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WOWOWの番組「WHO I AM」を見てコラムを書いてみた 木曜2限③

9月30日の木曜2限「スタディ・スキルズ講座」の第3回、WOWOWの番組「WHO I AM」からそれぞれ一つを選んで視聴し、意見交換しました。振り返りとは別に、コラムを書くことにしました。
<【1】第3回の授業ではWOWOWの番組「WHO I AM」を見て、意見交換しました。番組を見ていろいろな受け止め方があったと思いますが、自分の見た番組で考えたことなどを含め番組批評を書くようなつもりでコラムを書いてください。書き方も内容も自由です、「多くの人に読んでもらえる文章」を工夫して書いてください。字数は800字程度を基本にしてください。ピッタリの字数を求めているわけではないので、適当な長さで構いません。
今回出席をしていなかった人も、番組を見てコラムを書いてください。まだ見ていない人も、前回お伝えしたようにWOWOWに登録して無料で見ることができますので、50分の本編をどれでもいいので視聴したうえで、番組を見ていない人にも伝わる内容で、書いてください。次回の授業では、みんなのコラムを読み合って議論していく予定です。>

【1年】◆ ありのままの自分を受け入れ、成長する
これは、オーストラリアの車椅子バスケの選手、ライリー・バットの言葉である。いまでこそ車椅子バスケ界のスーパースターであり圧倒的な存在感を放つ彼だが、彼は1つの大きな壁にぶつかった過去があった。彼は、四肢に欠損がある障害を持って生まれた。だが、彼の周りの協力もあって、彼はチャレンジ精神旺盛で、障害を意識することなく育った。小学校進学時、彼は車椅子を使っての登校を勧められた。車椅子は障害者が使うものだと考えていた当時の彼は、その勧めを頑なに拒み続けた。自分が障害者であることを認めようとはしなかった。認められなかったのだ。そんなある時、小学校に車椅子バスケの選手たちがそのスポーツを紹介しにやってきた。そこで彼はその種目と出会った。オーストラリアはスポーツが盛んな国で、周りがスポーツに白熱している中、蚊帳の外であったバット氏にも夢中になれるスポーツが見つかったのだった。どんどんのめり込んでいった彼は、ようやく障害を持つ自分を受け入れることができ、車椅子を抵抗なく使うようになった。
私はこれを知り、遠い世界のスーパースターに親近感がわいた。彼はとても強い上に、頭脳を使ったプレイをすると一目置かれている選手である。そのような人ですら、自分を受け入れられなかった時期があったとは驚きだ。私自身、彼と同じ悩みを持っているからなおさら身近に感じた。私は、ぶれない自分の意思を持てないことにいつも自己嫌悪を感じている。だが、この性質は良く言うと、人の意見や考え方を難なく取り入れられるということである。バット氏は、チャレンジ精神を持って始めたものがきっかけで、ありのままの自分と向き合え、自分を受け入れられた。私もその精神を持ち、この性格の長所を活かして周りの人の意見をたくさん聞くようにし、視野を広げられると前向きにとらえながら、この性格と向き合って成長していきたい。(800字)

タイトル:“負けたくない”という人一倍強い想いがより一層彼を強くする
男子車いすテニスで絶対王者といわれる国枝慎吾選手のドキュメンタリー。先日の東京パラリンピックで優勝し、3度目のパラリンピック金メダルを獲得した彼の強さの秘訣に迫る。
彼は、9歳の時、脊髄に腫瘍が発見され、手術をした。手術後の朝、目が覚めた時に脚が動かなくなっていたそうだ。彼が車いすテニスを始めたのは11歳のころで、きっかけは母からの勧めだったらしい。
彼の凄さは何だろうか。それは負けたくないという人一倍強い気持ちとストイックな練習量であると考える。彼のコーチである丸山弘道さん曰く、一つに技術を取得するために3万球打たなければならないというと、本当に3万球打ったそうだ。あれだけ練習してきたのだから必ずできると試合の時に自信をもって戦えるように、ストイックに練習に励むのだと彼自身は話していた。私自身もスポーツをやっているが、この番組を見て自分の甘さや練習不足を思い知った。
番組を見て私が1番印象に残ったのは、2016年のリオパラリンピックの後の国枝選手である。リオパラリンピック前のけがにより、シングルでの優勝を逃すどころか準々決勝敗退という結果だった。パラリンピック後、番組内で、死んでいてもおかしくない状況に比べたらどん底でも牙をむけると話し、懸命にけがのリハビリに励んでいた。これを聞いて、私は国枝選手の何があっても諦めずに努力し続ける姿勢に感動した。また、このような彼の考え方が、試合中、どんな球が返ってきても諦めずに全力で追いかけて打ち返すプレースタイルをつくりだしているのかもしれないと感じた。私も国枝選手のように、何事にも諦めない姿勢を持っていきたい。

