前期の課題2「コラムを書く」木曜2限
木曜2限の「スタディ・スキルズ講座」の前期の課題で、コラムを書きました。(誤字も含め、文章をそのまま転載しています)
《課題 2 授業を振り返り、コラムを書く <作文>
全体を振り返ってみて、この授業で一番興味を持ったことや自分で発見したテーマなど、最も「伝えたいと考えたこと」を、多くの人に読んでもらえるような「コラム」の形にして書いてください。コラムのタイトルも考え、読み手を引きつける見出しになるように工夫してください。文字数は800字程度。
多様なことに取り組みましたが、一つのテーマに絞って、人に読ませる文章を書くようにしてください。読み物として、自分なりに「いい文章」だと自信を持てるように仕上げてください。》
【3年】◆「情報を掴み、チャンスを掴む」
朝目覚めたら、大学三年の春になっていた。―というのは大袈裟だが、それほど時が経つのが早かった。そして、何とも味気ない時間だった。
一年はバイトに明け暮れ、二年になればコロナで自粛、家で黙々とネットフリックスを消化し一日を終える。「自分の生き甲斐って何だろう」時折哲学的な問いを投げかけつつも、何もアクションは起こしていなかった。一度くらい変わってみたかった。
三年、風変わりな授業を見つけ、スタディスキルズなる授業を取ってみた。カメラをオンにし後輩と議論する、珍しい授業だった。中にはゲストスピーカーを招き、話を伺うものもあった。そこで私は徐々に心動かされた。
ゲストスピーカーは、妬ましいほどに行動的な人物が多かった。歳を取っても若者に日本文化を広めようと、若者にウケるプロモーション方法を考える者。ボランティアや勉強会に積極的に参加する者。IT企業最前線に立ち、時代の潮流を乗りこなしている者。―私は羨ましかった。行動的で、情報を自分で掴んでいる姿が、眩しかった。
出来ることから始めてみた。語学に興味のあった私は、英検やTOEICの勉強を真剣にした。ゲストスピーカーの紹介で英会話勉強会や翻訳プログラムに参加した。一時期諦めかけたプログラミングの勉強も再開した。日本文化を広めるボランティアに繋がる、浴衣コンテストに応募し、通訳案内士の勉強をし自らが発信者となることを目指した。
授業も終わり三年の夏。「この半年、意外と味気なく、ないかも。」むしろ、色濃かったと気づいた。授業中、行動的で情報を掴みに行くゲストスピーカーに感化され、自然と自分もそうなっていた。自分の視野も広がった上、一つ一つの情報に敏感になり、情報に対して自分の考えを持つようになった。人の話を聴く姿勢もそういえば以前より真摯になったかもしれない。ゲストスピーカーのように、私は人の役に立つことはまだしておらず、自己満足かもしれない。でも、無色透明の味気ない二年間より、よっぽど私色に染まった半年だった。
「自分の生き甲斐って何だ」そう問うた過去の自分に伝えたい。それは、自分で見つけ、創っていくものだ。自分で情報を掴み、行動し、試行錯誤して、自分のことを深く知っていくのだ。
【1年】◆「ネットニュースを読んでも実は損!?」
皆さんは日頃新聞を読んでいますか?最近ではニュースアプリやTwitterなどでニュースを読んでいて、「新聞は読まなくなってしまったなぁ」なんて思っている方も多いのではないでしょうか。でも実はそれってかなり損をしているかもしれませんよ?実は新聞を読むことには大きなメリットがあるのです。
メリット1つ目は「自分の関心のない情報も知ることができる」です。ニュースアプリやTwitterでは読者が自分で見るニュースを選ぶので、自分の興味のあるニュースに触れることが多い傾向があります。その反面、新聞ではページごとに分野にかかわらずたくさんのニュースが載っているので、新聞をはじめから順番に読み進めていけば自分が今まで読んでこなかったニュースも読むことができます。
メリット2つ目は「情報の信憑性が高い」です。ネットニュースを読んでいると今まで見たことのないような新聞社やライターさんが書いている記事もよく載せられていますよね。しかし読者としては名前が世の中に知れ渡っている新聞社の情報が信頼できると感じますよね。コンビニなどで取り扱われている新聞は朝日新聞や毎日新聞などの有名な新聞社のものが多いので、かなり信憑性が高い情報が得られるといえるでしょう。さらに、その中で自分の好きな新聞を選べるので、毎回自分の好きな書き方で書かれた情報の信憑性が高い良質な情報が得られるのです。
メリット3つ目は「自分の意見を持つことができる」です。Twitterやネットニュースでニュースを読んでいるとほかの人のツイートが流れてきたりコメント欄に意見が書かれていたりして自分の意見がわからなくなってしまうことはありませんか?新聞ではそのような心配はありません。その結果新聞を読むことで他人の意見に惑わされず、ニュースに対して自分の意見を持つことができるようになるのです。
このように新聞を読むことには大きなメリットがあります。これを機にネットでニュースを読むのではなく、新聞を読んでみてはどうでしょうか。
(本文836文字)
◆「八丈島の宣伝計画」
前期の授業を通してゲストスピーカーの皆様にお話を頂く中で八丈島の宣伝に興味を持った。この記事ではより多くの人々に八丈島の存在を知ってもらうために、いくつかの具体的な方法を挙げていきたい。
① YouTubeを用いた宣伝方法
まず八丈島の存在をより多くの人々に知ってもらうためには、若年層の認知度がキーになってくる。その点から考えるとYouTubeなどのSNSは最適である。ではYouTubeで再生回数が多く、人気の動画にはどのような共通点があるのか見ていきたい。
・チャンネルのジャンルが確立されている。
・サムネイルを工夫している。
・まだ誰も知らない価値を提供している。
まずチャンネルのジャンルを確立させるためにホーム画面の自己紹介欄を充実させることが大切である。その中で人目につくようなサムネイルや、まだ誰も見たことがないような「新しい企画」を提供することで再生回数を稼ぐことが出来、八丈島の認知度向上に繋がると考える。
② Instagramを用いた宣伝方法
YouTube同様にInstagramも若年層に人気のSNSであり、八丈島の知名度を向上させることが出来ると考える。では人気のインフルエンサーやインスタグラマーの共通点はどこにあるのか見ていきたい。
・自己紹介欄が充実している。
・投稿内容に統一感がある。
・同類の投稿者をフォローし、存在をアピールしている。
・タグ付けを工夫する。
まず投稿者としてどのような情報を発信しているのか自己紹介の欄を充実させることが重要である。その中で投稿内容に統一感を持たせ、同類の投稿者に存在を認知してもらうことが重要である。またInstagramにはタグ付けという機能があり、それをうまく活用することで八丈島の知名度を向上させることが可能であると考える。
まとめ
今回の記事では八丈島の宣伝計画についてSNSを用いた方法を考えた。SNSに限らず、多くの人々に八丈島の存在を知ってもらう手段をこれからも考えていきたいと感じた。
◆「自分の知らない世界 八丈島」
八丈島ってなに?
