「コラムを書く」(後期)メディア社会学法本論ゼミを振り返って、木曜4限

木曜4限の「メディア社会学方法論ゼミ(2年)」の後期の課題も、前期と同じような内容で、「1年を振り返ってみてください」にしました。
ここでは、課題2の「授業を振り返り、コラムを書く」をまとめました。
コラムのテーマ・ネタの目次 1~6、「つたえびと」
              7、  「八丈学」
              8、  「スマートニュース」
              9、  「映画 Most Likely To Succeed」
              10、  「ANAチーム羽田オーケストラ」
              11、  「AI時代を生きる」
              12~14、「情報発信」など全般
「つたえびと」関連が半数近くになりました。
(誤字脱字を含め直さずにそのまま転載しています)
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【課題1】 「授業に関する自己評価報告書」
 この授業を受けて、何を学び、何を身に付けることができましたか。この前期、後期を振り返って、自己評価してください。
【課題 2】 授業を振り返り、コラムを書く 
 全体を振り返ってみて、この授業で一番興味を持ったことや自分で発見したテーマなど、最も「伝えたいと考えたこと」を、多くの人に読んでもらえるような「コラム」の形にして書いてください。コラムのタイトルも考え、読み手を引きつける見出しになるように工夫してください。
文字数は800字程度。 多様なことに取り組みましたが、一つのテーマに絞って、人に読ませる文章を書くようにしてください。 読み物として、自分なりに「いい文章」だと自信を持てるように仕上げてください。

1,<自分の『答え』>
 
2021年10月、私は初めて本を書いた。書いたといってもすべて自分で書いたというわけではない。たくさんの人の文章を載せた短編集のようなものの、ほんの一部だ。決められた本のテーマに沿ってそれぞれ自分の思いを文章に込めたのだ。
 私は人より頻繁に本を読む。と思う。だから今回の文章を書くというのも、たくさんの文章に触れ、言葉を学んできたんだから簡単だろう、と思っていた。しかし実際にかいてみるとそう上手くはいかなかった。想像以上に言葉が浮かんでこない、伝えたいことはあるのにそれを言葉としてかたちにするのが難しい、さっきもこの言葉使った気がするなぁ…。この3つの無限ループ。書いては消してを繰り返し、ついに方向性を見失ってしまった。が、それが功を奏したらしい。息詰まったとき、テーマに一度戻ってみたのである。私は何を書いたらいいか分からなくなったときは、原点にかえるようにしている。本のテーマは「あなたが今伝えたいこと」。これをみてピンときた。なんだ、自分の思ったことすべてはき出しちゃえばいいんじゃんか…!私は今しか書けないことをと思い、コロナ禍の生活について書いていた。コロナ禍で不満ももちろんあった。その中で思いがけない収穫もあった。だけど自分が一番伝えたいことは…。書きはじめる前から決まっていた。私はコロナを言い訳にしない、ということを伝えたかったんだ。気づいてからは早かった。自分の考えが明確になったからだ。文のスタイルとか、きれいな言葉をつかうとか関係ない。大切なのは自分が何を伝えたいか。そこだけははっきりしていなければいけない。
 私は本を書くという経験を通してひとつ自分の中で答えを出すことができた。文章は飾りつけをするものじゃない。自分の考えを明確に。もっとシンプルでストレートでいい。それが分かっただけで清々しい気分だった。しかし単純な文章がすべてではないことはわかっている。もっとたくさんの人の文章を読んでまた新しい答えを探していけばいい。また書いてみたい。そう思えるきっかけだった。