◆コラム見出し 東京で更なる躍進を スイマー木村 敬一
2016年リオパラリンピックで銀メダル2枚、銅メダル2枚を獲得という快挙を成し遂げた日本パラ水泳界のエース木村選手は、更なる躍進を目指し東京パラリンピックに挑んだ。滋賀県で生まれ育った木村選手は、2歳という若さで先天性の疾患により、視力を失う。小学校4年生のときに水泳を始め、国際大会を中学時代から経験するなど圧巻のキャリアを積み重ねてきた。2012年ロンドン大会では、銀メダル・銅メダルを獲得。その後の世界選手権では、3度にわたり世界の頂点に立った。そんな木村選手だが、パラリンピックという舞台において世界の頂点には未だ立てていない。リオパラリンピック後、インタビューに応じた木村選手は、こう述べている。「リオまでの3年間これまでにないほど自分を追い込んできたつもり。けどそれでも頂点に立たなかった。何かしらの刺激が今の自分には必要だ。」と。刺激を求め、活動拠点をアメリカに移した木村選手は、常にここに来た意味を考える。何のために自分はここに来たのか、何を成し遂げるためにここを選んだのか、求めるのは世界の頂点。自らの障害をハンデと捉えず、壁を乗り換えた先に待っていたのは東京パラリンピックでの金メダルであった。表彰台で君が代が流れると、木村選手の目からは大粒の涙が流れていた。そんな木村選手が何度も口にしていたのが「幸せ」という言葉。自身のSNSにも、自分を支えてくれた人たちへの感謝の言葉と「今は幸せでしかない」という言葉を残した。悲願の金メダル獲得に向けて練習に取り組んできた日々と重ね合わせると木村選手の流した涙は多くの人の涙を誘ったのではないだろうか。東京で更なる躍進を目指し、パラリンピックという舞台に戻ってきたスイマー木村敬一に世界から称賛の声が集まる。

◆「車いすになったことくらいで良かったなと思っている。」「一度死んでいるようなものだと思っているから何事にも挑戦できる。」このように語っているのは、車いすテニスの国枝慎吾選手である。なぜ彼はこのような前向きな考え方ができるのか。
野球少年だった彼に小児がんが見つかった。手術が行われた時、彼はまだ9歳だった。大好きだった野球ができなくなってしまったが、バスケやテニスを始めた。また、日常生活においても、できる限りのことを自分で行った。彼は当時を振り返り、「やっぱり自分でやった方がかっこいいから。」と笑顔で話した。
私は、彼の負けず嫌いな性格が向上心の高さに繋がっていると感じた。人は自分が当たり前にできていたことや好きなことがいきなりできなくなってしまったら、どのようになるのだろう。彼のように新たなことに挑戦する勇気は持てるのか、振り返った時に「車いすになったことくらいで」という言葉を使えるのか、、、。私だったらきっと甘えてしまうだろう。何かと自分の体を理由に逃げ出してしまうだろう。この後、彼はリオオリンピックで壁にぶつかる。
リオオリンピック前に、腕の怪我により練習や試合を思うようにできなくなった。その結果、リオオリンピックではシングルでは結果を出すことができなかった。世界順位は8位まで落ちた。しかし彼は前を向いていた。帰国後、グランドスラムの出場に向け自分の状態を分析しながら練習を再開していた。車いすテニスの最前線で戦い続けたチャンピオンはなぜすぐに前を向けたのだろう。
「チャレンジしているときが一番楽しい。チャンピオンだったら守り抜かなければと考えてしまう。リオで負けたからこそ、またチャレンジが増えた。」壁にぶつかっても挑み続ける国枝選手。彼の精神力には誰もが驚かされるだろう。彼のこの先の活躍には目が離せない。