八丈島は、伊豆諸島の火山島です。私たちが住んでいる東京の都心から約287キロの海上に位置しています。アクセス方法は、飛行機か、船です。船だときれいな海を一望できます。さらに島を代表する特産品が豊富です。例えば、長田さんに紹介していただいたくさや、明日葉、ハイビスカス、島焼酎です。また、伊豆諸島の最南端にある八丈島。東京から一番近い南国です。亜熱帯の豊かな自然があふれ、温暖な黒潮の海に囲まれた小さな島には、本州とは違う独特な魅力がいっぱいあります。ダイビングやサーフィン、釣りなどのマリンレジャー、島のシンボルである八丈富士では、トレッキングや自然観察が楽しめるアウトドアの天国です。このように、八丈島には、素晴らしい魅力があります!
八丈島の話を聞いて
私は、新潟県出身で、高校生までずっと新潟で育ってきました。この春に、東京で一人暮らしを始めた大学生です。この前期の授業で一番興味を持ったことが八丈島についてでした。
私が住んでいる新潟県は海も山もあり、また佐渡島があります。八丈島には、透き通る綺麗な海、グルメ、動物との触れ合いなど素晴らしい魅力があります。しかし新潟県には、そのような、魅力がありません。授業で講義をしていただいた方々のおかげで、一度でいいから行ってみたいと感じました。私は、昔から、ずっとアウトドア少年で、川、海、山などで遊ぶのが大好きでした。八丈島はそんな私が行くべき場所だと思いました。なんといっても、八丈島は人生で体験したことのないことを経験することができるという点が最大の魅力です。人生は何事も挑戦してみることが大切で、自分を変える勇気をこの講義で八丈島の話を聞いて学びました。自分の知らない世界に行って、自分を変えたい、新しくしたいと強く感じました。
◆「いまの大学生に必要なことはなにか」
このスタディ・スキルズで学んで考えたことは、対面授業やらZoom授業やらそんなことはどうでもいい、しっかり授業に参加し他人と意見を交わせる状況にあるかどうかが大切だ、ということだ。
例えば、オリンピック開催についての講義の際、いままでタイトルも聞いたことがなかった「Who I am」を視聴するまでは、オリンピックを開催するなんて有り得ない、と考えていた。国内の感染者が増加しているのに世界からの受け入れを許すのは中途半端だと思ったからだ。しかし視聴してみると、大いに心情が変化した。オリンピック選手の歩んできた過酷な人生を知ったことで選手の立場から考えられるようになったこともある。しかしそれ以上に、同じ講義の学生と意見交換したことで、より多面的に視点をおくことができた。その結果、「有り得ない、無理、絶対」など断言事がなくなり、そういう考えもあるのか、と理解出来る能力がついた。
入学当初はオンライン講義について猛反対していた私であるが、夏休みスタートした今では対面であってもオンラインであっても変わらないだろうと考えるようになった。大学は小中高とはちがって自ら興味をもったものに対して学びに行く場であり、はっきり言って対面するための場ではない。何もかも受動的なままでは前進することができないのだ。まだ大学に入って一年も満たない私たちにとってできることは、興味あるない関係なく講義に参加し、自らの意見を発信し、それを共有し合える友達をつくり、私たちの力で魅力のある講義を完成させることだ。
◆「上映会の感想」
映画を見て私の率直な感想はプロジェクト型の学校に入りたい!であった。映画内のアメリカの学校では生徒が主体となって考え一つの作品を作る過程が描かれていた。最初は自分に自信が持てなかった少女がプロジェクトを通してリーダーシップを発揮し自分の意見をしっかりと言えるようになるまで成長していた。勿論、発表会までに間に合わず悔しい思いをした生徒もいたが、皆以前よりも大きく成長していた。
私はプロジェクトとは無縁の学校に通っていたため大学に入るための勉強は出来てもコミュニケーション能力やリーダーシップなど社会に出たときに役立つ能力が上がったとは思えない。だからこそ。それらが磨かれる学校に憧れたと思う。
しかし、今からでも遅くはないとも考えた。私はまだ大学一年で卒業までに三年半もある。その中で積極的に行動すれば私が羨ましいと感じた能力は磨けるのではないかと思ったからである。自分から積極的に行動し貴重な大学生活を有意義に使おうと誓った。
また、映画を見てもう一つ考えたことがある。それは日本にももっとプロジェクト型の学校を広めれば社会に出た時により役立つ人材になるのではないか。と言うことである。自分で考えて協力していく中で培う能力は社会に出て非常に重要な能力の一つと言える。なぜなら、私はアルバイトで塾の講師をしているが、どうしたらもっと生徒さんが勉強してもらえるか日々みんなで考えて良さそうなアイディアを実行し評価している。そういったことを学生の時から行うのはかなり役に立つと実感したからである。
ただ、一筋縄に行かないことでもある。今の教師は決められた範囲を教えなければならず、プロジェクト型などやっている余裕がないのが現状である。私はそんな社会の仕組みをもう一度問い直し、子供が主体となって行動できる環境を実現したい。そのために選挙で教育についてどう考えているかよく政策を吟味し投票することが今思いつく一歩だと考える。小さなことから少しずつ教育のあり方を変えていきたい。
◆コラム
SNSは難しい。多くの人に普及しているSNSは、使い方によっては親友を作れたり、夢を叶えられたりする。逆に人に一生癒えない傷をつけることも傷つけられることもあるし、犯罪に巻き込まれることもある。私たちはどのようにSNSを使い、役立てていけばいいのだろうか。
