6年前に受け取った「やさしさ」のバトン


息子をお腹に身ごもっていた時、
気がつけばもう6年以上前のことだ。

腰が痛い、体が重い、
そんなことを口で言いながらも
それはそれは幸せな時間だった。

中でも忘れられないのが、
通勤電車の中で、幾度となく
席を譲っていただいた経験だった。

パンパンのお腹での長距離通勤。
譲っていただく行為そのものも、
もちろん嬉しかった。

けれど、それ以上に・・

ただ苦痛に耐えるだけと思っていた
満員電車の中に、たくさんの「やさしさ」が
あったこと、それに気づく視点を
もらえたことが最高の幸せだった。

その方の親切が、殺風景な満員電車を
やさしさあふれる場として見せてくれた、
世の中って、捨てたもんじゃないなって思えた。

たくさんの感謝の思いを込めて、
めいいっぱいの「ありがとう」を
その方へ伝える。

でも5文字の言葉じゃどこか足らなくて、
その方に、これ以上お返しできるものが
ないことがどこか悔しかった。
きっと二度とお会いできない親切な人。

ちょっと大げさに思う人もいるだろう。
だけど、そのやさしさは私に「新しい眼鏡」を
与えてくれた。その眼鏡を通して見る世の中は、
いつになく輝いて見えたのだ。

最大限のお礼の気持ちを込めて、
私は、言葉には出さなかったけれど、
その方に向かってこんな約束をしていた。
パンパンになったお腹をさすりながら。

「あなたからいただいた
 優しいお気持ちは、
 必ず産まれてくるこの子に渡します」

こうやって文字にすると怪しいけれど、
親切をいただいた時、そうやって
お腹をさするのが私の習慣になった。

あれから6年。

お腹の中の赤ちゃんは来年小学校にあがる、
絵が大好きな元気な男の子になった。

人並み程度かもしれないけど、
やさしい子になった。

昨晩なんて、お母さんにはいつまでも
元気でいてほしいと泣き出して、
「ぼく決めた、お医者さんになる」
なんて宣言までしてくれた。



6年前、席を譲っていただいた方に
いただいたやさしさは
今も形を変えて続いている、
息子を見ているとそう心から思える。

何らかの理由で直接相手には返せなくても、
人から人へ、時には時間も、場所も超えて、
そして離れた場所に届けるほど、
やさしさは増幅されながら伝わっていく。
そんな壮大なやさしさの循環を教わった。

その節は本当に
ありがとうございました!!
そう声を大にして伝えたい。
みなさんから頂いたやさしさのバトン。

そんなことを感じながら、
私は今日も妊婦さんを見かけたら席を譲る。

妊婦さんに「ありがとう」と言われ、
いろんなことを思い出して、むしろ
「私のほうこそありがとうだよ」そう思い
涙をぐっと堪えて席を譲るのである。

――
鈴木深雪

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