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初稿

 「ラジオ深夜便」で五木寛之さんが新聞連載を40年も欠かさず続けているという話しをしていた。わたしは最近、名刺に「文筆家」と肩書を入れて得意げになっていたので、その継続的な仕事ぶりに感嘆することしきりだった。五木さんはプロだし、こちらは原稿料もないのだからという理由もつけられるが、そういうことではないだろう。五木さんのエッセイ本は、いままで何冊か読んで心の糧にしている。そうした尊敬の念もあり、自分も仕事らしいことをしなければという意欲に駆られた。五木さんは1000字のコラムらしいが、わたしは800字(原稿用紙2枚)分で始めてみよう。
 思えば20年前、インターネットが始まったころに、イラストや詩をメールマガジンで週2回、配信していたことがある。それが400号ほど続いたが、あのころが懐かしい。夢中になって絵や詩を書いていた。あの気力はどこへいったのやら。63歳で引き籠もりの生活をしていると、すっかり怠け癖が染みついてしまった。言いたいことはいろいろあるが、それを表現する気持ちが萎えている。これは言い訳だろうか。
 文章を書くことは自分らしさとか、今まで気がつかなかったことを見つけられる。自分の内なる声を、あるいは生活のさりげない発見から、世界が広がっていくものではないだろうか。言語とはそういう役割もあるだろう。読者も少ないだろうから、気楽に書いてみたい。キーボードを前にしたら頭で考えなくても、指が勝手に動き始めるといいな。そういうこの文章はスマホの音声入力を使っているので、書くというより話している文章に近いかもしれない。
 いよいよ日中は寒くなった。寒さには格段に弱い。そろそろ洋服全部を冬物に交換しなければいけない。こんなたあいのない文章で続けていくしかない。日記のようでありながら、作品のようでもありたい。将来はエッセイ集のようなものを出したいと思うが、まだ1日目だからな。どうなることやら。

誠にありがとうございます。