最近よく見かけるのはオリンピック選手に対する誹謗中傷だ。今は特に新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言下で行われているオリンピックであるため、多くの意見が飛び交っている。たくさんの人がコロナウイルスで苦しんでいる状況が事実である限り、オリンピック開催に納得できない人がいることは避けられないのだろう。しかしもちろん、選手も、納得できない人も悪くない。すべての元凶はウイルス。このことを意識せず、匿名であることを盾にし、「表現の自由」という誰もがもつ権利を悪用している人が残念ながらいるのである。
今SNSの誹謗中傷問題は、オリンピックに関する人だけではなく、芸能人にも、一般の友達関係にも、どこにでもあふれている。今日も苦しんでいる人がいるのだろう。こんなにSNSが一般的になったこの世の中で、学校等で使用上の注意は学ぶが、人はすぐに意識すべきことを忘れる。だからこそ、意識している人も忘れかけている人も、意識することから逃げている人も、SNS上でなくとも言えるほどその言葉に責任を持てるのか、ほかの人を傷つけ苦しめないかということを考え続けていくべきだ。
◆人との繋がりは人間形成上非常に重要なものである。とはいっても様々な形で人間関係が成立しているのでいくつかのパターンに分けて紹介していきたいと思う。
まず初めに紹介していきたいのは”人望の厚さ”という点である。自分は大学の授業で「人から頼まれたことは必ず行う」という人から話を聞く機会があった。彼に何故断らないのかを尋ねてみたところ、「他人の方が自分より自分のことをよく知っているためだ」と仰っていた。
これを聞いて思ったのは、自分の持っているポリシーを他の人が賛同している。つまり、絶大な信頼を得ているからこそこのような行動を起こせているのではないか。
次は”人と助け合い、新たなものを創造していく”ことである。以前話を聞いた方で八丈島をPRするために島内の仲間と協力し合い、個性的な商品を開発して観光客に関心を持ってもらおうと活動する人がいた。彼にはなぜ斬新なアイデアを生み出し、観光客の注目を惹けるようにできたのか理由を聞いてみたところ、「自分1人だけで何かを始めようとするときと比較して、他者と一緒に行う方が自分自身では気付けないことを見つけられるときがよくあるので、他の人と関わることはとても大切なのです」と仰っていた。このように自分以外の人と考えを共有し、これらを取り入れることにより一層良いものに作り上げられていくのである。
これらの理由のために、人との出会いにはある程度の信頼関係から成り立つものでもある。また、他者と助け合い良いものを創造するという考えの根底にも他者との交流が存在しているのだ。
◆「ポジティブに考える力」
今オリンピック・パラリンピックが開催されていますが、私なりに思うことを今までの授業と関連させながら述べていこうと思います。まず、開催について意見が分かれると思います。
私は最初、反対派でした。オリンピックを開催してしまうとこれ今以上に新型コロナウイルスの患者が増えることが予想されるからです。ですが、これは選手の気持ちを全く理解してないからいえることでした。Wowow の動画でパラリンピックの選手のこれまでの経歴や試合に対する思いを語られているのをみて心が動かされました。選手がこの5年間どれだけ苦労してきたか、知ることができました。パラリンピックの選手なので体が不自由にもかかわらず、何事にも挑戦しようという気持ちが伝わりました。また、どの選手にも共通していることは、ポジティブであるという点です。体が不自由になってしまったら、それだけでもう挫折してしまいそうな気もしますが、けがをしたことでいろんな経験ができたから、けがしてよかったと言っている選手もいてポジティブだとおもいました。選手をみていると何事も、ものの見方によって、ネガティブにもポジティブにもなりうると思いました。選手のような精神力まではいかなくても、生きていく中でポジティブに考える力は大切だと思います。楽観的という意味ではなく、何事にも積極的に取り組む気持ちだったり、1度の挫折であきらめない精神力です。オリンピック選手に限らずに、ゲストスピーカーの方々のお話をきいても内容は違いますが結局は積極性の大切さだったり、人と人とのつながりの重要性を伝えたかったのではないかと思います。
◆「状況は刻一刻と変化し…」
近年、日本では「子どもの貧困」が深刻化しています。日本の子どもは、7人に1人が貧困状態にあると言われているほどです。
「子どもの貧困」というのは、単に金銭的に困っていることが問題なわけではありません。低学力、孤立、虐待、様々な経験不足、不十分な衣食住、孤食などの問題を含めて、『子どもの貧困』というのです。もちろん、低学力、孤立、虐待、様々な経験不足、不十分な衣食住、孤食という問題に陥る根本的な原因には、金銭的な問題があります。しかしそれは親が抱えている問題であって、子どもが抱えている問題は金銭的な問題の先にある、教育・発育面での問題です。
そこで、そのような状況の救世主となっているのが子ども食堂です。明確な定義はありませんが、子ども食堂は低価格または無料で食事を提供する場、というのが一般的な定義となっています。定期的に平日の夕方開催しているところが多く、祝日や夏休みなどの長期休みには、お昼頃からイベントを行い、夕食を食べて帰るといった形で開かれています。夕ご飯の時間になるまでは、子ども食堂に来ている子ども達同士で遊んだり、宿題をしたり、過ごし方は様々です。食事の提供だけでなく、様々なイベントなどを行う子ども食堂は、子どもの貧困問題である、低学力、孤立、虐待、様々な経験不足、不十分な衣食住、孤食のうち、孤立、様々な経験不足、不十分な食、孤食、そして場合によっては虐待から子どもたちを守ることができる存在だと私は考えます。