◆東京パラリンピック大会でインドの選手マニッシュ・ナルワルが金メダルを獲得した。19歳の彼はワールドカップの次、東京パラリンピックも制覇した。
2001年生まれの彼は先天的右腕に麻痺があり、右手に力を入れられないという状態になった。体に欠陥があるため学校でいじめられたこともあった。運動好きのナルワルはサッカー選手になるのが夢だった。しかし彼のような体に欠陥がある人にとっては不可能に近いものでした。2016年彼のお父さんの友人からのアドバイスをきっかけにして初めて射撃と出会った。その射撃場にいる人全部右利きで、銃も全部右利きに特化されたもので左利きのナルワルにとってはとても使いづらいことにもかかわらず、右手用の銃を無理やり左手で使った。そのあと、初めて地元の大会で優勝して人に認められた。銃を手に入れた二年間に世界大会で数多くの金メダルを獲得した。彼にとっては人生が思いつかないほど変わっただろう。
彼は記者にインタビューされた時、どうやってそんなに上手になれるかと聞かれた、彼は練習だと答えた、そして練習の中で何かが大切なのかに聞かれたときも彼は同じく練習と答えた。ナルワルの根性は常人ではない、銃を手に入れたから毎日射撃の訓練を繰り返している。一日たりとも怠ったことはなかった。照準の練習を日々重なりただただ反復し、体に書き込む。真夜中にいきなりたたき起こされてすぐ射撃をしても8.5点が得られるようにひたすら練習している。
2019年、彼はクロアチアで開催された2019 Osijekワールドカップで第二位を獲得し、東京パラリンピックの出場権を得られたが、金メタルを逃がしたナルワルは敵に勝てなかったことより、自分に勝てなかったことに悔しい。2021年の東京パラリンピックでは彼の努力が報われた。10メートルのエアピストルSH1で7位をもらったナルワルは、P1男子10メートルエアピストルの試合で218.2の成績でパラリンピックの記録を破り、彼の最初のメダルを獲得した。そしてP4混合50メートルピストルSH1と共に2枚の金メタルを獲得した。東京で二度も金メダルを獲得したナルワルにとってこれは始まりに過ぎないだろう。

【3年】◆タティアナ•マクファデンさん(27)はアメリカの車椅子陸上の選手である。彼女は2012年パラリンピックロンドン大会で400m、800m、1500mで金メダルを獲得2013年に4大マラソンを一年間で全制覇する「年間グランドスラム」を達成、そして世界選手権では出場した6種目すべてで金メダルを獲得するほどの実力者である。そんな彼女は生まれつき足が無く母親から捨てられて生まれてからの6年間を施設で過ごした。施設には車椅子すらなく自らの腕で体を引きずりながら移動していた。それでも彼女は「生きていること自体が奇跡」と悲観的になることはなかった。16歳の時養子にしてもらい初めて車椅子を与えられた時自分1人でどこまでも自由に行動できることに感動を覚えたという。義母に紹介された障害者スポーツ施設で陸上に出会った。それから彼女は様々な大会で好記録を残していくがその秘訣は腕力にあった。幼少期の施設生活の6年間彼女は腕の力のみで体を移動させていたので一般的な車椅子陸上選手より筋力がかなり強くなっていたのだ。そんな彼女のモットーは「私はできる」。何に対してもやってみなきゃの精神で挑戦し続ける彼女は医療環境にある子供や家族に、心理社会的支援を提供する専門職である「チャイルドライフ・スペシャリスト」の資格を取るために大学で障害のある子供たちへの教育方法を学んでいる。「車椅子を漕ぐ姿や私の表情から他の人と同じように何でもできる!ということが伝えられれば」とタティアナさんは話している。