2、◆<物は試し>
 
みなさんは、『つたえびと』という取り組みを知っているだろうか。100人で1冊プロジェクトという名の下で、一人が約2000字の文章を書き、それを集めた一冊の本を出版する取り組みである。どのような人であっても、一定の金額を支払えば、自由に文章を書くことができ、それを後世へと伝えていくことが可能である。本を出版するということは難しく、特別な人でなければできないものだと思う人もいるかもしれない。しかし、この『つたえびと』プロジェクトに参加をすれば、それを実現することができる。私は、それを実行に移したうちの一人である。
 『つたえびと』を書いてみて、また、一緒に『つたえびと』に参加をしたゼミ生の原稿を読んでみて感じたことがある。それは、文章を書くことの奥深さである。『つたえびと』を書く上で、大まかなテーマが与えられる。2021年度は、「あなたが今つたえたいこと」であったわけだが、このテーマが与えられるだけで、内容や構成といったその他の要素は自由に設定し書くことができた。そのため、約2000字の文章を書くことに、そこまで苦労はしなかった。しかし、読みやすい文章や伝わりやすい文章、読んでいて面白い文章というものは存在する。このような文章に近づけるためには、コツが必要だ。例えば、文章の書き出しを問いかけるような形にし、読み手を引つけるという方法がある。ちなみに、このコラムの書き出しにはこの方法を使用した。他にも、当時の情景や心情を詳細に書き、まるで物語のような書き方にするなど、工夫のしようは様々ある。いかに、他の著者の文章と差別化をするか、読み手の印象に残る文章にするかが重要だ。自分の書いた原稿を読んでもらい、ゼミ生にアドバイスをもらうと様々な意見が出てきた。もっと上手く書けたなと、学びの多い機会であった。
 本として実際に出版されると思うと、なかなか挑戦をする勇気の出ない人もいるであろう。しかし、結果として上手い文章が書けなかったとしても、挑戦をすれば、きっと皆さんにも学びがあると思う。物は試しだと思って、ぜひ挑戦していただきたい。(859字)

3,◆<“言葉”との向き合い方>
 
“言葉”を取捨選択し、自分の思いを発信することは、非常に難しい。私は、100人で一冊の本を作ろうというプロジェクト「つたえびと」に参加し、“言葉”を取捨選択し、自分の思いを発信することの難しさを肌で感じた。現在は、SNSが普及し、多くの人が気軽に発言や発信をすることが出来るようになった。言葉は、相手と自分を結び付けてくれる力や人の心を動かす力を持つと考える。しかし、使い方や言葉の選び方によっては、相手を傷つけてしまったり、逆に傷つけられてしまったりすることもあり、悪い意味での影響力を持つものなのでもある。つまり、“言葉”は非常に大きな力を持っているのである。
 インターネット社会である現代で主流となっているSNSでのコミュニケーションは、匿名で簡単に発信することが可能なため、相手がどのように言葉を受け取るかということを深く考えずに書き込む人が多くいる。そのため、知らない間に相手を傷つけてしまっていたり、逆に自分が傷つけられてしまうということがある。実際に、SNS でのコミュニケーションが原因で悲惨な事件が起こった事例がある。例えば、ある恋愛リアリティー番組に出演していた女性の事件である。その女性は、ある些細な出来事がきっかけで SNS に誹謗中傷が書き込まれるようになってしまい、その誹謗中傷に追い込まれ、22 歳の若さでこの世を去ってしまったのである。誹謗中傷を書き込んだ人は、気軽に一人の視聴者として、意見を述べていただけなのかもしれない。しかし、彼女はその“言葉”を重く受け止めてしまったのである。
 様々な形で言葉を使用している現代であるからこそ、私達は、言葉が持っている悪い面の力も理解する必要がある。そのために、私はメディアリテラシーを身に付けることは非常に大切であると考える。「つたえびと」というプロジェクトに参加したことで、“言葉”が相手にどのように伝わるかを考え、“言葉”を取捨選択し発信・受信していくために、メディアリテラシーを身に付けることは必要不可欠な事であるなと感じた。

