ぼくは何者だったのか考えてみた③
結局さ、何者かどうかはどうでも良いのよ、自分が。
でね。誰が読もうが読まなかろうが、それも。
noteを始めた理由はもっと“その先に”ある。
それが少しだけ、ほんの少しだけ見えているからなんだよね。
さ、閑話休題。←それはさておき
前回「SMILE COMPANY」ってバンドを組んだ話をしました。
これが後の、つまり、いまの、
ぼくを作る原点の一つだったことは間違いなくて。
いまのぼくっていうのは、つまり、音楽映像作家を名乗る面での、ね。
当時のEPIC SONYさんに所属するたくさんの邦楽アーティストに
影響を受けた、ということから始まるんだけど、その流れから
特に「小室哲哉」という音楽家を知って、
「TM NETWORK」に興味を持って、バンド組もうよっていう話。
「SMILE COMPANY」は、
ぴあのメン募(はみだし)で見つけた仲間なんだけど、
他の人はフロムAで見て来たって人もいたな。
ま、つまりいまでいうとSNSで繋がるみたいなものだよね。
#TMNETWORK みたいなこと。
ちょっと違うけどまあいっか。
それで集まって来たのが、
Vo.(19女)Gt.(20?男)Dr.(20?男)
B.(21男)Key.(19男)Cho.(17女)と、ぼくGt.(17.男)というメンバー。
いま思うとTMやるのにいろいろ疑問の多い雰囲気であった。
好きで集まったんだから、それはそれはトークは楽しかったよ。
あのライブは観た?だの、あの曲のアレンジは!だの、
サポメンがすごい!とか、TKの機材がうらやましい…とか、ね。
ところが、前回書いたように、楽しいのはミーティング。
おしゃべりであって、いざ練習となると…
自分のことは棚にあげて申し訳ないけれど、
まぁ今思うとバンドとしてはなかなかしんどい演奏力だった。
そもそも女性Vo.って…という疑問はあれど、
(彼女の名誉のために言うけど彼女はまったく悪くないよ。)
Vo.の方には弟のようにかわいがってもらってるし、居心地も良いし。
だけど、キーボードひとりだし、ギターはへたっぴがふたりだったし。
なんだか楽しいのと疑問とが入り混じる煮え切らない感じが少しヤだった。
で、ある日の楽しいミーティングでいつものようにワイワイしてる中、
ぼくはバンドの方向性を左右する発言をした(ような朧気な記憶)。
「渡辺美里」さんの曲やりませんか?
曲、小室さんも書いてるしメンバー編成もこっちの方が合っていませんか?
って。
ザワっとした(ような朧気な記憶)。
そしたらぼくと一緒に加入したもうひとりのGt.の人は、
TMやらないなら抜ける、みたいな話だったのかな。
いつの間にか居なかったのであまり覚えていないけれど。
なんか、やや目的(TMやろうよ)に反する発言だったのだけど、
メンバーもなんとなく同意してくれている部分もあって、
“一旦”みさっちゃんのコピーバンドへの転向は認めてくれた。
TMは改めて状況整えてまたやろう、みたいなヘンな着地だった。
そこから、メンバーがひとり減った「SMILE COMPANY」は
「渡辺美里」の当時デビューアルバム「eyes」から何曲かを選んで、
改めてコピーに勤しむことになっていく。
ここで、最年少のぼくがでしゃばってしまったことで、
いくつかの不具合も出て来たと思っていて。
まず、そもそも最年少なのに「リーダー風」という問題。
バンドの運営方針を着ていく役割を“なんとなく”請け負ってしまった。
そして、そもそもへたっぴギターふたりの内、
さらにへたっぴな方が残っちゃったわけで。
ヘンな言い方で申し訳ないんだけど、
TMよりみさっちゃんの方がギターの役割が際立ってしまう…というピンチ。
そんな個人的苦境に屈することなく、
持ち前のいい加減さを炸裂させて、口八丁手八丁、体裁だけ整える
インチキバンドリーダー(風)が出来上がっていくんだ。
実質、はVo. 音楽的にはKey. 調整役は年長のB. みたいな、ね。
わかるっしょ…??
それでも、バンドは少しずつ成長していて、
みさっちゃん曲を中心にライブも行えるほどに。
ただそのライブの記憶は、
2トラックのシーケンサーを鳴らして「展覧会の絵」を打ち込んで、
ドラムソロに挟んだ、というドラマーのアイディアに
お客さんが唖然とした、という空気感しか覚えていない…。
ほかの場面は、やはりあまり記憶になくて、
やってはみたけどコレじゃない感?がきっとすごかったんだろうな。
とは言え、その後もバンドはライブが大好きで、
メンバーが大好きなもんだから、
それでも相変わらずスタジオ銀の笛には集まっていた。
しかしその頃、同時にTM周りでは「SFロックステーション」なる番組で、
ある企画が盛り上がっていく。そう。FANKS男組。
実はこの時期に我々「SMILE COMPANY」の男性メンバー、
特にB.クボタくんとKey.スマイルさんことタナカくんは、
このラジオをきっかけに
本家TM関係者との交流を深めるきっかけになっていった。
この話はもう少しあとで、また書きます。
ぼくは、と言えば…
このバンドを始めるにあたって聴いていた「小室哲哉」さん、
のルーツから始まって、「渡辺美里」さんに楽曲提供していた、
「大江千里」さんや「岡村靖幸」さん、そしてレコーディングを支えていた「佐橋佳幸」さん「清水信之」さんなどをきっかけに、
その音楽的ルーツを辿るようになっていき、
ようやく、この時期に「洋楽」にきちんと向き合うようになっていくんだ。
さらに続いていく、
「すべてのはじまり」に繋がる1985年~86年の答え合わせ。