「The Straylight」を読んだら脳内でアニメ版「Straylight」が1クール上映されたのでその感想 #第4回シャニマス投稿祭
某有名YouTuberが樋口円香のプロデュースで号泣する動画を皮切りに、シャニマスは小中学生の間で爆発的な広がりを見せた。第二次ブームの到来である。
その共感を呼ぶ圧倒的なシナリオ性から、小中学生に留まらず老若男女にも浸透してみせたシャニマスは、遂に国民的コンテンツにまでのし上がる。
道行く人に「孤独に冷えたハート 永久機関にしてゆくよ」と差し向ければ当然のように「アンティーカ!」とコールが返り、癌の治療にはアルストロメリアの楽曲が取り入れられ、国の代表である総理までも国会答弁の場で「全身全霊で取り組む所存であります。むんっ!」と発言するに至った。
そう、誰もがシャニマスに希望を抱いていた。
アニメ化を強く望む声が国中で挙がる中、一方で古参ファンたちの中にはシャニマスの魅力をアニメで表現できるのか不安視する意見もあった。
だが、発表されたシャニマスのアニメ化プロジェクトの概要によってそんなものは弾け飛び、全てのファンたちは手を取り合って沸くこととなる。
1クール1ユニット。
掲げられたコンセプトによって、少なくとも21ヶ月、我々の幸福は約束されたのだった。
そしてその半年後、アニメ版「illumination STARS」が放送開始。それから15ヶ月が経ち、先日アニメ版「Straylight」は最終話を迎えた。
さて、ようやく本題だ。
ストレイライト。
今一度、彼女たちの勇姿について語っていこう。
1.構成/各話タイトル一覧
第1話「ハートフル・フェアリーテイル」
第2話「諦めたくないものは一つだけ」
第3話「Straylight.run() GIRL MEETS」
第4話「ジャンプ!スタッグ!!!」
第5話「(見つけような)」
第6話「Straylight.run() シー」
第7話「アイドルってゲーノー人じゃん!」
第8話「メイ・ビー」
第9話「error code:017」
第10話「(not?) Stray light」
第11話「WorldEnd:BreakDown」
第12話「ELSE IF」
最終話「The Straylight」
・全体構成について
脚本・構成の苦悩がうかがえる、良く練られたものだと思う。ハッキリいって彼女たちの魅力を詰め込むには13話では足りていないのだ。例えば、GRAD編の一切を今回のアニメでは描かなかったのは英断といえるのではないだろうか。
アニメ版「Straylight」は13話という限られた尺の中で苦渋の取捨選択が行われ、それゆえに洗練された1本の物語となっている。アニメを見て彼女たちに惹かれた人は、是非原作をプレイしてアニメでは見られなかった彼女たちの物語を体験してほしい。
2.第1話「ハートフル・フェアリーテイル」~第3話「Straylight.run() GIRL MEETS」感想
第1話~第2話は黛冬優子のWING編をベースに、「ふゆ」と冬優子がアイドルになるまでが描かれた。ベテランカメラマンとのリベンジで彼女が見せた笑顔と覚悟にシビレた方も多いだろう。
ストレイライトを描く上で黛冬優子から始めたというよりは、冬優子視点でストレイライトの結成を描く第3話に繋げるための構成で、ストレイライト初のライブで見せたあさひと愛依のギャップには、アニメから入った視聴者は冬優子と共に困惑の声をあげたはずだ。
そして、困惑している暇はないとばかりに叩きつけられる圧巻のライブシーン。
ここにきて、ようやく私は実感を得ることができた。
ストレイライトが……動いている……!