4、<ただの女子大生が本を執筆した話>
 私は都内の大学に通う社会学部の大学2年生だ。タイトルにある通り、「ただの」大学生である。加えて文学の勉強をしているわけではない。強いて言うならば、大学2年生の夏ごろから読書にハマっている。そんな私が本を執筆したのは、寒くなり始めたころのことだ。本と言っても、見開き2ページの分の文章しか書いていない。どういうことかというと、複数人がそれぞれ同じくらいの分量を書いて、それをまとめたものが1冊の本となったのだ。それは、「100人1冊プロジェクト」のもと、「つたえびと」という名で出版される。2016年に始まったプロジェクトで、私が参加したのは2021年に実施された第8号だ。テーマは、2021年に伝えたいコトで、全国の方々に響くメッセージや、残る内容、100年後にも残ることを意識した内容でとのことだった。これらを踏まえ、読みたいと思われるにはどうしたら良いか、これに参加する自分の目的は何かなど、様々なことに思考を巡らせながら書き上げた。たったの見開き2ページだと思うかもしれないが、モノとして完成し、出版されるのだと思うと、なんだか責任感だったり、胸の高揚感だったりを感じた。
 このように至った経緯は、大学のゼミ活動だ。そこでこのプロジェクトを知り、参加することを決めた。このプロジェクトを通して学んだことは、少しの興味も、主体的に調べていけば、何かが起こるかもしれないということだ。今回は提供してもらった情報にいわばのっかっただけだが、読書にハマった段階で、自分で本を書くことについて調べていれば、たどり着けたのではないかと思う。様々なことが制限されている世の中だが、幸いなことに調べることについては何も制限されていない。ならば、積極的に調べたり、人に話を聞いたりして制限されている状況を、自分で少しずつ広げられるところから、広げていけばいいのではないか。そこに必要なのは積極性とほんの少しの勇気である。

5,◆(タイトルなし)
 1年間を通して私は、興味のあることを深く研究し、文章として書くことの重要性を学んできた。だから私は「つたえびと」で音楽について書き、興味のある音楽という分野への考察を深めた。そこで私は、より考察を深めるために本記事でも音楽について述べたい。「つたえびと」ではマッドチェスターという音楽ジャンルについて述べたので今回は違った視点、『80sUKロックとファッションの関係』について述べたい。
 ロックミュージックとファッションは切っても切れない関係だ。ロックはただの音楽ジャンルに過ぎないと思われがちだが、実際はそれに留まらない、時代や社会を反映した一大カルチャーなのだ。そこで本記事では80sのUKロックに絞り、実際に名称を挙げつつ紹介したい。イギリスのたった10年間に絞ってもロックとファッションの関係が密接であることが分かってもらえれば幸いだ。
 80sのUKロックを語る上で70s後半のパンクムーブメントから始まったと言っても過言ではない。パンクムーブメントにより、イギリスでは常識や価値観に囚われない風潮が生まれ、特有のファッションをバンドの特徴として印象付けるバンドが多く誕生した。派手な化粧をし、中世ヨーロッパ的な衣装を身につけた、デュランデュランなどのニューロマンティック一派、きらびやかさへの抵抗として全身黒づくめとなったゴスロック、保守的な考えが根強い時代でも女性のようなメイクをしたザキュアーなどだ。これらのバンドはファッションを自己表現として巧みに利用したが、自然的にファッションと化してしまった例もある。それがレイヴカルチャーだ。80s後半のレイヴカルチャーの中で誕生したバンドは、経済的理由から着飾る余裕はなかった。街のどこでも買えるような服でステージに上がり、演奏をした。その姿が当時の若者の心をとらえ、ムーヴメントとなり、スカリーズファッションとして現在まで語り継がれている。このような例が音楽とファッションを考える上で非常に面白い。
 このように、ロックミュージックは単なる音楽ジャンルに過ぎず、時代の空気感を広くとらえたカルチャーなのだ。好きなミュージシャンがどのような服装をしているか研究し、自分も似たようなファッションをすることは気分が舞い上がるだけでなく、一つのカルチャーを生み出すのではないだろうか。

