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#351 Xmas 追憶の断片

1,600字

 街中にはクリスマスツリーが飾られイルミネーションで雪がさまざまな色に輝き、幼少期のクリスマスの思い出のかけらが浮かび上がってくる。

 自分史最古の思い出は幼稚園時代。園長はドイツ人神父様で先生はシスターだった。

 我が家はパパがマイケルで、ママがジェシー、妹がキャシーというわけではなく、家族が敬虔なクリスチャンというわけでもなかった。
 一番近い幼稚園(子どもの足で歩いて30分程度)がたまたまカトリック系だっただけのこと。

 登園直後の朝の儀式は礼拝堂でのお祈り。
「天にましますわれらの父よ、願わくは、み名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天なるごとく、ムニャムニャ。。。。。。」
 ほとんど忘れている。

 クリスマスはキリストのミサ(Christmas)だから、幼稚園では当然のようにイベントを開催する。賛美歌を歌い、イエス・キリストの降誕(誕生日は不明)を祝っていた。

 あの頃、礼拝堂の真ん中に掲げられている十字架を背負うイエス様の姿がただただ悲しく感じた。紙芝居も見たので、脳内にもイエスの物語が映像として断片的に残っている。

 イエスは愛を語り、愛に生き、なのに国家反逆罪といういわれのない罪で十字架に張り付けられた。
 しかし、彼は死の3日後に復活し、弟子が使徒となり、人々からは “ 神の子 ” “ 救い主(キリスト) ”と呼ばれるようになった・・・・
   3年間幼稚園に通ったので何度も何度も聞かされた。何かで読んで後付けされた知識もあるかもしれない。

 一体、しゅ(神)はどこにおわしますか?その子であるイエスは処刑されたのに復活するってどーゆーこと? 子どもなりにいろんな疑問があったはずだ。

 私は場面(選択性)緘黙かんもくとして発達に偏りがあった。
 でも、神父様もシスターも、そんな私をとても大きな愛で包み込んでくれた。

 普段、とにかく人との接触が嫌で、外出先で逃げ場がないときは母のスカートの中に隠れたほどだ。
 大人になってそれが趣味にならず良かったと思う。

 園のクリスマス行事は毎年、聖母マリアがうまやでイエスを産むという劇を園児総出演で演じていた。

画面右側 
ベビーベッドにイエスが寝ている

 私は親以外の人の前ではまったく声を出せなかったので、あてがわれる役は、厩のそばで突っ立っている 羊飼いその1、その2、その3、その4、その5の1人だった。
 それでも、参観に来ていた保護者たちの視線が痛くて耐えきれず劇の最中に逃げ出して教室で声も出さずにシクシク泣いていた。

 シスターはそんな私を抱きしめてくれた。イベントに限らず、毎日シスターに抱きしめられている思い出ばかりだ。

 クリスマスシーズンを迎えると、こうした幼少期の追憶の断片が蘇る。

 あの時代、家のクリスマスでは確かにクリスマスケーキがあったし、ちょっとお洒落な夕食だったような気がする。
 サンタクロースからのプレゼントには胸ふくらませて布団の中でサンタの登場を待っていた私だった。

 時は移ろい、クリスマスは商業的イベントの要素が拡大した。いつしか恋人たちをも取り込む戦略となった。

雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう
Silent night オーイェ Holy night なわけで、きっと君は来ないってことで、ひとりきりのクリスマスが歌になりドラマになる。

 別に恋人と過ごさず、家族だったり、愛犬や愛猫と一緒でも、一人きりの時間を過ごしてもいいのだ。

 3人の息子たちはすでに独立している。妻とは大げさなイベントをやるわけでもない。
 大晦日や元旦へ向けて心を整理するために静かに過ごしたいと思う年頃になった夫婦である。
 孫ができたら、はしゃぐのだろうか。

 学生たちに聞いたら、クリスマスはバイトの予定が入っているという。よく考えたら自分も学生時代はそうだった。彼女なんていなかった。

 学生は24日から冬休みに入る。教職員は28日が仕事納め。24日以降は積極的に年次有給休暇を取るよう勧められている。

 じゃあ、イブは彼女とSilent night オーイェ Holy night ってことで、静かに神聖に過ごすべきなのか?