初見はそれだけで胸がいっぱいで、涙で滲んだ画面しか記憶に残らなかったことをここに白状しておこう。後日見返してみて、その映像のクオリティに驚かされた。ストレイライトの振り付けは激しいものが多く正直心配していたが、そんなものは杞憂だったのだ。
ライブが終わると共に、次回予告。
「面白そうそーっす!わたし、アイドルやってみたいっす!」と、第4話は時間軸的には少し戻ってあさひのスカウトシーンで始まることが伝えられる。そう繋げるのか、と思わず手を打ってしまうような素晴らしい引きだった。第4話を待つ1週間はあまりに待ち遠しく、何をするにもそわそわしていたことを覚えている。
3.第4話「ジャンプ!スタッグ!!!」~第5話「(見つけような)」感想
あさひのスカウトに始まり、その天才性とそれ故の孤独が描写された第4話と第5話。
原作でいうところのWING優勝コミュ「未だ見ぬものへ、共に」であさひの口から語られる孤独感。これを見る前と後では、芹沢あさひというアイドル、そしてストレイライトの芹沢あさひの見え方が大きく変わってしまう。
アニメでは大きなアイドルコンテスト(※)に向けてレッスンする中でその天才性が描かれていくが、その一つの物事に対する集中力というものは、他の全てを置き去りにしていくことでもある。
ストレイライトは互いに競い合い、高め合う関係性のユニットだ。走り出して、振り返った先に誰もいない孤独に気づいてしまったあさひにとって、共に走り、時には先行し、時には腕を引いて止めてくれる冬優子や愛依、そしてプロデューサーがどういう存在か、語るべくもないだろう。
第5話はストレイライトの初顔合わせのため、あさひが事務所のドアを勢いよく開けるシーンで〆られる。それはあさひ視点のストレイライトの始まり、そして、孤独の終わりだ。
※アニメではWINGという名前はでなかったが、扱いはWINGのようなものということでいいだろう。
4.第6話「Straylight.run() シー」感想
センターはあさひに任せたいとプロデューサーから告げられ、納得し切れていない冬優子。あさひもセンターに興味がないようで、一応センターはあさひに決まるも、冬優子は納得しないままストレイライトは海で行われるイベントに出ることになる。センターの座を奪ってやると闘志を燃やす冬優子だったが、そのイベントに八百長疑惑があるという。
原作の『Straylight.run()』はかなり人気のあるイベントシナリオで、アニメでは2話に別れているが原作ではストレイライト結成~海のくだりが1つのイベントシナリオになっている。
冬優子があさひと愛依に『冬優子』を見せるシーンは、ストレイライトを語る上で欠かせないものだ。
アニメの演出もかなり力が入っていて、そのシーンを見返すだけでも情緒がめちゃくちゃになってしまう。
冬優子が『冬優子』を隠せないくらいに感情を乱した理由については解釈が分かれるかもしれないが、簡単にいうと、これは「やつあたり」なんじゃないかと私は思っている。
黛冬優子は、アイドルというものに対して並々ならぬ拘りを持っている。とっても魅力的な女の子”だけ”がなれる、それこそがアイドルだと。
けれど、世の中の全てが綺麗事で出来ていないことは聡い彼女はわかっていて、だからこそアイドルへの憧憬は強いのかもしれない。
これを踏まえると、あさひの純粋にパフォーマンスを追及する姿勢は、冬優子の目にどう映っていたのだろうか。
全ての面倒なしがらみを無視して、ただその先を目指す在り方は、ある意味冬優子が拘った「とっても魅力的な女の子」と重なる。それは、負やマイナスや闇ばかりがある中で、清廉で無垢であり続けるということだからだ。
冬優子は、あさひを疎んでいた。自分では絶対出来ないやり方で、自分の目指しているところへまっすぐと進むあさひに何も思わないわけがない。
けれど、同時に願っていたのではないだろうか。
あさひがそのまま、無垢なまま、駆けていくことを。
信じたかったのではないだろうか。
綺麗事ばかりじゃない世界で、ただ輝くことだけを追い求める光が、輝き続けることを。
ところが、あさひは現実に絡めとられることになった。
確かに冬優子のやり方は正しくて、それを散々説いてきたのは冬優子自身だ。
それでも、あさひのその在り方が否定されることに、冬優子は耐えられなかった。
やるせなかった。悔しくて、涙が滲んだ。
海でのイベントを終え、あさひは自分が間違っていた。あなたが正しかったのだと非を認めた。
間違ってなどいないと、冬優子は叫びたかったことだろう。
間違っているとすれば、それは世界の方なのだから。