◆「水に入ると僕は自由になれる」
 そう語るのはブラジルの水泳選手ダニエル・ディアスだ。
パラアスリートを追うWOWOWのドキュメンタリー番組「WHO I AM」に登場する彼は、16歳の時にシルバ選手がアテネオリンピックで6枚ものメダルを獲得したを見たことがきっかけで夢を抱き、その4年後北京パラリンピックに出場。初めてのオリンピックで初の金メダル、初の世界記録を達成、9枚ものメダルを獲得した。ダニエルディアス現象と呼ばれ、ブラジル中を釘付けにした。
 S5クラスである(数字が小さい方が重度の障がいを持つ)彼は、生まれながらに右足と両手がない。一本の足を左右に動かしながら泳ぐキック力が強みである。障がいのない選手と同様の練習を行い、厳しい練習をこなしてきた。
 彼の水泳の才能は言うまでもなく素晴らしいが、他者へ目を向ける精神もまた素晴らしい。アスリートとして輝くことで人の人生を変えられると身をもって知り、自分自身もまた人の人生を変えようと行動を起こした。子供たちの水泳指導をする団体「ダニエル・ディアス基金」を立ち上げた。陸上で思うままに動けない子供たちは水中では動き回れるんだと自信がつく。
 彼からは、スポーツの勝ち負けではなく、内面を大切にした生き方・精神が伝わってくる。両親と家族、周囲への感謝を常に持つ。幾度となく受けてきた差別に対して、両親が教えてくれた言葉があるという。「他人や社会に差別はあるもので、なくならない。だけど、あなたの心の中にあってはいけない」と。彼は人を差別しないし、自分の障がいが人と比べて劣っているとも思わないと話す。また、引退後はメダルの取れる選手の育成よりも、社会のために貢献できる人間、勝ち負けを超えた人生のチャンピオンを育てたいと笑顔で話す。彼から力強い信念を感じる。人は皆特別なんだと伝えたい、と真に願う彼の生き様は人の心を動かす力がある。
計24個のメダルを獲得したダニエル・ディアスにこれからも期待が高まる。

◆今回、私が見た「WHO I AM」の番組は、車椅子テニスの国枝選手の回。国枝選手は車椅子テニスの限界を超えた動きが出来るスーパープレイヤー。世界ランキング1位にも輝いており、オリンピックでも金メダルを何回も獲得している。しかしその背景には62敗の負けがあり、本人もその敗北を不服に思っており、自分が最強であるべきだと考えている。そんな国枝選手は2016年、リオデジャネイロオリンピックに挑む。もちろん彼が目指すのは金メダルであり、銀、銅メダルでは意味が無いと考えている。本番に向け練習を重ねる中で肘の関節症が彼を襲う。ラケットを握るだけでも痛む腕を手術とリハビリによって少しずつ復帰へ戻していく。そこには彼の努力だけではなく彼を支えてくれる奥さんの存在や、トレーナーの方々の姿、そして試合の相手をしてくれるプレイヤー全ての存在がある。勝つための努力として、1人だけの努力じゃない、様々な人のおかげで今の自分がいる、そんな姿を感じさせる番組だった。

『立ちはだかるイランの壁 英雄と呼ばれる男の苦悩』
画面に映し出された男性は、娘を高々と抱き、愛する家族にキスをして家を出た。車を運転し、トレーニング場へと向かうその姿は、ごく普通の光景に見えた。しかし、バレーの練習場で靴下を脱いだ彼の足には踵がなかった。今では、「シッティングバレー界のロナウド」「サラエボのメッシ」と呼ばれ英雄と称えられているサフェト・アリバシッチだが、「俺の人生は大きく変わってしまった」と話す彼はどこか悲しそうな顔をしていた。彼の踵がなくなってしまったのは12歳の出来事だった。当時、ボスニアは紛争真っ只中で、彼と彼の母親が住む村は、敵と味方の勢力が陣地を奪い合う激戦区であった。殺すことを目的とするのではなく、戦力を奪うために埋められた600万個の地雷のうちの1つを、運悪く彼は踏んでしまった。地雷の衝撃は全世界が崩れ落ちたような気がしたと彼は語る。彼の人生は、そこから一変した。杖をついて歩くのも痛かったが、何より、周りの友達にその姿を見られることが嫌だったという。心がその痛みに耐えられず、家に引きこもるようになってしまった彼を、再び外の世界に連れ出したのが、シッティングバレーである。バレーを始めてから一年、同じ境遇の友達に出会い、今では互いが心の支えになったと笑顔で語っていた。そして出会いから14年、二人は祖国ボスニア・ヘルツェゴビナに唯一の金メダルを捧げた。紛争から20年が経った今でも街中に紛争の傷跡は残っている。ボスニアの人々は、またいつ紛争が起きるかと怯えた生活を送っているという。パラリンピックで活躍することで祖国の復興のアピールができるとの思いで、ボスニア代表合宿へ足を運んだ。しかし、気合が空回りしてしまい合宿では思うように活躍ができず、コンディションが上がらないままリオオリンピックへ。大会へ向けて打倒イランを掲げ、チームで徹底的に対策を練ったが、圧倒的なイラン選手のパワーになす術もなく、結果は惜しくも銀メダル。娘には銀メダルで我慢してもらうよと最後まで家族思いの英雄の後ろ姿はリベンジに燃えていた。