6,<「好き」を伝えるということ>
 後期では「つたえびと」の執筆活動として1800字程度の文章を書いた。他のゼミのメンバーはコロナと学生生活といったテーマで書いている人が多かった印象だが、私は「アイドル×音楽〜趣味趣味音楽なオタクは語りたい〜」というタイトルで音楽活動に力を入れている私の好きなアイドル3組について述べた。ちなみに趣味趣味音楽とは私の好きな大滝詠一の楽曲のタイトルである。私はこの活動を通じて、「好き」を伝えることの楽しさを感じた。普段の私であれば、1800字のレポートなどは辛い思いをしながら、なんとか字数を満たすことだけを考えて内容は二の次で仕上げていたが、今回の「つたえびと」の執筆活動では筆が進み、私自身非常に楽しみながら執筆することができた。その理由として、なんといっても自分自身の好きなことについて書くことができたという点が大きいと考える。
 YOASOBIの『群青』という楽曲の歌詞に「好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど」という歌詞がある。近年ではオタク文化のようなものも認められてきて、趣味の多様性も広がってきているが、一昔前ではオタクは敬遠されがちな存在であり、「アニメが好きです」「アイドルが好きです」「ゲームが好きです」などと言いづらい時代が確かにあった。その時代のオタクはいわゆる隠れオタクと呼ばれる存在で、周りには隠してオタク活動に勤しんでいた。そういった事を踏まえて『群青』の上記の一節の歌詞を考えると非常に共感できるところがあった。例えば、好きなことを好きだと言って引かれてしまうのが怖いから、オタクであることは隠して友達付き合いをしていこうといった感じである。私はハロー!プロジェクト(通称ハロプロ)というモーニング娘。などの在籍するアイドルが好きなのだが、ハロプロは典型的な大所帯のグループのアイドルなので、当時昭和の歌謡の延長線上にいたアイドルが好きな感覚とは違って、ややおおっぴらに好きであると周りに言いづらく、他の音楽の話やファッションの話などをすることが多かった。そんなときに、私の10年近い付き合いになる友人にそれとなくハロプロの話を振ってみたら、相手もハロプロが好きで話が弾んだという経験がつい最近あった。こうした経験からも、好きなことはどんどん周りに伝えて、自ら発信することが大切であると感じた。これからはもっと積極的に「好き」を伝えていきたいと思う。

7,<人との繋がりの輪は無限大!>
 1 年間のゼミでの活動を振り返ると、様々な人と繋がりを持つ機会があったと感じてい るが、その中でもゼミの一環として取り組んできた「八丈学」の活動においては特に多く の方々との繋がりを持つ機会があったと思っている。そこで、今回は私たちが取り組んで きた「八丈学」の概要を簡単に説明した上で、これまでの「八丈学」での活動を振り返り、 改めてどういった方々と繋がりを持つことが出来たのかを整理していきたい。 まず、「八丈学」とは八丈島の歴史や課題などを探究することを目的としており、令和 2 年度から「地域との協働による高等学校教育改革推進事業」として、将来の八丈島を支え ることのできる人材や八丈島の良さを発信できる人材の育成のために実施されている授業 である。そんな「八丈学」の中でも、私たちは『鬼滅の刃』に登場する伊黒小芭内という 主要キャラクターが八丈島出身だということから、その伊黒小芭内のスピンオフ作品の制 作に励んでいる高校生のお手伝いをしている。 さて本題に戻るが、私が「八丈学」の活動に参加するに至った経緯自体も、前期に八丈 島で地域おこし協力隊として活動している方をゲストスピーカーとしてお招きした際に偶 然武蔵大学 OB の方と出会い話が進んでいったという、思いがけない方との出会い・繋がり がきっかけである。このように、偶然の要素が重なって参加を始めた「八丈学」の活動を 進めていく中で、学習支援事業に携わっている埼玉県在住の方や ANA に勤めている方など といったように、これまた想像もしていなかったような方たちと繋がりを持つことが出来 た。 以上みてきたように、「八丈学」での活動を振り返ってみると、一期一会の出会いの重 要性はもちろんのことであるが、たとえ現状のコロナ禍のような状況下であっても私たち の行動次第では人との繋がりの輪を無限大に広げることが可能なのではないかと感じるこ とが出来た。よって、今後も「八丈学」を通して出会った方々との繋がりを大切にしなが らも、新たな繋がりの輪を広げるための行動を起こしていきたいと考えている。 (851 文字)
【参考文献】 1.東京都立八丈高等学校 「学校案内」 https://www.metro.ed.jp/hachijo-h/our_school/