冬優子があさひがセンターだと宣言したのには、冬子が抱える、これまで見てきた「現実」と、それとは別の信じたい、信じさせたい「理想」との矛盾が表れている。
冬優子はこれからもあさひに「正しさ」を説き続けるだろう。
それでも、前を向いていろと。
それこそが、ストレイライトのセンターに相応しいと冬優子はいったのだ。
5.第7話「アイドルってゲーノー人じゃん!」~第8話「メイ・ビー」感想
また時は戻って第7話は愛依のスカウトから。ステージ上のクールな愛依が作られるまでの物語。
第8話では、原作で立ち絵すらないのに大人気な『さなぴー』のビジュアルが遂に判明することが期待されたが、その登場は電話越しの声のみに留まった。
ステージ上に立つと極度の緊張に襲われ、まともに喋ることのできない愛依にプロデューサーが提案したミステリアスな愛依を演じるという手法。それが上手くハマり、愛依のアイドルとしての活動は順調に進み始めたが、その姿を見た愛依の同級生『さなぴー』から愛依に電話が掛かってくる。
「みたよ、アイドルの愛依」
シャニマス流行語大賞にもノミネートされたこの名言は、原作では愛依とプロデューサーの待ち合わせに居合わせたさなぴーから、一方的にプロデューサーへ放たれるものである。
アニメでは愛依に宛てた電話であることから、後半部分が愛依を慮るセリフに変更され、『むりやりやらされているなら私がーーー』と代わりに直談判と申し出る形となっている。
翌日、様子がおかしい愛依からこの事を聞き出したプロデューサーは、愛依のアイドル活動について改めて向き合うこととなる。本来の陽気で優しい愛依ではなくクールな愛依を演じることになったのは、直面した問題への回答であって、なし崩し的な部分があった。
和泉愛依というアイドルは、状況に強制されたものなのか、それとも―――。
愛依の口から思わず出たのは、明確な否定。
愛依らしからぬ、友人との関係を悪くしかねないようなやりとりには、愛依のアイドルへの強い想いを感じた。
プロデューサーが考えてくれたことだからと、優しい愛依らしい本心も語られ、決意を新たにした二人は、絶対にトップアイドルになることを、トップアイドルにすることを、誰もいない公園で叫び宣言する。王道青春ものだぁ……。
6.第9話「error code:017」~第10話「(not?) Stray light」感想
原作でいうところの感謝祭編。あさひだけが売れっ子としてバラエティ番組などあちこちから引っ張りだこの一方、冬優子と愛依はレッスンを続ける日々。そんな状況が3人の気持ちにすれ違いを生み始める。
あさひがステージ上でパフォーマンスを止めてしまうシーンからは、あさひの変化を読み取れる。アイドルを始めたばかりの頃のあさひには、どこまでも1人で駆けていきそうな危うさと強さがあったが、このシーンではその強さが否定されている。
果たして、孤独に気付いてしまったあさひが手に入れたのは弱さだったのだろうか。
冬優子と愛依に関しては、形は違えどアイドルとして先にいってしまったあさひの背中を眺めるだけになってしまっていた。
冬優子はその現実主義からくる諦観。悔しさを滲ませながらも、追い付くことを諦めてしまっていた。
愛依は羨望。柔和な性格の彼女らしいが、それはある意味、自分と切り離してみてしまっているということだ。
音楽番組の失敗で浮き彫りになった3人のすれ違いをプロデューサーは指摘し、自身を、お互いを見つめ直して欲しいと伝える。
直後に冬優子と愛依が同じ提案を切り出したところをみるに、ステージ上でパフォーマンスを止めてしまったあさひを見て、既に気づきかけていたのかもしれない。
あさひは、弱くなったわけじゃない。ただ追い求めるものが変わっただけだ。
それは、自分独りで掴み取るものじゃなくて、誰かと共に掴み取るもので。
だからきっと、あさひは冬優子と愛依を待っていた。
誰かが追いかけてくれるから全力で前を向いて走る。ストレイライトは、そういうユニットだ。
7.第11話「WorldEnd:BreakDown」感想
『WorldEnd:BreakDown』は愛依にスポットを当てたイベントシナリオで、アニメではそれを1話にまとめたためか駆け足感は否めないが、その分凝縮された回になっていた。
『Straylight.run()』であさひはセンターになり、感謝祭で冬優子はリーダーになった。
では、愛依はストレイライトの何なのかを問うのが『WorldEnd:BreakDown』のシナリオの核となる。
バチバチの競争意識を持つあさひと冬優子とは違い、普段の愛依からはそういったものは想像しにくい。
冬優子の言葉を借りれば、『愛依は、どうして』なのか。
ユニット単位ではなく個人の人気投票とそのPRを通して”ストレイライトの愛依”の形が描かれた。
