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#176 ことばを編む。走り去ることば、佇むことば
■ことばを編み詩歌に殉じた友
もう40年以上も前の話だ。
リアルな言葉を求めて詩歌の世界を探究する友がいた。
文学部に在籍していた彼が詩集を自費出版したとき、私に無料でくれると言ってくれたのだけど、いろいろなことで世話になっていたので、お礼の意味を込めて10冊ほどまとめ買いした。
それを私の知人たちに配ったりしたのだが、文学好きの友人達が言った言葉が印象に残っている。
「どの詩も凄いんだけど、命を削るような表現で、生き急いでいる感じがするよね・・・・」と。
その後、お互い就職して数年は年賀状のやり取りが続いていた。
友人は仕事をしながら詩の創作を続けていた。
28歳のとき、友人は自らの命を絶つという悲しい結末を迎えた。
後日、友人のお母様から伺ったのは「言葉を編むことに疲れた」という遺書を残していたこと。
私はその友人に比べたら、疲れるほど言葉を編んだり紡いだりしていないのかもしれないと思った。
言葉を駆使して子どもたちにいろいろなことを伝える職業に就いてながら、
いい加減なのか、臆病なのか、いや、無知であり凡人であるがゆえに、言葉で表現できないことは感覚で乗り切ったり、強引に押し通していたのかもしれない。
■消費される言葉
走り去る言葉 佇む言葉
もうかれこれ15年くらい前だったろうか。
ある団体の記念式典で詩人の谷川俊太郎氏が記念講話をされた。
祝賀会で谷川氏にお酌するためにテーブルに集まった人たちと講演会の内容とは別なお話を伺うことができた。
件の友人のことを思い出しながら・・・・
要約すると次のような話だ。
言葉がもの凄い勢いで大量に流通している今の状況はストレスの原因になっているんじゃないだろうか。
言葉に品がなくて乱暴で、ネットやメディアには無責任な言葉が溢れかえっている。
僕は言葉を商売道具にして60年近く書き続けて、本もたくさん世に送り出していながら言うのも何だけど、今の世の中は言葉が多すぎる(笑)
あまりにも多くて目を通している時間がない。
日常的には9割の言葉(雑誌、新聞、DMなど)は読まずに処分していると思う。
資源を浪費しているといううしろめたさがある。
世に出回っている言葉のほとんどは「情報」。
「情報」というのは、誰かが知っていることを他の誰かに伝える機能を担った言葉。
内容はさまざまで、きっと何かの役に立っているのだろうけど、散文のようなものは基本的に意味が伝わればその役目を終える。
つまり消費されて終了。
ところが同じ散文でも文芸作品は違う。
実用的じゃないけど、良い作品はそう簡単に消費されて消えていくものではない。
時代を超えて読み継がれている古典や名作は“書籍”としては消費されているけれど、文芸作品の内容が読者に与える感動は消費という言葉では捉えられるものではない。
他にもいろんなお話を伺ったのだけど、
「いくつかのエッセイに、そんなことも書いています」
とおっしゃったので、そのうち読んでみようと思ったのだった。
キーワードは「走り去ることば、佇むことば」・・・だったと思う。
谷川氏の詩集や絵本はいろいろと読んだが、エッセイは読んだことがない。
現在92歳の谷川氏の背中を見ながら追いかけようと思っている63歳。
まだ間に合うか。
消費ではない読書によって、カメレオンみたいに「じぶんだけのいろ」を色々出してみたい。