しかし、コロナによってその状況は一変し、多くの子ども食堂が一時休止せざるおえなくなりました。休止から数ヶ月、食材やお弁当の無料配布や、頻度や人数を抑える形で子ども食堂は再開し始めています。子ども食堂を運営する方々は、ただ感染拡大が収まるのを待つのではなく、状況の変化に対応して、新たな形での支援に挑戦しました。これこそが子ども食堂のいち早い再開につながったのだと思う。今回の例に限らず、現状に満足しないで、新しい変化を受け入れることは物事を最善の状態に導くと考えている。
◆「学歴は関係ない!?」
皆さんは“学歴”から“学習歴”へという時代になっていることを知っているだろうか。私自身、幼い頃から「勉強はしっかりしておきなさい」や「良い大学に行きなさい」と周囲の大人からよく言われてきたため、“学歴”が全てだと思っていた。しかし、現代では“学歴”よりも“学習歴”の方が重視されてきている。
“学歴”とは学業の経歴のことであり、特に企業の採用では最終学歴、どの大学や専門学校で、どんな学業・課程を修了したかが問われることが多い。そして、“学習歴”とは主に社会に出てから習得した知識や技能のことであり、学生でも、学外で勉強し、習得したものがあれば、それを学習歴と呼ぶこともある。[1]
海外ではすでに重視されている“学習歴”だが、その“学習歴”を習得するメリットは2つある。
1つ目は「人柄が分かる」ということである。就職活動などの面接では、普段のその人の人柄は正確には判断できない。しかし、学習歴を見れば、今までにその人がどんなものに興味があって、何を成し遂げたのかがすぐにわかる。それは、学習歴を得るためには、何を学ぶか、どの組織に入ってどんな活動をするかを本人の意思によって決める必要があるからである。
2つ目は「将来の仕事の幅が広がる」ということである。学習歴を得るために様々な活動をするため、自分の経験値が増える。その経験をしていく中で人脈が広がり、そこで出会った人から、新たな活動や仕事を紹介されたり、そこで得た専門的な知識やスキルを活かした仕事に挑戦したりすることもできる。より多くの学習歴を得ることができれば、その分自分がやることのできる仕事の幅も広がっていく。
このように、学習歴を習得することは多くのメリットがある。しかし、学習歴は個人の積極性に任されるので、自らが進んで習得していくことが重要になってくる。コロナ禍で思うようにいかないこともあるかもしれないが、無料で受けることのできるオンライン学習コンテンツもあるので、まずは自分の好きなことから挑戦してみてはどうだろうか。
〈参考文献〉
[1] 厚生労働省,ジョブ・カード制度総合サイト,「就職・転職で重視される学習歴とは」,https://jobcard.mhlw.go.jp/column/employed/learning-history.html,2021-08-10
◆「つながり」
みなさんはいままで⼈との繋がりを⼤切に⾏動してきましたか?⼈との繋がりがどれほど重要なことか考えたことはあったでしょうか?
いままで与えられたことを受動的にこなしてきた⼈は、その与えられた範囲でしか⼈と繋がることができないものです。それとは対照的に、⾃分の好奇⼼や向上⼼のもとさまざまな事柄に積極的に取り組む⼈は、さまざまな種類の⼈と繋がることが可能です。わたしは今まで前者でした。前者と後者の⼤きな違いは得られる機会の数です。⼈と繋がることによって何かしらの機会が得られます。ただ、受動的に⼈と繋がっているひとは機会を得ても、それを実⾏に移すことができないかもしれません。受動的な⼈は⾃ら⾏動する⾏為⾃体、苦⼿な傾向があるからです。それより前の⾏動しようという意思の有無が重要であるかもしれません。
それでは、受動的な⼈はどのようにして後者になり得るでしょうか。
1番有効な策は、後者に当てはまる⼈と繋がりを持つことだと私は考えます。本講義で後者に当てはまるさまざまなゲストスピーカーと繋がりを持ち、私⾃⾝、積極的に⾏動しようという意思を持つことができました。この意思を持つことが実は1番難しいことです。やろうと思えばできるかもしれないけどわたしにはできない。そのような考えをずっと持っていましたが、意思を持てたことによって⾏動することが可能になりました。
また、これはゲストスピーカーの⽅が意識していたことですが、⼈の誘いを断らないということも⾮常に有効な策だと考えます。誘いを断ることはときに⾃分の可能性を潰す⾏為になり得ます。誘いを断らないことによって新たに得られる繋がり、また既存の繋がりをより強くするような効果があるのではないかとと考えます。
コロナ禍で、以前よりもなお⼈との繋がりを持つことが容易ではなくなった今、これまでよりもなおさら⼈との繋がりが重要になってくることでしょう。
◆「スタディスキルズの説明書」
スタディスキルズは意識をして勉強すると成長ができる授業だと考える。ここでは実際に僕が講義を受けて意識するべきだと思ったポイントと、実行するためのおすすめプランを書いていく。
●講義編
英文を読んだことはほとんどの人があると思う。もしあなたが帰国子女でもない限り、目の前に立ちはだかる無数の文字の羅列に頭は混乱し、読む気はゼロへと進んでいくだろう。
英文を読む時に私たちの前には二つの壁が立ちはだかる。それは文法と単語ある。文法が分からなければ、読み方が分からない。単語が分からなければ、読むことが出来ない。
スタディスキルズの授業は英文に近いと私は考えている。なぜなら自分の知らない単語かたくさんでてくるからである。プログラミングから地方の特産物まで、知らないもののオンパレードである。
しかし、幸いなことに英文と違うところは使っている言語は日本語なので文法は分かる。私たちがスタディスキルズで必要なものは単語なのである。
実際に事前に下調べをした後に聴いた授業と、事前準備を全くしないで聴いた授業だと、勉強のしやすさは確実に前者の方が勝っていた。