8,◆「話題性」に踊らされてない?
 「スマートニュース、今すぐダウンロード!」明るく元気な芸人が、こう呼びかけるTVCMを見たことがある人も多いだろう。SmartNewsは、世界で5000万以上のダウンロード数を誇るニュース配信アプリである。各媒体社が提供する最新情報を最適化して、まとめて届けるのがSmartNewsの役割だ。  
 このようなアプリを運営する企業が、2018年にメディア研究所を立ち上げ、小学生から大学生に向けて、幅広くメディアリテラシー教育を実践している。従来の役割を越えた取り組みを行う意義とはいったい何なのか。
 そもそもSmartNewsが配信するニュースは、どのような基準で選ばれているかご存じだろうか。このアプリはニュースの媒介者であって、発信者ではない。実はTwitterのリアルタイム解析技術によって、今話題となっているニュースが集められている。コンピュータのアルゴリズムに基づいて、利用者が求めるニュースが掲載されているというわけだ。これにより、私たちが何気なく利用するTwitterのいいね!やリツイート機能が、選別の判断基準となっていることが分かるだろう。
 偏った印象形成や事実の誤認を回避するためには、一人一人のメディアリテラシーが生かされる。私たちは、正解のない時代を生き抜くための術を身に付けることを求められている。SmartNewsは、自社の開発と利用者との間に顧客以上の関連性を見いだし、社会全体の向上を目指した取り組みを行っているといえる。
 情報が溢れる現代において、全てを知り尽くすことは容易ではない。しかし、技術の進歩により、私たちの生活は便利になっている。簡単に情報に辿り着けるからこそ、無意識のうちに話題性に踊らされているかもしれない。ニュースの発信元は?それって誰の意見?専門家だけが正しい答えを持っているとは限らない。情報の受け手が考える余地は十分にある。これについてどう思う?と身近な人と話してみるのも良いだろう。見たまま聞いたままを信じるのではなく、一呼吸おいて自分なりに考える時間を取ってみてはいかがだろうか。

9,<「21世紀型スキル」を学ぶべきか>
 “Most Likely To Succeed”。 このドキュメンタリー作品を視聴したとき、私は今までの自分が受けてきた教育と、映画の中で出てきた新しい教育を照らし合わせた。どちらが良い、悪いとかはそこまで思わなかったけれど、「この教育が全世界に一般化されたら、どうなるんだろう」という構想が膨らんだ。近い未来、その世界が実現するかもしれない。そう考えると、楽しみな気持ちと、自分も受けてみたかったなという羨ましい気持ちが混在する。みなさんはどうだろうか。
 タイトルにある「21世紀型スキル」とは、ある国際団体によって提唱されている、21世紀以降のグローバル社会を生き抜くために必要な能力のことを指す。具体的には、批判的思考力、問題解決力、コミュニケーション力、コラボレーション力、情報リテラシーなどで、次の社会を支える若者が習得すべきスキルとして提唱されている。“Most Likely To Succeed”では、このスキルを生徒に落とし込むための教育を行っている学校に密着している。
 小学校や中学校の時に、「社会に出て使うことはほとんどないけれど、勉強はしなさい」と大人たちから言われてきた方は、私と同世代であればたくさんいらっしゃるのではないだろうか。21世紀型スキルに対応した教育をするということは、ここを疑問視し、社会に出てから使うことを学ぼうとすることを意味している。私は、これを試験的に実際の日本の教育にも取り入れていくべきだと考える。それは、時代によって変わる社会の仕組みに合わせて教育も変えていくべきだと思うからだ。そのために、義務教育を終えた段階で、従来の教育か新しい教育かを選択できる制度を取り入れてみたい。私は、日本の大学に入るまでの教育方法が限定的だと感じていた。有名な大学に入るには、普通科の高校に進学し、みんなと同じ勉強をしてテストを受けなければならないことが多い。そうではなく、普通科をより細分化し、いわゆる21世紀型スキルを学ぶことも選べる環境を作って、かつそこからでも難関大学を目指すことができる体制を作ることができればよいと思ったのだ。そうすれば、教育成果の違いを確認することもできるだろう。
 みなさんも、自分が受けてきた教育が正しかったのか、これからどんな教育が必要なのかということについて考えてみてはいかがだろうか。

