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歌舞伎で平和を祈ることができるか?

1/29NHK「古典芸能への招待」で「藤戸」が放送されました。
2022年9月の大歌舞伎秀山祭。

【源平合戦の後、領主として備前国藤戸に着任した佐々木盛綱(中村又五郎)の前に、藤波(尾上菊之助)という女性が現れます。1年前の藤戸の合戦で、敵陣へ馬で渡る浅瀬を教えてくれた漁夫を、無情にもその場で殺した盛綱。その女性は、実は漁夫の母でした。】(解説より)
…てなお話。舞踏劇。

佐々木盛綱(鎌倉殿の13人にも一瞬登場)がなぜ漁夫を殺したか?というと、平家への内通を疑ったとかですらなく、源氏側の先陣争いで味方に情報が漏れるのを恐れたから、という最っ低の理由。

母の訴えもあり、盛綱は漁夫供養の念仏を自身で唱えはじめるんですが、魚夫は悪龍となって姿を現します。この悪龍も菊之助。歌舞伎評論家渡辺保先生は本作の劇評で「(原作の)能では盛綱の供養によって、悪竜となった漁師の霊が自ら成仏して弘誓の船に乗るのが味噌だが、そこが不鮮明」と書いてた。

花道近くの席で悪龍が引っ込むまでよく見えたんですが、劇場で観たとき同じことを感じました。確かに苦しそうに暴れながら引っ込むだけで、成仏する感じは全くなくて、スッキリしなかった。下敷きになった能であれば奉納するものなので、漁夫は成仏して話をまとめた方がいいのでしょう。

とはいえこの興行は二世中村吉右衛門一周忌追善公演秀山祭で、確認したところ吉右衛門が創作したこの歌舞伎の初演は広島。となると、吉右衛門がこの演目にこめた思いは明らかです。酷い殺され方をした漁夫が、ちょっと念仏唱えてもらったくらいで成仏するはずがない。吉右衛門は、広島で亡くなられた方々もそれは同じだろうと考えたのでしょう。特に歌舞伎の場合、エンタテインメントなので理不尽な最期を遂げた漁夫への共感をテーマにして当然。広島の原爆の犠牲者へ私達ができることは忘れないことくらいでしょうけれど、なぜ忘れてはいけないのかを教えてくれています。

藤戸に込められたそんな想いを菊之助は正確に掬い取って、成仏しないまま引っ込んだ。ウクライナが蹂躙されている真っ最中に、普通の人達がひたすらひどい目に遭い続けるお話ナウシカ歌舞伎を再演したのも菊之助。さまざまな芸の型と一緒に、吉右衛門の平和への想いをも彼が受けついだのがわかるような瞬間だったと思いますけれども。