事前準備をすると知っている言葉が多く、理解がしやすいのである。理解がしやすいと、楽しくなる可能性が高くなるのである。
私のおすすめはテーマが発表された後すぐに「◯◯ 簡単に」と検索してみることである。テーマについての大体の内容が分かるようになるので講義の理解がしやすくなる。また調べていくうちに興味が湧く可能性もある。
●グループワーク編
グループワークは楽しい。しかし、なにも考えずグループワークを行っていても成長はできなかった。
一回一回目標を持って取り組むのが良いと考える。時間配分、話の進め方、話のまとめ方など、意識をすればどんどん成長することができる。
特にコロナ禍では友人と話す機会が少なく、スタディスキルズは特に役に立った。授業の内容だけではなく、友人作りのきっかけにスタディスキルズを活用することができる。
私のおすすめは毎回グループワークをする前に一つ課題を設定することである。例えば私はしゃべりすぎないように二割しゃべって八割はメンバーに話をふるなど課題を設定していた。課題を設定するとやるべきことがはっきりするのでグループワークで焦ることが少なくなる。また達成感も得られる。
スタディスキルズは先生から出される課題が少ない。課題の少なさから自由な時間が与えられるのもこの授業の醍醐味である。なにもしなければ、なにもしないだけで学期が終わる。そのため積極的に自分で学びに行かなければ成長は大きく出来ない。ぜひ前述したものを試してほしい。
(1102字)
【2年】◆「人から頼まれたことを絶対に断らないという事」
私はスタディ・スキルズ講座を受講して、特に最近重要さを実感したのが5月13日の授業で安田さんがおっしゃっていた「人から頼まれたことを絶対に断らない」ということでした。最近、「以前までは表面上だけ見て判断し、なんとなく嫌悪していたもの」の良さをたまたま知ることが出来たという経験をしました。物事に対する偏見を持つべきではないと頭ではわかっていても、実際に偏見なしで物事を見られている方は少ないと思います。どこか知った気になって偏見と呼ばれるような自分なりのイメージを作り上げてそのものに触れることを意図的に避ける、ということを私は未だにすべてはぬぐい切れていないように思います。このように、人から頼まれたことを絶対に断らないという行動は普段意図せず偏見を持ち、知ることを避けてしまっている物事を知る第一歩になると思います。このような行動をしていれば、自分の全く知らない分野に触れたり新しい発見が出来たりしますし、物事に対して広い視点で見て判断することが出来るようになると思います。ただ、人から頼まれたことを絶対に断らないなんて言うことはなかなか出来る事ではありません。年を重ねるほどにそれに見合った報酬がないと、人は面倒だという感情を抱くようになっていくと思うからです。ここで分かっておかなければならないことは、経験は目には見えない形でも人生における大きな財産になるという事です。まずは一歩目が重要です。経験が力になるという事を知ることが出来れば、どんどん学びに対して貪欲になっていけるのではないかと思います。私は、これから社会に出ていくなかでもこのような学び続ける姿勢を忘れず心がけていきたいと思います。
◆「八丈島の魅力」
私が本授業で一番興味を持ったことは、八丈島についてである。私は本授業を受けるまでは八丈島というのは名前を聞いたことがある程度で、特に興味を持っていなかった。しかし、授業では「くさや」について語ってもらったり、映画作品「今日という日が最後なら、」を視聴したり、することによって八丈島への興味が湧いた。
くさやについて実際に語ってもらったあと、実際に購入もしてみた。私は現在一人暮らしなので、周りを気にせずに開けて食べることが出来た。ところが、そとにその匂いが漏れないように部屋を密閉しながら開けたものの、思っていた以上にきつい匂いで、1週間は帰宅するたびに鼻につく匂いが部屋に残り、その間は人も呼べず、困った。ネットでくさやについて調べてみたところ、くさやフェアなるものが存在しており、そこではくさやの商品がカフェのメニューとしてパンにはさまれているものなどがあった。くさやフェアの動画を見てみたが、レポーターが顔をしかめながら食べていた。ニュースをみてみるとくさや業界も盛り上がっているのではないかと思いきや、授業でくさやについて語ってくださった長田さんによると、衰退してきているという。私はこの解決策としては、くさやが世界で一番くさい食べ物として有名なシュールストレミングと対になる存在と呼ばれるようになることであると考えた。方法としては様々なものがあるが、私はテレビでくさい食べ物選手権などと呼ばれる番組を用意し、そこで紹介してもらうことが一番手っ取り早いと考えた。
映画においてはセット等はとてもチープに感じたものの、脚本、八丈島の良さはとても良く、友人に紹介するほど私は気に入った。とくに八丈島の景観はとてもよいということがよく分かった。
今の八丈島の日本での知名度は、名前を聞いたことがある程度かもしれないが、くさや、景観を活かして将来的に、世界に知られるような島になってほしいと私は感じた。
◆「自分の人生に意外性を持つ」
