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1年間一緒に住んだ、ちょっと冴えない男の話

この記事は、世界各国の物書きによるリレーエッセイ企画「日本にいないエッセイストクラブ」への寄稿です。第2回目のテーマは「忘れられない人」。8人目はイタリアのスズキケイから。文末に「前回走者のエッセイの感想」と「次の走者の紹介」があります。

過去のラインナップは随時まとめてあるマガジンをご覧ください。

イタリアに渡って、初めて住んだ家はシェアハウスだった。

3部屋プラス共有のリビング、それから狭いキッチンと、2つのバスルーム。ローマのはずれにある小高い丘の上にあって、しかも9階だったので眺めがすこぶるよかった。中心街からはすごく遠いけど、3で割れば家賃はかなり安いというのがいいところだった。

そこは自分で見つけた物件ではなく、もともとはイタリア暮らしの長い妻が2人のシェアメイトと一緒に住んでいたアパートだった。そして僕は4人目として、あとから転がり込んだ。

4人目と書いたが、実は3人目の同居人は僕が入る少し前に、ちょっとトラブルがあって出ていってしまった(らしい)。そして、偶然僕と同じ日に、その空いた部屋に入居してきたのがファビオだった。

ファビオの第一印象は「気のいいやつ」だった。

「初めまして、イタリアはどう? わからないことあったら何でも聞いてね」

初めての自己紹介でそう言ってくれて、親切なやつだなと思った。そして実際、ファビオは初めてのイタリアで右も左も分からない僕に、いろいろと世話を焼いてくれた。

ある日部屋でブログを書いていると、ファビオが部屋に来て「友達に会いに行くけど一緒に来ない?」と言った。そして一緒にパブに行って、彼の友達と何杯か飲んで帰ってきた。イタリア語がろくに話せなかったこともあり話は弾まなかったけど、あとから聞くと「最近よく家にいるから、たまには外に出たほうがいい」と思って連れ出してくれたのだそうだ。いいやつだなと思った。

ファビオはベジタリアンだ。イタリアは健康食ブームもあって、ベジの人はわりかし多い。ちなみに彼は卵やチーズは食べるけど、肉や魚は食べない。たまに市場で買った魚を捌いていたりしていると、わざわざ近くにやって来て「うわあ、かわいそう……」とか言ってくる。ウザいけど、悪意はない。

部屋でいると「ご飯作ったんだけど一緒に食べない?」と声をかけてくれることもよくあった。彼の作る料理は「流行のおしゃれビーガンレシピ」みたいなのが多い。ゴマやトウフ、ショウガなどオリエンタルな食材を使った、無国籍料理になりがちなやつだ(例えば、代用肉を団子状に丸めてごまをまぶしてオーブンで焼いてミントを散らしたもの、みたいな感じ)。

食べといてなんだけど、それらは美味しいかどうか判然としない、奇妙な料理も多かった。けど、異国に住んでまだ間もなかった自分にとって、コテコテのイタリア料理よりももっとリアルな「異国のメシ」を感じるものだった。

ファビオは自宅に人を呼んでパーティするのが好きだった。「今週の土曜日に友達呼んでいい? だいたい20人くらい」と突然言い出すことがよくあった。

20人? あのリビングにそんなに入るか?

しかもイタリアではこういう時、同居人も強制参加になることを意味している。1人で部屋に閉じこもるのは「変な行為」であり、オープンマインドでみんなで騒ぐのがいいことなのだ。

パーティのメニューは、言い出しっぺのファビオがせっせと用意する。ほうれん草のカンネッローニ、かぼちゃのリゾット、不思議な代用肉団子……全てベジメニューだ。

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ところが、料理を準備して当日夜になっても、誰も来ない。「今日友達来るの?」とファビオに聞くと「うーん、わかんない」とバツが悪そうに答える。それからしばらく待っても誰も来なくて、結局9時頃になってファビオと僕、それからもうひとりの同居人とその彼女の4人で、ぼそぼそと料理を食べ始める。そんなこともよくあった。僕はそのほうが話しやすくて好きだったけど。

彼はちょっとズボラなところがあった。家では4人で1つの冷蔵庫を共有していたけど「なにかニオイがするな」と思ったときは、たいていファビオの買った何かが腐っていた。

ある時、タッパーに入った「いつのか分からない何か」に赤いカビが生えて、下水のようなニオイを放っていたことがあった。シェアしている同士、お互いにうるさいことは言わないのが暗黙のルールだったが、そのときはさすがに「それ腐ってるんじゃないの?」と言ったら、「え、まだ食べられるよ」と言って止める間もなくスプーンですくって口に入れてしまった。