「パラスポーツを代表するスター」
パラリンピック水泳選手のダニエル・ディアス。人気と実力を兼ね備えた選手はどのようにして生まれ、何を思うのか。
ディアス選手は先天性の四肢奇形をもって生まれた。一本の足で生きることを余儀なくされたのだ。しかし彼は生まれながらにして背負う重圧に負けることなく、16歳で水泳を始め、そしてすぐさま国際舞台へ飛び立つ。S5/SB4という障害の程度に応じたクラス分けにもかかわらず、その超人的身体能力で、出場するあらゆる種目を制し続けている。過去に出場したパラリンピックでは北京大会とロンドン大会において既に15枚のメダルを獲得した。名実ともに屈指の金メダルコレクターである。また2015年世界選手権でも8種目中7種目で金メダルを獲得し、同クラスの選手たちには勝ち目なしとも言われている。当時期待されていたリオ大会では、その勝利は確実なものとみなされ、勝つかどうかではなく、メダルの獲得枚数と世界記録に注目が集まっていた。
パラリンピックを代表するスーパースターであるディアス選手は、かつてその少年時代に差別に苦しんだ経験がある。障害に対する差別は数えきないほど受け、好奇の目にさらされ続けたそうだ。だがディアス選手の両親は常に味方であり、彼に対して「差別はなくならないが、あなたの心の中にあってはいけない」と嗜めたという。その教育もあってか、彼は人を差別せず、自身が障害のない人に比べて劣っているとは思っていないという。
彼は「どれだけ暗いことがあろうとも努力し続ければ、人に感動を与える存在になれる」と語る。今、彼には希望や期待がかかっている。国を代表するパラリンピック選手となった彼の、一本足の加速力と爆発力を駆使して世界に戦う姿を見て心を揺さぶられない人間はいないだろう。

◆自身が持つ体の障害を乗り越え、乗馬選手となったスティナ・タンゲの人生に密着した番組。
彼女はデンマークに生まれ、生まれつき足がなく、幼少期に理学療法として乗馬を始めた。自分の足がなく障害を抱えることは人生におけるハンデなのか?という障害の元となる概念を改めて考えさせられる物語であり、私自身感銘を受けた。足がないことを理由に運動や人との接触を言い訳として避けることを彼女の親は良く思わず、足がないことを理由にせずに自身を伸ばす教育をした。自身の努力、モチベーションのみならず親の教育も彼女にとって大きな励みであったと感じる。自身が努力する中で、彼女にとって馬術はスティナにとって人生を変えるきっかけとなった。私自身なにかを理由にして挑戦ができないことが多々ある。日々の勉強や運動、生活習慣など。この番組を機に今挑戦してみたいと思いつつも始められていなかったことをいくつか始めたい。
スティナは馬術に没頭し、観客を圧倒させるパフォーマンスをするようになった。自身のパフォーマンスに障害の有無は関係ないことを身をもって学んだスティナ。日々の練習を続けること、自身のモチベーションを上げたことによりロンドンパラリンピックに出場するまでになった。自分自身の体をハンデとは思わず、自身を信じて努力を続けたことに感動した。さらに4年後のリオパラリンピックでは新しい馬を迎え入れ、銅メダルを取った。さらに最終的には優勝という結果を残して、ベストライダー賞に
選ばれたことで現代で有名な選手となった。この番組で、自身のみならず周囲の環境が大きく影響することを感じた。自分を信じ、他人にも信じられることがとても素敵なことだと感じた。