人生とは人それぞれ違ったものであり、生き方には様々なものがある。現代では人生の選択肢が無限にある。会社に勤める者もいればアスリートを目指す者もいる。働かないという選択を取る者もいる。これらの選択の良し悪しには客観的な指標らしきものはあるかもしれないが実際には誰にもわからない。しかし、どの選択においても人生に意外性(セレンディピティ)を持つことが重要である。セレンディピティとは、偶発的な事象に対し、新価値を見出し奇跡や幸福を生む能力のことである。この意外性がいかに作用しているかは本講義を通じて実感することができた。本講義では毎授業にゲストスピーカーを招き、普段聴くことのできない貴重な話をしていただいた。彼らの話は主にこれまでの経歴や現在行なっているビジネスに関する内容であった。彼らの話に共通しているのは「人と人とのつながり」であり、それが価値を生み出したということである。人とつながることによって自分には無い様々な知識や価値観を得ることができ、自分の人生に新しい選択肢を与える。すなわち、彼らは人とつながることから人生において意外性が生まれたのである。私自身、本講義で様々な方の話をきっかけにNGOオンラインプロジェクトに参加している。これも人との繋がりによる意外性である。また、このオンラインプロジェクトにおいても様々な年齢層の方が参加しており、普段なら聴くことのできない経営の話や株・投資の話など自分の知らないことを知ることができる。このように人と人とのつながりによる意外性をきっかけに人とのつながりがさらに拡大するという連鎖が起きる。そして意外性を引き起こすために重要なことは行動することである。人とのつながりによってインプットしたものをいかにアウトプットするかがその価値を変える。人と人とのつながりに関しても同じことが言える。自らが人生の選択肢を広げたいという積極的姿勢が人との繋がりを生み、人生の意外性へとつながる。これらを意識して生活することで、自身にとってより最良な選択ができ、人生をより愉快なものへと変えることができるだろう。
◆「他人から見た自分が本物!?」
自分が考えている自分よりも、他人から見た自分が本物だと考える。なぜなら、自分の顔は自分で見るために鏡をみなければならず、また鏡は反対であるとか鏡の屈折によって本当の自分の顔を見るのは難しい。また、写真も加工アプリや美容アプリが流行していたり、自分の写真が納得いかず「写りが悪い」と思い認めなかったりする。その為、自分の顔すらよくわからないのである。その為自分が思い描いている顔すら本当なのかわからないのである。
それでは他人から見た顔はどうであろうか。本当の自分の顔を物理的に見ることができるし、精神的にも自分の都合の悪い部分や自身が認めたくない部分すら見られている。では、本当の自分とはなんなのだろうか。自分が考えている自分が、本当の自分なのだろうか。自分が向いていると言うものは本当に向いているものなのだろうか?
では、他人が向いていると言うものは本当に向いているのだろうか?私は以前、私が向いていると思ったものは向いているし、本当の私は私が一番知っていると思っていた。
しかし、この授業で「他人の方が自分を理解している」と言うものを聞いて納得してしまった。これは、視野を広げると言う意味だと自分で解釈したのでここからは私の解釈を説明する。これを聞いてから、他人の意見ももっと訊こうと思うようになった。
自分の意見が一番だと考えている人間にとって、「他人の方が自分を理解している」と言うことを言われると納得し難いが、他人の方が私の方がわかっているなら聞こうかなと言う気持ちになるかもしれない。
こう言った一言で自分の視野が広がることもあるのである。
【3年】◆「オリンピック開催は正しかったのか。」
私が1番授業の中で興味を持ったテーマは「オリンピック開催」についてである。延期されてついに東京オリンピックが開催されると期待が高まっているなか、コロナの感染が拡大し不安の声もあり、「オリンピックは開催されるのか」と全世界が気になりかけた話題である。オリンピックのために一生をかけて努力をしてきた選手の立場にたつと今回中止になってしまったら次にオリンピックを出られる保証はないため、開催するべきという意見はあるだろう。しかし、コロナが心配だからオリンピックを開催することは不安だという人の立場に立つと、オリンピックを開催することで人の移動が多くなり感染が拡大してしまうから開催するべきではないという意見もあるだろう。さまざまな意見があるなかで日本はオリンピック開催という決断をした。日本はオリンピック開催のために国立競技場を設立したりと今まで多額のお金をかけて着々と準備をしていた。また、日本はコロナの影響で10万円を国民に寄付したり、営業が厳しい飲食店などにお金を支給したりと日本は今お金がない状況である。そのため、オリンピックを開催せざるを得ないという状況になってしまったのだ。これは経済面からみたら開催することは正しいといえるが、コロナのことを考えると正しいとはいえない。実際オリンピックを開催したことでコロナ感染は拡大に広まり緊急事態宣言が発令されてしまった。この一連をみて、私はオリンピック開催は正しいと感じた。仮にオリンピックを中止にしたところでコロナの感染が収まるのであれば、1回目の緊急事態宣言でとっくにおさまっているはずだからである。しかし実際は4回緊急事態宣言が発令されている現状である。どのみち、コロナ感染が収まらないのだから、日本の金銭の問題に限らず、努力してきた選手、そしてオリンピックをずっと楽しみにしていた国民にとってもコロナをひととき忘れられる、メリットがあると感じ、開催して正解だと考えた。
【4年】◆「若者は世間の常識に関心を持て」
今回特に関心を感じたのは自分を含めた時事への関心の無さである。
例えばコロナに対してすらも意見の違いが往々にして起こるという事だ。
例えばこれに関して結論から言うと自分にはこういった事象には三種三様というわけにはいかないと考えていたからだ。例えば副反応が怖いからワクチンを打たない、という考えがあったとしてそれは「それもまた一興」とは言えないだろう。一様にして接種すべきである。5gだとかDNA改変の陰謀論だとか、そういったものを根拠に思考停止をして反発することは個性だとか多様性と捉えていいのだろうか。(これに関してはこんなことを言っている学生はいないであろうが)
オリンピックに関してもそうだ。開催の是非に関して争点となる点はコロナの感染拡大か否かという点ばかりに着目して、委員会から課せられる罰金等を考慮した議論というのは見られなかった。