10,◆(タイトルなし)
 授業内で「ANAチーム羽田オーケストラ」の動画を視聴した。これは普段現役でCAや機長などの業務をこなしているANAグループの社員が有志で集い、演奏を行うというものだ。簡単に言えば、学生が普段の学習とは別に行う部活動のようなものであろう。きっかけは東日本大震災であり、「何か自分たちにできることはないか」という考えから発足に至ったという。コロナ禍においても観光産業の衰退がありながら、オンラインでの活動などが行われ、多くの人を魅了している。
 何かを頑張る姿に勇気づけられる人は多くいるだろう。私自身、実際に羽田オーケストラの動画を視聴して自分も頑張ろうという気持ちになり、また、日本を元気付けようと演奏を披露している姿に感動した。大人になり働き始めると、このような仕事とは別の活動をする機会は減ってしまう印象がある。というのも生活していくために必要かと聞かれると、そういうわけでもなさそうであるからだ。しかし、生活の中に仕事とは別に楽しみを見出していくことも人生を豊かにすることにつながるだろう。その活動は自分の、そしてときには赤の他人の生きる意味になり得るのだ。
 最近では羽田オーケストラへのクラウドファンディングも行われているようだ。何かを頑張る人、そしてそれを応援する人。このように仕事以外の活動は人それぞれであるが、働くために生きていくのではなく、生きていくために働くような時間の使い方をして、人生を豊かにしていきたい。また、今回羽田オーケストラの動画を見たように小さなきっかけが大きな刺激や出会いを生み出すため、さまざまなことを経験したり見聞したりすることで自分の世界を広げていきたい。

11,<「A I時代を生きるためには」〜出版業界の現状から読み解く〜>
 私が最も興味を持ったテーマは、「A I時代のこれから」についてである。
 なぜなら、私は将来出版関係の職業に就きたいと考えているが、ただなりたいとだけ思うのではなく、出版業界の現状をしっかりと把握し、これからのあり方について考えていかなければいけないと危機感を覚えたからである。A I時代の最中である現代で出版関係の職業は多大な影響を受けざるを得ない状況にあるのだ。
 A I時代のこれからの世界について、ゲストの増田さんは話してくれたが、自分の知識不足と、現状をあまりにも把握できておらず、私は話の大半を理解することができなかった。しかし、増田さんの「紙媒体はもう遅れている。これからはデジタル媒体の時代である」という言葉が私の中で非常にひっかかった。
 事実、私が小学校の頃から愛読していた月刊ファッション雑誌「SEVENTEEN」もついに月刊発行を終了し、デジタル配信を軸に発行することになった。幼少期から愛読していた雑誌が形としてなくなってしまうことは非常に悲しいことである。自分の好きなページに付箋を貼ったり、切り抜くことが楽しみだった頃を思い出す。そしていつしか自分も読者を魅了するような雑誌作りに関わりたいと考えるようになった。しかし、今の小学生は、形として残すのではなく、画像として端末に保存するだけで終わってしまうのかと考えると実に寂しいことだ。
 とはいえ、時代は常に進化するものである。我々は、あまりにも早く進化する時代についていけていないのではないかと感じる。現状把握のみならず、これからを見据えてどうするべきであるのか考えていく必要がある。A Iの誕生は、我々の生活をより豊かにする非常に素晴らしい発明である。だが、A Iは決して万能なものではなく、人間にしかできないこともある。現状に臨機応変に対応し、新しい価値を生み出すことは人間にしかできないことである。A I技術を生かし、出版業界がどのようにして上手くA Iと共存していくのかを考えることが今後必要となってくるのではないかと考えた。
(855字)

12,<あなたも私も情報発信者>
 
あなたはSNS利用時に「情報の発信者」としての自覚を持っているだろうか。多くの人は無意識にTwitterでつぶやき、Instagramに写真を投稿しているのだろう。しかしこれらの行為はれっきとした情報発信なのだ。誰もが発信者になりうる今、改めて情報発信する際の「心得」とは何なのか考える。
 まず求められるのは責任であろう。自分でその気がなかったとしてもツイートや投稿は全世界に向けて発信される。またリツイートやスクリーンショットがされればその発信の拡散力は上がり、より多くの人の目に触れることになる。そしてその情報が正しくない場合や誤解を招くような表現である場合は問題につながってもおかしくないのだ。何気ない情報発信にもリスクは伴う。過剰に気にすることは自由な発信を妨げるため、ふとした時に自分が発信しようとする情報について真偽を確かめるなどしていきたい。
 また誰もが発信者となる時代では「情報の集め方」を工夫することも必要かもしれない。例えばTwitterでは「パクツイ」と呼ばれる、他人のツイートを真似する行為が見受けられる。画像の無断転載なども含め情報収集がルーズになっていることも否めない状況だ。そのような風潮があるからこそ、オリジナリティのある情報を発信することは価値が高いのではないか。このように考えるのはゼミで人から話を聞くことの重要性を知ったためである。多くのゲストスピーカーの方々に協力していただき、自分の耳で貴重なお話を聞くことができた。実際にインタビューすることで、インターネットで調べても分からない情報も得ることが可能になるのである。勇気を出して話を聞いて情報を集めることによって質の高い情報発信につながるのではないか。 
 このように情報発信時に情報の集め方を工夫し、責任を持つということが求められると考える。これらのことを意識しながら、自分にあった発信方法を模索していきたい。

