「待つ」ということ①

指導者が「待つ」と言うこと 
9/24①(以前のページから)

【啐啄同時】・・・またとない好機のこと。また、学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じること。鳥の雛ひなが卵から出ようと鳴く声と母鳥が外から殻をつつくのが同時であるという意から。
禅宗で、師匠と弟子の呼吸が一致するときに、悟りが得られるということから。「啐」は、鳥の雛ひなが孵化するときに殻の中から鳴くこと。「啄」は、母鳥が外から殻をつつくこと。
出典『碧巌録』一六 goo辞書より

○まず人それぞれできるようになる、成長するタイミングは異なることが前提である。なので、個々に言葉を掛けたり、支援をする作戦を練ることは、当たり前ということになる。だが、実際には、一斉に指示を出し、結果を求めたりする。
●なぜだろうか。それは、指導者が「待つ」ことが、言葉で言うのは簡単だけれども、実際やることは難しいから、我慢できないから、我慢する勇気がもてないからだ。
◎そのため、「待つ」という捉え方を「相手のペースに合わせる」にすることで、指導者としての行動になると考えることができる。そして、自分にとって安心できるようになる。

「児童一人ひとりのペースに合わせる」を具体的にしていきたい。
それを具体化している先生からもっと学びたいと思う。

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