もう聞こえないふりはできない
先日、人力舎の先輩であるネギゴリラ細野さんにフェイシャルケアをご馳走していただいた。細野さんは以前遅刻した僕にコーヒーをご馳走してくださった、気前と顔面の良い先輩芸人さんである。
今回、僕たちは吉祥寺駅前に集合した。先の記事の文末で約束されていたフェイシャルケアに行くためである。駅から南に歩くこと5分弱、綺麗なビルの4階にそのフェイシャルケアの店はあった。駅から店までの道中、細野さんは「通常15000円のコースが2000円で堪能できる初回限定クーポンがある」と嘘みたいなことを言っていた。
自動ドアを開けて入店すると、夕暮れのようなオレンジの薄明かりが僕たちを優しく包んだ。名前のわからない何かしらのアロマが香る受付回りは、夏の屋外とは違って心地よい湿度に保たれていた。僕たちは受付前に設置された椅子に座り、アンケートに必要事項を記入した。
如何せんフェイシャルケアとやらは初めてだったもので「お肌のお悩みをお書きください」といった上級者向けの欄が現れるたびに僕の筆は止まった。一方、細野さんは初めてとは思えないスピードでアンケートを書き上げていた。「こういうのは、だいたいでいいんだよ」とおっしゃっていた。僕はこの「だいたい」がわからないので、家で焼いた肉がいつも固い。
アンケートを書き終えると、店員さんが僕たちを個室へと案内してくださった。部屋の中には、マッサージチェアのような大きな椅子が二つ並んでいた。「こちらのルームウェアにお着替えください」と、温泉施設の室内着のようなものを手渡された。ルームウェアに着替えた僕たちは椅子に座るよう促され、そして施術が始まった。
顔面に蒸気を当てて角質を取り、顔のあらゆる部位を指圧し、首や肩をほぐしてもらった。およそ30分ほどの施術だったが、首や肩が驚くほど軽くなった。顔周りのむくみが取れて、入店時の我が下膨れ顔はややシャープなフォルムに生まれ変わっていた。僕は鏡を見ながらほっそりとした顎周りを触って「すごい、すごい」とまるで変身したかのような感想を漏らした。
細野さんは鏡越しに僕を見て「確かにさっきよりはむくみが取れたかもしれないけれど、ジェロニモ、この自粛期間でかなり太ったな」と言った。僕は聞こえないふりをして「いやー、もう夏ですね」と当たり障りのない返答をした。季節は確かに夏であったが、会話は成立していなかった。細野さんは「うん」とだけ言った。
冒頭の嘘みたいなクーポンは実在していたようで、僕たちはそれぞれ2000円ずつ請求された。請求されるや否や、細野さんが「一緒でお願いします」と爽やかに告げて会計を済ませた。元々そういう予定であった(?)とは言え原宿のコーヒーに続き吉祥寺のフェイシャルケアまでご馳走になると頭が上がらない。僕は「ご馳走様です」と言って細野さんに向かって頭を下げた。細野さんは相変わらず爽やかに「全然、気にしなくていいよ」と言った。そしてむくりと上がった僕の顔を見て「やっぱり太ったよなあ」と言った。
2回目、しかも正面から告げられるともう聞こえないふりはできなかった。僕は正直に「はい」と答えた。事実、僕は太っていた。むくみを取ったことで逆にどのように太ったかが明確になり、弁解の余地なく太っていた。
僕が肥満を認めたことが意外だったのか、細野さんは「でもまあ、南極で遭難しても生き残れそうだよな」と非現実的なフォローをした。僕は返す言葉が無かった。外では蝉が鳴いていた。
大きくて安い水