【4年】◆ 493勝62敗の脅威の戦績を持つプロ車いすテニスプレイヤーの国枝慎吾。小学生の時に脊髄腫瘍が見つかり摘出手術を行ったため足が動かなくなった。11歳の時に母の勧めで車いすテニスに出会う。高校生になると大会で頭角を現し海外に遠征に向かう。大学二年でアテネパラリンピックに出場しダブルスで金メダルを獲得した。
 現在では世界の選手が国枝選手を追いかける構図になっているほどの選手。これまではいかにラリーを続け相手のミスを誘うかが勝負になっていた車いすのテニスであったが難易度の高い技を繰り出しどんどん攻め続けるプレースタイルで常識を覆す。
 しかし悲劇は突然襲った。リオオリンピック5か月前に国枝はひじを負傷してしまったのだ。前回のロンドンオリンピックでも同様にひじの負傷をしていてそれを乗り越えて金メダルを取った経験から今回も手術を選択して乗り越えようと考えていた。
 迎えたリオオリンピック。一回戦目は地元ブラジルの世界ランキング18位の選手。一回戦目を難なくストレート勝ちを収めたあと二回戦目では世界ランキング60位の中国人選手。ここも問題なく切り抜ける。三回戦目は急成長を続ける世界ランキング2位のジェラード。ここを勝ち抜けば準決勝というところで敗退し涙をのむこととなった。しかしシングルス敗戦後の2日後のダブルスでは3位決定戦を制し見事銅メダルを獲得した。国枝はいままで金メダルのみを目標としていたが銅メダルを心から喜ぶ姿がそこにはあった。多くの困難を抱え苦しみながら獲得したこの銅メダルにはそれだけの価値があったのだ。自らが競技レベルを引き上げその自ら引き上げた壁に負けたといえるだろう。

◆家庭の事情で、WOWOWが登録できないので個人的にWHO I AMと似ている、ワンダー君は太陽という映画に関してのコラムを書かせて頂きます。
子どもが主人公で、生まれつき普通の子とは少し違って、家族とともに苦難を乗り越えていく。簡潔に言ってしまえばそういうストーリーなのだが、この『ワンダー 君は太陽』の素敵なところは、
1ジュリア・ロバーツ演じる母親がオギーと一緒に困難にチャレンジし、決して諦めないところ
2オーウェン・ウィルソン演じる父親が母親とは違う立場でオギーに寄り添い支えているところ
3姉や友達など周りの人たちの目線も描かれているところ
で、ある。
特に3は、姉のヴィアの場合、弟のオギーをとても愛しているけど、母親に対してコンプレックスを持っていたりする。そういうオギーの周りの人たちの思いを丁寧に描くことで、オギーの存在がいかにワンダーか、そしてオギーを見守る人たちの優しさも同時に感じられるのである。
学校という小さな社会での学びと出会いは一生ものである。校長先生や担任の先生の言葉も響く。
勇気とユーモアと優しさのシャワーを全身に浴びられる作品であると私は感じる。

◆私はwho I am の中でもプロ車いすプレイヤーである国枝慎吾さんの特集を見ました。10年の間、世界ランキングトップに君臨し続けた国枝慎吾さんがリオオリンピックの前に肘のけがをし、世界ランキングトップながらも負け戦になる可能性が高いながらも、負けるなら子t-とで負けたいとの考えをもち、リオオリンピックに挑みました。映像の中で印象に残ったことは3点あります。一点目はフェデラー選手の言葉です。記者会見において「日本ではなぜ世界的な選手が現れないのか」という質問に対し、「国枝がすでにいるではないか」という返答をしたことです。自分も記者の人もどこか車いすのスポーツを同じテニスと思っていなかったのですか一般的なテニスで最高峰の選手であるフェデラーが国枝選手のテニスプレイヤーとしてのすごさを認めていたことに驚きを感じました。二点目は国枝選手のメンタルです。ただでさえハンデを負っているのにテニスにおいて誰よりもあきらめないことを強みとし、どんなにボールが離れていても絶対にラケットに当てるプレーを見せました。自分がもし同じ状況であったらハンデを負っている時点で諦めてしまっているのではないかと考えると本当にすごいメンタルであり、強いなと感じました。三点目は リオ直前での国枝さんへの記者会見です。国枝さんは肘の手術のせいで実践には出れず、リオで勝つには難しい状況であったにもかかわらず、記者会見では「優勝候補筆頭だと思います」と笑顔を見せたことです。この会見で国枝さんのメンタルの強さと自信を持つだけの今までの練習量を伺うことが出来ました。また、この言葉には多くの思いを込めていました。皆の前では弱みをはかない国枝さんですが、家族の前では負けると思う、試合に出たくないと弱音を吐いていました。ただ、記者会見でその思いを押し殺し優勝できるということが出来るのは本当に強い人間だと思いました。

以上、6日現在、14人。


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