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”『” の位置の謎 ~『新作歌舞伎ファイナルファンタジーⅩ』と新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』~ 


 『新作歌舞伎ファイナルファンタジーⅩ』(2023年3月4日~4月12日)はビデオゲームを原作とした初の歌舞伎演目。五代目尾上菊之助が企画/構成、演出と主演をこなし、すべてを主導して実現しました。2019年の新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』も菊之助が成功させており、今の歌舞伎の観客は歌舞伎の未来が切り拓かれていくのをリアルタイムで体験できるという大変幸運な時代に巡り合わせたことになります。

新作歌舞伎のこれまで
 もちろん、歌舞伎の新作が登場すること自体は特に珍しいことではありません。明治から昭和初期にかけて、座付作者ではない文人やジャーナリストが台本を執筆。坪内逍遥・岡本綺堂・真山青果・泉鏡花…他の作品は”新歌舞伎”というジャンルになっています。戦後になると、戦前までは禁止(遠慮?)されていた皇族が登場する歌舞伎が可能になり谷崎潤一郎監修の『源氏物語』が上演され、三島由紀夫が新作をいくつも発表。さらに初代市川猿之助が”スーパー歌舞伎”として80年代の半ばから90年代にかけて新作を発表。2000年以降は、野田秀樹・宮藤官九郎・三谷幸喜…など演劇界の大物たちが新作歌舞伎を発表しています。なので新作歌舞伎自体は、まったく珍しいものではありませんし、その時代時代の最高レベルの作家の力を借りて新作が製作されてきました。
 その中で『スーパー歌舞伎Ⅱワンピース』(2015)以降のポップカルチャー原作の歌舞伎の特徴は、原作がマンガだったりアニメだったりして画がついているところ。要は原作の情報量がとても多い訳ですが、その情報量を衣装デザインや大道具、そしてプロジェクション・マッピング他の新しい技術で消化して、スケールの大きい舞台作品にしてきたというのが最近の流れです。

ビジネスモデルの確立 
 歌舞伎として興行する限りにおいては、歌舞伎座(1964席)・新橋演舞場(1428席)など大きな劇場を約一か月あるいはそれ以上抑えての上演が可能で、かつチケット単価が高くて当たり前と思っている固定客がついているのである程度のチケット売上を見込むことが可能です。日本の舞台芸術としては、もっとも高額の予算を想定して製作の投資額を決めることができるというのが、新作歌舞伎の強みです。
 この強みを最大限に活用したのが、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』(2019/新橋演舞場)。1984年に劇場版アニメ長編が製作されていますが、より壮大な物語である宮崎駿の原作マンガを原作とし、昼の部と夜の部で全編を描く通し上演でした。舞台幕に壁画的に設定を描いて観客へ世界観を説明するのに活用するという工夫、王蟲・メーヴェ・巨人兵など大きなスケールの舞台装置の数々、紗幕に投影された半透明の映像の向こうで役者が演技するといった繊細な演出など、惜しみなくリソースを投入して原作を余すところなく舞台化したのが実感できる満足度の高いものでした。また主役ナウシカ菊之助と、準主役級皇女クシャナの中村七之助を筆頭に、剣士ユパを尾上松也、さらに声だけですが人間国宝故中村吉右衛門も登場する豪華キャスト。
 この興行が成功した結果、初演時の昼の部部分を独立させて2022年に再演されています。ナウシカ役は中村米吉に交代し、菊之助がクシャナ。ユパは坂東彌十郎です。同じ演目をキャストを変更して繰り返し上演するという、古典の演目と同じ展開が始まりました。劇場は歌舞伎座。
 七月大歌舞伎第三部『風の谷のナウシカ 上の巻 ―白き魔女の戦記―』が演目です。二回目なのでもう【新作歌舞伎】とは表記されません。

ビジネスモデルから逸脱したプロジェクト 
 こうして、ポップカルチャー原作の歌舞伎が成立させるためのモデルが確立したように思われたのですが、『新作歌舞伎ファイナルファンタジーⅩ』は、せっかく成立していた新作歌舞伎のビジネスモデルを逸脱した要素がいくつもありました。
 まず、原作が2001年発売の旧作ビデオゲーム『ファイナルファンタジーⅩ(以下FFX)』であること。例えばマンガなら買って読めば予習できますが、ゲームを知らない歌舞伎ファンが予習しようと思ってもゲーム原作は予習が難しい。一方、歌舞伎初心者である多くのFFXファンにとって、19800円~でチケットを買って1日潰す決意をするのはかなりハードルが高いでしょう。320万本売れた大ヒットゲームとはいえ、人数は限られてきます。
 次に、劇場が豊洲のIHIステージアラウンド東京(1314席)。歌舞伎の固定客を見込んでリスクを圧縮するはずなのに、普段歌舞伎を上演しない劇場となりました。歌舞伎の観客は、銀座のデパートでお弁当を買って、歌舞伎座/演舞場で観劇して、終演後また銀座で食事や買い物…など前後の行動まで含めて楽しむ傾向が強く、違う立地の劇場を選ぶこと自体リスクです。また席数が若干少ないこともあり、当然チケット売上総額の上限が低くなります。

ビジネスモデルの更なる進化

 その難しい企画を実現にこぎつけることができた背景が ”『” の位置で推測できると思います。
 
  新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』
 『新作歌舞伎ファイナルファンタジーⅩ』

 なぜ、”新作歌舞伎”が『』の中にはいっているのか?
これ、”木下グループpresents”を冠につける必要があったからでしょう。
どれくらい有名な話かわかりませんが、「歌舞伎」は松竹株式会社の登録商標。演劇を含む41類他、複数の類で松竹が登録しています。
 恐らくこのせいで、
  木下グループpresents 新作歌舞伎『ファイナルファンタジーⅩ』
に出来なかった。ある企業の商標であるサービスに他社が冠スポンサーになる、というのはどちらの企業にとってもいろいろ微妙だったと思われます。なので公演名を『新作歌舞伎~』にした。
 スポンサーが作品に対して権利を持たないのは普通のことですから、全て『』にくくって作品タイトルにしてしまえば、少しはすっきりします。
 ”『” の位置を調整するだけですむなら歌舞伎座で冠スポンサーつきで興行して銀座に通いなれた観客を獲りに行けばいいじゃないか、と思いますがそれも難しい。歌舞伎座には独自のスポンサー企業がついていて伝統芸能を長年にわたり支え続けているので、そこでの興行にひと月やそこら冠スポンサーがつくというのはあまりフェアなことだとは言えません。

 …と考えると、菊之助のプロデューサーとしての凄みのようなものも理解できます。旧作ゲーム原作では従来のビジネスモデルが通用しないので興行の難易度が高い→冠スポンサーつけよう→歌舞伎座あきらめよう+”『”の位置変えよう…ですよ。
 劇場の決定と冠スポンサー決定の順番と因果関係は不明なので、どちらが先とはいえませんが、大きなプロジェクトを厳しい制約の中で実現したというのが”『”の位置ひとつにも透けて見えています。
 このように考えてみて、菊之助の想いに応えてくれた木下グループに感謝と尊敬の念を抱くとともに、尾上菊之助という凄い人が活躍する時代に歌舞伎を楽しむことができる幸運にも感謝する気持ちになりました。