これらは彼らの情報収集の能力が低いからではないのだ。能動的に収集を行おうとしていないからであると考える。彼らは関心がないのだ。時事への。
しかしこれらに関心が湧いてこないというのはそれもまた納得しうる視点がある。
自身の生活には干渉し得ないという認識だからだ。オリンピックが開催されようとされなかろうと、他人がワクチンを打とうが打たなかろうが、直接的に個人に干渉することはないだろう。政治に対する態度も同じことが言える。実際巡り巡って自身に干渉するとしても実感は湧かないのである。世間の関連の低さは関心の低さと比例するのだとわかった。オリンピックだって自身が罰金を払うわけでもなければ陰謀論だって他人が思い込むには自信には関係のないこと。金メダルだって自分のものが噛まれたわけでもない。今世の中の時事は間接的に興味の湧かせないことだらけで溢れているのに、それらの時事問題を知ることを強要する無知な世間こそ、実として、愚かであると。だからこそ、無知である我々は議論を自ら憚るのだ。
◆「就活前線の実情」
就職活動という場は、自分を「売りに出す」場であり、その場では当然様々な資格/スキルが具体的に付随していると望ましい。実際、例としてデータサイエンティストの募集においては大学の学士以外にも、営業部門では販売にあたってのスキル、探鉱スキルなど枚挙に暇がないほどの幅広い能力がみられている。では、現在すべてあるいはほとんどの企業がそうした募集をしているのかという疑問が生まれる。答えはノーである。例えば上記のデータサイエンティストの営業職の場合、3~5年の販売経験が望ましいとされている例がある。つまりこれには専攻を生かして卒業後に職業訓練をしているということになる。ではほかの大多数の企業の採用形態は異なった人材を採用している形態となっているのか、答えは「新卒一括採用」である。この前時代的(とされてきている)な採用形態にはどのような実情と穴があるのだろうか。大昔の日本や諸外国のように、大学卒業後に就職活動をするとなれば、必然的に(元)学生は一定期間をフリーターとして過ごすことになる。こうなると、彼らは自分らの帰属する集団が何であるかを認識するのは難しくなる。その不安定さは、実は現代の一般的な新卒一括採用においても同様であるのだ。学生らは企業や業種を選ぶタイミングが十分に与えられておらず、決断の負担が大きいものとなってしまう。大学生にとって新卒で入社するという選択は、彼らの今後の人生を大いに左右するイベントであり、その一度きりのタイミングを逃してしまうと今後正規雇用にありつける可能性が大いに下がってしまう。また、現代日本の新卒一括採用では自分の大学における専攻と関連のある分野の企業に就職できるケースは、必ず保証されるというわけではない。ここで、我々に「大卒という肩書に個人の中身が伴っているのか」という疑問が投げかけられている。
◆コラム「SNS 取扱説明書」
昨今インターネットが広く普及するようになって、SNS でのコミュニケーションは私たちの生活になくてはならないものとなった。私の世代は、小中学生のころからもうSNS時代に入っていたが、私は高校入学を期にスマートフォンを両親に購入してもらいSNSデビューした。それもあってか、私自身はSNSで他人を誹謗中傷することもなければ、トラブルに巻き込まれることもなく、平和にSNSを活用している。そのためSNSはうまく利用
すればとても楽しく価値があるものだという風に感じている。
一方、講義で見たSNSでの誹謗中傷に関するドキュメンタリーを見て、SNS上での誹謗中傷が人を自殺に追い込む、不登校を引き起こすことを知って、私が普段利用しているツールの恐ろしさを感じるようになった。私も一歩間違えればそのような誹謗中傷の対象になりうると考えると背筋が凍る思いがする。
私が SNS を利用する上で気を付けているのは、他人の目を気にして発言する、それも自分が直接顔見知りで顔をすぐに思い浮かべることができるような友だちの目線を気にして発言するということである。すると、例えば友だちの A 君の悪口を SNS に書いたとしたら、A君は直接その時間たまたま見てないかもしれないが、その友だちの B さんに見られるかもしれないし、それがA君に伝わったら気まずいことになるなあという想像力が働いて、自分
の書き込みを調整できているつもりだ。つまり、SNSを健全につかいこなすためには、結局ネット上の書き込みであっても、直接顔を知っているA君やBさんに見られているかもしれないという想像力、それがどんなトラブルに発展するかという想像力が大切なのだと思う。
最近はインスタグラムなどを見ていると、コロナ禍の自粛ムードの中で前よりも外で遊んでいるような雰囲気の画像を乗せづらい風潮が生まれているように思える。そういう意味では今の私たちの世代は、他人にどう見られるかということを意識して自己プロデュースする能力が備わっているように思える。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、この傾向が続けばネット上での誹謗中傷も自然となくなっていくようにも思える。
一方で飲んで騒いで炎上した Youtuber たちが話題になったように、SNS からもさらに隠れたところで悪さをする人達も出てくるかもしれないなとは思った。
◆「『成功をする』ということ」
加藤さんのお話の中で、将来に関しての話題があった。就職活動を控えた現在、「将来どうなりたい?」という投げかけを友人とよくするようになった。
