ニセコでのキャンプはとても思い出深いです。

僕にとって、夏休みの宿題だった毎日の絵日記はとても苦痛でした。
天候と気温も記録して絵まで描かなければなりませんでした。
絵日記や勉強よりも、遊ぶことで忙しいし、自衛隊の道場でレスリングの稽古もあったので、家に帰ってきたら晩ご飯を食べてお風呂に入って、あとは寝るだけの毎日でした。
だから絵日記は夏休みの最終日にまとめて書いていました。
天気と気温は過去の新聞を見ながら書いていました。
休み明けに登校すると、みんな日焼けして真っ黒になっていました。
色白の僕は、日焼けしてもすぐに皮膚がボロボロに剥けて無残な姿でした。
僕にとって美白は命です。
嘘です、ゴメンナサイ。
小4の時だったと思います。
自由研究で「縄文時代の家」という適当なタイトルを付けた作品を提出しました。
割り箸で骨組みを作り、そこに裏山で採取したススキの穂を木工用ボンドで貼り付けただけのものです。

それが何故か、校内で最優秀賞になり、市役所に展示され市長から表彰されました。
表彰されるのは、スキーやレスリングの大会くらいしかなかったので、文化的(?)なことで表彰されたのがすごく嬉しかったです。
「縄文の家」が小学校に戻ってきた頃にはススキの穂がモコモコの綿状態に膨らんで飛び散り、教室中が綿だらけで大変なことになりました。
北海道はお盆で夏休みが終わります。
その頃は今と違って、北海道は残暑というものがなく、すぐに秋の気配が感じられる季節になりました。
この季節、校内放送で流れる曲がとても切なく感じます。
誰かさんが誰かさんが
誰かさんが見つけた
小さい秋小さい秋
小さい秋見つけた
「ああ、夏が終わったんだな」
センチメンタルになる僕でした。