次の瞬間、すごい形相でトイレに駆け込んでいったのは言うまでもない。

妻とリビングで飲んでいたら、ファビオが何やら箱を抱えてやってきたこともあった。何それと聞くと、気になる女の子がいるからプレゼントを渡したいと言う。

ほほう。

箱の中を見てみると、プレゼントはスターウォーズのR2-D2のフィギュアで、さらにびっくり箱のように手描きのカードが飛び出す仕掛けまでつくられていた。その女の子はスターウォーズのファンなのかと聞くと「分からない」と言う。ファビオはいいやつだなと思った。

そのあと、何を話せばいいかわからないというファビオと、ああだこうだと飲みながら話したが、「野菜の話でも果物でも何でもいいからとにかく話せばいい」と言う僕と、「そんなのはBrutto(不格好)だ」と言うファビオと、「こいつら何もわかってないな」という顔をした妻と、3者の主張はどこまでも平行線をたどった。

そんなことよりもよく覚えているのは、その時ファビオがつまみに持ってきたピスタチオに小さな芋虫のようなものが湧いていて(栗の中によくいるヤツだ)、彼が気づかずにそれを食べたということだ。その後しばらくファビオはお腹の調子が悪かったそうだが、芋虫が良くなかったのか、それとも食べ慣れない動物性タンパク質のせいなのかはよくわからない。でもな、夏に袋を開けたまま放置されたピスタチオは、芋虫くらい湧くと思う。

ファビオはちょっとカッコをつけたがるところもあった。ある時妻が「どうしてベジタリアンになったの?」と聞いたら、「消費社会に反対しているから」と答えたらしい。どうして肉や魚を食べないと消費社会に反対することになるのだろう。ファビオに聞いてもGoogleに聞いてもいまいちよく分からなかったが、もう1人の同居人によると「カッコいいこと言いたいだけじゃないの」だそうだ。

ちなみにファビオは僕ら4人のうちで、誰よりもたくさんの食材を買い込み、誰よりもたくさん腐らせていた。「消費社会に一番貢献してるよね」とは妻の弁だ。

こんな感じで、ファビオに関する記憶を引っ張り出すとキリがない。

一緒に住んだのは1年ほどだったけど、僕にとって彼はイタリア人との付き合い方を教えてくれた人だった。親切で、おせっかいで、ズボラで、カッコつけたがる。それから、言ってることが必ずしもアテになるとは限らない。もちろんイタリア人がみんなそうではなく、細かいことにうるさく気難しいやつもいれば、真面目でワーカーホリックなやつもいる。

でも、同居人が突然パーティをやると言い出したり、20人の参加者が4人になったりするのはままあることだ。そして、それが起こり得ることだと思っているとストレスの感じ方は大きく違う。それがあるかないかで、イタリアでの生活のしやすさは大きく異なる。

そのシェアハウスには1年ほど住んで、その後ミラノに引っ越した。

今回のエッセイのテーマは「忘れられない人」だけど、実はファビオは「もう会わなくなった人」ではない。実はシェアハウスのメンバーは、現在みんなミラノの、しかもそう遠くない場所に住んでいる。

あのシェアハウスはもうないけれど、当時のことを思い出そうとすると、たいていは「ファビオが何かをした(やらかした)記憶」に行き着く。きっと彼は、昔話をすると必ず話題にのぼるタイプの人なんだと思う。あなたの思い出の中にも、そんな人いないだろうか。変わり者だったり、やたらと行動力があったり、トラブルメーカーだったりして記憶に残りやすい人。

ファビオは相変わらず、ときどきみんなをホームパーティに招待する。この間も呼ばれたので行ったら「実は今日誕生日なんだ」と告白されてびっくりした。そういうの早く言えって!プレゼント用意してないじゃん!

そういう彼の、ちょっと冴えないところを目にすると、いつもあのシェアハウスの思い出がふわっとよみがえってくるような気になるのだ。

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当時の写真を探していたら、ファビオと一緒に撮った写真が出てきた。たぶんハロウィンの。自分も結構楽しんでいたらしい。

前回走者、アルゼンチンの奥川駿平さんの記事はこちら。

奥川さんのエッセイはディティールがすっごく細かくて、それはきっと日々自分の周りで起こることに注意深く目を向けて、一つひとつ大切に拾い集めているからなんだろうなと思います。外国で住むって必ずしも楽しいことばかりじゃないけど、小さな幸せをしっかり集めることの大切さを教えてくれる、そんなエッセイです。

次の走者、ミラノからアルプスを超えた先のスイスに住むアリサさんが、第一回目(テーマは「はじめての」)に書かれた記事はこちら。

アリサさんの「はじめて」テーマは、なんと詐欺に遭いそうになった話。

実はこのお話、自分もミラノでまったく同じ手口に引っかかりそうになったことがあり「そうだよねそうだよね、相手はそう言ってくるんだよね!」と首をブンブン振りながら一気に読み切ってしまいました。詐欺の手がじわりとにじみよってくるところから、それにスルドク気付くまでの展開がとてもスリリング。ぜひ読んでみてください。

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すずきけい
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