この問いかけは幼い頃もよくしていたが、当時の様な微笑ましい答えではなく、より具体的なものが求められる。医者、教師、弁護士から普通のOLまで、友人達の答えは様々だ。では私はどうなのかと言うと、まだ定まっていない。考える度に違う職業に就く自分が思い浮かんでくるが、私のイメージには、一つの共通する点がある。それは、どの未来においても必ず「成功している」という点だ。私の想像する未来は、どれもこれも華々しい経歴を持っているものばかりなのである。そんな大きな将来を楽しく想像する一方で、特に何か秀でた才能を持っている訳でもないのに、ただ単に「成功」を求める自分に疑問を抱く瞬間が多々ある。そもそも、成功とは何なのだろうか。私がその“成功事例”に一番最初に思い浮かんだのは祖父であった。
祖父は昨年、褒章を受章した。理由は、仕事を長い間続けかつ一生懸命働いたからだそうだ。祖父の友人や同僚、祖父と関わってきた沢山の人々から手紙が届いていた。まるでそれらは、祖父への思いが形になったものの様で、祖父は嬉しそうに、一つ一つに心を込めて返事を書いていたのが印象的だった。
私の祖父は、私が自分の未来として想像するような派手な生活を送っている訳では決してない。けれども、自分のなすべきことを地道にこなし、自らは厳しく律し、逆に他人にはいつも小さな優しさが渡せるような、そこにいるだけで皆が穏やかになれるような、そんな存在だ。
私は今回のスタディスキルズのゲストスピーカーの方々を通し、祖父を感じ取った。人生においての成功とは、彼らのような生き方を実践することではないのだろうか。求めるべきは、拍手喝采でも名声でもなく、充実した生活と自分の世界の幸せ。彼らは私の「成功のお手本」である。
◆「時代に追いつくために」
データの時代とも言われる今では、人工知能などの発達によって世界が大きく変わっている。私たちが受けてきた教育は時代の変化にうまく対応できるかどうかという問題も段々と浮かんでいる。結局、この新しい時代に何のスキルや知識を求められているのか、この世界で生きていく私たちにとって知らなければならないとても重要な問いである。
今までは、そこそこの大学から卒業し、良い仕事を見つけるのは当たり前の話だったが、今になってこの当たり前の話も変わりつつある。人工知能がより発展し、賢くなることによって、私たちがしている仕事が近い将来にはAIに代替される恐れが十分にある。たとえ自分の仕事が代替されなくても、専門的なスキルを持っていないと、ごく簡単な仕事しかできなくなるだろうし、報酬も高くないだろう。だから、大学での勉強は物足りなくて、大学卒業だけでは何の肩書きにもならない時代に私たちが既に突入している。この時代にうまく生きるために、学生時代からいろいろなことをチャレンジしながら学ぶ必要があるだろう。特に、欧米諸国に比べて日本の教育は受験教育に近く、受験に合格ための教育を学生たちが受けてきた。しかしながら、これからの時代では受験のような設けられたことをいかにうまくやるのは機械や人工知能の仕事であり、我々はより専門な分野を絞って、その分野に活用できるスキルや知識を持つことが重要になっている。したがって、学生の時代でグループワークなどを通じて、学生たちに自分が興味を持つモノを知ってもらい、もっと専門的なかつ効率的な教え方で教えた方が良いだろう。そうすれば、学生時代が終わってから、自分がそれなりの専門知識やスキルを持っているはずだ。それらを生かし、自分の希少価値を高め、それぞれの仕事に活用することを期待できる。
私たちはこの新たな時代に乗り越えるために、今まで教えられたことは変化の速い世界に通用できないので、教育改革をし、学生たちにもっと専門的なスキルや知識を学んでもらうことが重要になっているかもしれない。
◆「~東の横綱と呼ばれるくさやとは~」
くさやといえば、日本人なら誰でも耳にしたことがある食材です。もちろんそれは、日本一くさい食材として覚えている人が多いのではないでしょうか。正確には、くさやは魚類の干物の一種であり、伊豆諸島の特産品として知られています。このくさやの独特なにおいの理由は「くさや液」いうものからきています。日本に住んでいても、このくさやを食べたことのない人は大勢いると思います。そこで、人生で一度は食べてみたいくさやの魅力を紹介したいと思います。
くさやの魅力の一つは、食材として非常に優れている点です。くさやは腐りにくく、うまみがあり、カルシウムなどの栄養分を豊富に含んでいます。このほかにもたくさんの良い点があります。これは保存食としても使うことができ、貴重な栄養を摂取することもできます。そしてなんと言っても、干物は体にとても良いです。最近ではダイエットの食材
として食べられることや、アスリートたちが栄養補給のために食べることもあるそうです。これだけでもくさやを食べてみたいと思うのには十分ではないでしょうか。
それに加えて、くさやにはもう一つの魅力があります。それは昔から日本で生産され続けているという点です。これはどういうことかというと、今まで長く食べられている。そして、くさやが好きな人も大勢いるという点です。このことからわかるのは、くさやには食べた人にしかわからない魅力が詰まっているということです。くさやはにおいが独特であるため、敬遠してしまう人もいると思います。ですが、その独特なにおいをわかったうえで食している人がいるのも事実です。これだけで、くさやを食べてみようと考えるには十分なのではないでしょうか。ひとたび口にすれば、今まで知らなかった味を知り、新たな世界を見ることができるでしょう。
これらの理由から私は伊豆諸島伝承の「くさや」をぜひ食べてみるべきだと思います。
食べた人が幸せになれることに加えて、日本人が日本の伝統的な食材を食すことで、それを生産している人たちの後押しにもつながるでしょう。ぜひみなさんで「くさや」を食べてみませんか。
以上、24人。
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