中間発表では1位だったストレイライトが直前発表で逆転されてしまったシーンでは、冬優子とあさひがユニットでの1位を諦め個人順位を聞こうとする中、珍しく愛依が強い語気でそれを遮る。
この時、愛依だけがストレイライトの1位を諦めていなかったのだ。
誰かに自然と寄り添える、愛依の優しさはそういう形をしている。そんな彼女だからこそ、
あさひのカッコ良さを信じていて、
冬優子のひたむきさを信じていて、
ストレイライトの最強を、誰よりも信じていた。
『だから、愛依』なんだ。だから『真ん中』なんだ。
ストレイライトは、最強だ。彼女たちが諦めない限り。
そしてその『真ん中』で愛依は信じ続けるのだろう。
8.第12話「ELSE IF」~最終話「The Straylight」感想
2021年1月30日、原作に実装されたシナリオイベント『The Strayright』。その内容はいわば「ストレイライトの総決算」で、アニメ版の最終話としてこれ以上相応しいものはないだろう。
アイドルの中でも抜きん出たパフォーマンスから注目され始めていたストレイライトは、アイドルたちが集められる場ではなく、アーティストつまり音楽のプロ達が集まる音楽番組への出演が決定する。
『だれにも負けない』と意気込むストレイライトの面々だったが、とあるアーティスト達が見せたパフォーマンスに圧倒されてしまう。
さらにパフォーマンスに磨きをかけると宣言する冬優子。
アーティスト達の原点がミュージカルにあると知りミュージカルのオーディションを受けるあさひ。
ステージ上の緊張が和らいでいることから、本来の自分でステージに立てることに気づいた愛依。
全員が違う方向を見ているようで感謝祭のすれ違いを想起してしまうが、これまでを乗り越えてきたストレイライトはそんなヤワなはずもなかった。
ユニット結成時、最もストレイライトに否定的だった黛冬優子はもういない。
彼女はストレイライトのリーダー、黛冬優子。
どんな困難も冬優子がリーダーをしている限り打ち破れるような、そんな絶大な安心感があった。
そして、リベンジの機会は訪れる。
モノマネ番組で例のアーティスト達はストレイライトのモノマネをすることになり、3人もサプライズの本人役としてその番組に出演することになる。
少し、語彙を投げ捨てることを許して欲しい。最高なんだ。
控え室の扉越しにプロデューサーが個人的な感情を冬優子に吐露するシーン、もうホント最高。
だってプロデューサーは音楽番組の後、3人を宥めるような言葉を掛けていて、あくまで理性的な態度を取っていた。なのに本当は胸の内に悔しさを隠していて、本人役での出演を提案しリベンジの場をセッティング、それで「スカッとした」「いけないんだー」なんて掛け合いはズルすぎる。敵の包囲網をお互いの背中を預けながら突破する戦友かよ。
これだけ熱い展開をやっておいて、物語はさらに3人のこれからを問う、"転"へ。
冬優子はゲームPVのために制作されたCGの"完璧なストレイライト"を見て目標とするストレイライト像を見つめ直し、
あさひはミュージカルで決められた役を演じたことで、ステージ上で自分でいられる喜びに気づき、
愛依は普段の愛依の隠し撮りが拡散されたことで、クールな愛依でい続けるのか、ありのままの愛依でステージに立つのかを迫られる。
3人の"転"の描写で「The Straylight」が終わりに向かうのは、成長し続けるストレイライトというユニットの在り方、その示唆なのかもしれない。
プロデューサーのモノローグから流れたスタッフロールの時点でスタンディングオベーションは禁じえなかったが、とどめとばかりのCパート、愛依のツイスタ投稿でアニメ版「Straylight」は締め括られた。
これ以上のフィナーレが思いつくだろうか。間違いなく制作スタッフにストレイライトのオタクがいる。
愛依のツイスタ投稿が描かれているのは原作の「The Straylight」本編ではなく、イベント報酬だった『【いるっしょ!】和泉愛依』の最後のコミュである。余すところなくコミュを読み込み、脚本に取り入れた制作陣の愛に今一度拍手を送りたい。
9.幸福の終わり
画面の『#ストレイライト』の文字で全身に走った鳥肌がCMを見流す内に収まって、次にやってくるのは虚脱感。
幸福に溢れた3ヶ月間だった。だからこそ、終わった後、胸に空く穴も大きい。
だが、我々に沈んでいる暇はない。
来週にはアニメ版「noctchill」、次の希望がやってくる!
「天塵」の映像化を待ち望んでいた人も多いだろう。かくいう私もその一人だ。
それでは、再び幸福な3ヶ月を。
3ヶ月後、またこうして拙い感想文を読んでくれたらありがたい。