見出し画像

親になる前夜・・・【子どもが教えてくれたこと#01】


【エッセイ毎日更新チャレンジ中!】
親になり10年余りが経ちました。子育てとは名ばかりで、小さな息子から「教わる」ことのほうが多かった日々。 私の抱えていた価値観がボロボロと剥がれ落ちて、自分の世界がぐっと拡がり、忘れていたものをたくさん思い出したプレシャスな時間でした。そんな10年間をつづります。 [子どもが教えてくれた30のこと]  

●こんな方に読んでいただきたいです
・今、絶賛子育て中の方
・これから子育て予定の方
・かつて、子どもだった全ての方

●このnoteを通して叶えたいこと
息子が教えてくれたことを、いつかはエッセイにしたいと、数年思い描いていた夢。このnoteにつづることで、いつか1冊の本になると信じて!

●チャレンジ宣言
2023年12月31日まで毎日1記事更新!

親になる前夜・・・【子どもが教えてくれたこと#01】

広島から就職で東京本社の会社に入社した私は、社内恋愛で出会った夫と入社12年目の秋に結婚した。結婚式・披露宴は挙げたものの、忙しさを理由に新婚旅行は先延ばしにしていた。

「新婚旅行、行かないのか?」「行ける時に行っておけよ」

上司やまわりの先輩に何度も言われたけれど、「今、忙しいですから」と聞く耳さえ持たなかった。結婚から5ヶ月ほどたった2011年3月、東日本大震災が起きた。

私はオフィスで、夫は展示会が開催されていた東京ビックサイトで地震に見舞われた。私はちょうど、得意先の大手ゼネコンに提案のために訪問する用意を同僚と進めていた時だった。地震の比較的少ない、広島で育った私は、正直、地震への耐性が低い。収まるどころかより一層強くなる揺れに、オフィスの誰よりも先に、机の下に潜った。神様が人間をこの地球から振り落そうと、これでもかと揺らしている気さえした。早く止みますように、そう一心に念じた。

揺れは収まったものの、オフィスの中は棚が倒れて散々だった。周辺の道路も波打ち、ただならぬ事態だと感じた。その後、何とか帰りの手段を手配して、到着した自宅でテレビをつえけた時の衝撃は忘れられない。化学コンビナートが火の海になっていて、私はその光景を震えながら正座して見た。自宅のリビングで私はそれを震えながら見た。

その後、明らかになる被害。毎日の報道を心をキリキリ痛めながら見た。何もできることのない自分がひたすらもどかしかった。

地震被害から週末が明けた月曜日。私たち夫婦が住む東京は、計画停電の一貫で、JRの一部区間に運休が出ていた。私と夫は、電車がかろうじて動いている、最寄駅から二駅離れた駅まで40分近く自転車を漕いで向かった。何とかついた駅には、仕事に向かう人々が溢れていて、ホームにさえも入ることが出来なかった。

電車に乗らなければ、さすがに会社には行けない。私たち夫婦は、駅前の喫茶店で1時間ほどお茶をしながら時間を潰し、何とか出社できないかと、駅の混雑が引くのを待った。しかし、一向に引かない混雑に待つのを諦め、また40分かけて自宅に戻ったのだった。

まだリモートワークという言葉もなかった時代。地震後の混とんの中で、とにかく会社に出社しなければと、それだけを考え自転車を走らせていた当時の自分達のことを、どこか別人のようにも思う。

その翌年、私たち息子を授かり、10年間かけて働き方も生き方も全く別の方向へ舵を切ることになるのだった。

>> 続きはこちら #02 命を授かったと知った日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?