13、<自分らしく生きることの大切さ>
 
とてもシンプルなことなのですが、「本当にやりたいことを、やっているか?」という人生における命題は、「あなたが幸せであるかどうか」と同じです。〜しなければならないではなく、やりたいことをして生きていく。「最も自分らしく生きていくこと」が、自分の望む仕事を生み出していくことにつながります。人が、その人自身になることを極めていくと、必ず人の役に立つことができるのです。
 そのために大切なのが、自分の意欲を育てることです。不思議なこと、わからないことを「おもしろい」と感じること。「どうなっているのだろう?」と探求する能力。問題を見つけたら解決しようとする。わからないことに出会うと、解決したくなる気持ち。「楽しい、おもしろい、知りたい」という気持ちを大切にすることが、とても大切だと思います。
 みんなが同じであることを強要されると、人は「違っていること」に過剰反応し、それをまるでダメなことのように見なし始めます。しかし「違っていることが当たり前で、どの意見も間違ってなく、違いからこそ学ぶことができ、つまり多様性とは豊かさでしかないのだ」ということを念頭におくべきです。
 以前、テレビ番組で民俗の取材をしているのを見た時に、狩猟するためにはチームワークが不可欠であると言っており、その仲の良さの秘訣はとなんですかとその民族のリーダーに尋ねると「みんな違うを教え込む」だそうです。みんな同じが前提だと、違うものを異質に感じてしまう。目に見えない病や障がいも、「みんな違う」という認識だけでそのとらえ方は変わってきます。
 自分を抑え込んで生きる時代は終わりました。これからは、好きなことをして生きる時代に、社会構造がシフトしていると思います。夢中になって自分の魂が喜ぶことをし、楽しみながら人の役に立つ生き方を目指す、「好きなことでしか生きていけない」時代が来ていると思います。
 みんなと同じである必要はなく、人とは違う、自分のユニークさを自覚したうえで、自分らしさを表現してもよいのだということ、自分を大切にする経験は、他人を尊重することにつながるのだということ、人生は有限であり、時間をどうデザインするのかは、自分で決められるのだということ。自分を大切にしていきましょう。

14,<興味のないゼミ>
 私は1年生から2年生へと学年が上がる際に、所属したいゼミの希望調査、もしくは、エントリーシート提出(どのような形式であったのかは分からないが)選択があったという事を知らなかった。そのため、自分が興味を持っている分野を取り扱っているゼミに応募する事は出来ず、大学運営側によって、勝手に割り振られたゼミに所属する事になった。このような経緯があり、正直、2年次ゼミで自分が興味を持っている事柄について取り上げられた講義はほとんど無く、やる気を持って取り組もうという心意気ではなかった。ただ、講義を受けていく内に、その中でも一生懸命に活動していれば、得ることは多分にあるという事を感じさせられた。例えば、SNSについて知ることは、情報通信ネットワークがいつでも、どこでも整備されている現在のSNS時代で、どの職業に就いても大きな利益になる。また、言うまでもないかもしれないが、繋がりを持っている事、繋がりを作る能力は、どのような状況でも自分を助けてくれる。これらの経験を経て、わざわざ興味のないことに首を突っ込もうとする必要はないが、どうしてもやらなきゃならないという状況になったら、眠ったり、ぼーっとしたり、時間が経過するのを待っているのではなく、一見、関係のないもののように感じられても、他の分野に活かせそうな知識を探す事が大事なのではないだろうかという事を考えるようになった。結局、2年次ゼミで、私は積極的に活動したわけではないが、これからの生活では、これを意識づけようと思う。

以上、14人(2月15日現在)。

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