ベンジャミン・バトン
僕の両親はときどきライブを観に来てくれる。ライブ後、相方の丸山くんと一緒に僕の両親に挨拶をした。挨拶を終えると丸山くんが言った。
「ジェロさん、お父さんにめっちゃ似てない?」
ご名答。僕は、僕の父にめっちゃ似ている。子どもの頃はわからなかったが、高校生くらいになると背格好や顔つき、歩き方までとてもよく似てきていた。高校の野球部時代、入部したての1年生に「スタンドで応援している親たちの中に一人、鈴木の父親がいます。一体誰でしょう」というクイズを出すと全員正解したという伝説(その伝説を語る者の数は著しく少ない)まである。全員正解あたりまえクイズのお題になるほど、僕と僕の父は似ているのだ。
父と僕が似ているというのは遺伝によるものだと理由付けができるが、この世には遺伝によらない「似ている人」が、現れることがある。
僕の場合は、ひふみんの若い頃だ。ひふみんこと将棋棋士・加藤一二三さんの若い頃に、僕は似ている。
大学時代、後輩に「ジェロニモさんってひふみんの若い頃に似ていませんか?」と言われたことがあった。そんなわけあるかいと画像検索すると、あら不思議、想像以上に似ている。どうだろうか。皆さまにも見比べてみてほしい。
血を受け継いでいない他人の中では、自分史上一番似ている気がする。逆に考えると、僕は年を重ねるごとにひふみんに近似していくことになる。そしてここで問題になるのは、僕の父はひふみんに似ていないということだ。
今の僕には、父になる道とひふみんになる道の二つの選択肢がある。しかし人は悲しいことに、顔の変化する方向性を自分で選ぶことができない。トレーニングをすれば筋肉が付き、怠ければ贅肉が付くこの体。その体の象徴、行動に伴い然るべき結果が訪れるはずの体の象徴と言うべき、自分の顔。しかし顔は、美容整形でもしない限り、行動と結果が伴わない。なるようにしか、ならない。神さまの言うとおり。あべべのべ。
僕を僕だと世間に示す広告塔は、抗いようのない運命にしかめっ面で悪あがきしている。最近笑顔が少ないのはそのせいかもしれない。30年後、40年後、50年後の僕がどんな顔になっているのか。父になっているのか、ひふみんになっているのか。見届けたいし、見届けてほしい。おそらく、遺伝で、父みたいになるのだろうが。
更に検索を進めると気になる記事が見つかった。『ひふみんの若い頃は菅田将暉に似ている!?』というネット記事があったのだ。
言われてみると似ているような、似ていないような。そしてこれは逆算すると、
鈴木ジェロニモ=ひふみんの若い頃=菅田将暉
つまり、
鈴木ジェロニモ=菅田将暉
という奇跡の数式(それは人によっては悪魔の数式になり得る)が成立してしまう。こんなことがあっていいのだろうか。そんなはずはないのだが、やってみなくちゃ分からない。奇跡の数式の発見にアインシュタインの憑依すら感じる。荒れる呼吸。震える指先。伸びる舌先。体の異変は置いといて、兎にも角にも、比較してみよう。
火を見るよりも明らかなことだが、全く違った。数学のパラドックスだ。数式上で成立しているものが現実世界で成立するとは限らない。菅田将暉さんは何かしらの受賞トロフィーらしきものを持って微笑んでいらっしゃる。神々しい。控えめな笑顔でありながらその眼光はカメラの奥にいる私たちの心を掴んで離さない。一方、僕は紫色の太い蝋燭を持って笑っている。意味が分からない。同じような白背景のはずなのに、僕の方は背景がどんより暗い。何もかもが違いすぎる。2枚の画像を見比べていると、だんだん僕の顔が崩壊していくように見えてくる。画像のゲシュタルト崩壊だ。時代の寵児を前にすると人はこんなにも無力なのかと、己の存在意義について疑わざるを得ない。菅田将暉さんのファンの皆さま、誠に申し訳ありませんでした。
菅田将暉さんには似ても似つかぬ僕を生で見たい、そんな物好きな皆様にオススメのライヴがこちら。
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『THE VERY BEST OF FIVE 準決勝』
日時:8月25日(日)19:00~
会場:新宿バティオス
料金:前売1500円/当日1600円
『シカゴ・ブルーズ』#03〜人生色色・あるCOLOR〜
日時:9月7日(土)19:30~
会場:しもきたドーン
料金:前売当日ともに1500円
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お盆休みに帰省をした。僕が生まれた頃のアルバムが実家にあったので、見返してみた。すると、生まれたばかりの僕の顔が、ある有名人に酷似していることが判明した。
ひふみんだった。
僕の人生は、「ひふみん」で始まり「ひふみんの若い頃」と並走しながら「菅田将暉」に大差をつけられ「父」に向かって走っている。
何とも、数奇な人生である。