「なんでそんなカメラ好き?」
学生時代からの友人に手に入れたSONYのデジタル一眼カメラを見せてその相場を話したら「…なんでそんなカメラ好き?」とちょっと苦笑いしながらストレートに問われてしまった。たしかにな~。「カメラが好きというよりかはカメラで写真を撮ってそれを見るのが好きで……いい写真が撮れたのを見るのが楽しいんだよね」としゃべりつつ、でもだからってこんなにお金かけられる?という意味合いではあったので、そうよなーそこらへんうちの家族もちょっと引いてるもんな……(真顔)と気づいた感じ。
ということでつらつらと「カメラで写真を撮影することが好き」、について書いてみる。
思えば、デジタルカメラが一般的に普及する前から、小学生の頃から写ルンですを手にするとけっこう気ままにシャッターを押していた記憶がある。
一番古い記憶でいうと父が父の友人家族と共にキャンプへ連れて行ってくれたとき。私と同い年くらいかいくらか年少の子どもたちを何気なく撮影していた。たしか私が小学4年生のころだったと思う。
その頃から「はいチーズ!」と撮影する写真ではなく、花火をしている子供を横から勝手に声もかけずにふいに撮影するようなそういうスナップ写真が多かったし、現像された写真を見返して子供ながらに「いい写真だな」と感じた記憶もセットであるので(自画自賛タイプ)、その頃には「写真」や「風景写真」に興味があったと思うし単純に写真というものを見るのが好きだったと思う。
そもそもとにかく、私は「空を眺めること」が、人より少しは好きなのかもしれない。小学生のころに住んでいたアパートの駐車場とそこから開けているパノラマの空も、中学生のころに住んでいた団地まで一人で帰る途中の坂道で見る夕暮れの空も、家のベランダから眺めることが出来た海を見渡せる朝焼けの空も夕焼けの空もとにかく飽きるまで見ていた。幼い頃からわりと私は「空の風景」にふれることが日常的にあって、その日常の折々で「空が綺麗だな」「雲の色が美しいな」と思っていて、そして今もなお常々思っているので、それを切り取っていく「写真を撮る」ということを趣味と捉えて楽しくやっていくのは自然な流れだった。
そして、「スナップ写真を撮る」ということについてはまた別の意味で、やっててよかったなというタイミングがたくさんあったなー、とも振り返ることが出来る。
私には祖母が3人いて、そのうちの1人は私が20代前半のころに亡くなった。祖母は最後の方はずっとひとりぐらしで、私が車の免許を持ってからはたまーにおばや私の母の代わりに病院から家への送迎などをすることがあった。
そのときのある一日の午後に、病院から家にまっすぐ帰るまえに、祖母に私の大好きなドライブコースである海中道路を見せたくなって遠回りして帰ったことがある。
風がとても強い日で、空は曇りだった。ビュンビュン通り過ぎる風に私たちははしゃいで、海へせり出している埋め立てた道の端っこまで歩いて行ってそこで写真を撮った。
出店のパーラーのアイスクリンを、私が買ってあげたのをよく覚えている。風が強いせいかものすごいスピードで溶け出すアイスクリンをいっしょうけんめい2人で食べた。
その時私は運よくデジタルカメラメーカーのコールセンターで働いていて写真とカメラにより一層魅力を感じていたころで、いい味の出るトイカメラにちょっとマニアックなフィルムを入れて撮影したり、写ルンですを持ち歩いたり、初めてローンを組んで買った人生初のデジタルカメラであるOLYMPUS E410でいろいろ遊んでいたので、携帯のカメラではなくそういった手持ちのカメラで写真を撮ることが自然だった。
そのときに写ルンですで撮影した祖母の写真を、祖母の初七日を待つ日々の中で家族や親せきに見せてあげた。
その写真の中の祖母は肌が白くふっくらとしていて、笑顔がとても可愛らしくて楽しそうに笑っていて、おばが「この写真を見せてくれてありがとうね」と言ってくれたことを今でも覚えている。
もう一人の祖母も、私が20代後半のころに亡くなった。施設にいる祖母に母と一緒によく会いに行き、その時も私は何とはなしにデジタル一眼カメラで気軽に写真を撮っていた。
ある日、現像した写真たちを見せてあげようとカメラ屋さんでプリントアウトして持っていったら、祖母は自分が私たちと一緒に写っている写真を見て、「すごく年をとったなぁ」と笑いながら泣いていた。
祖母は人見知りで私たち孫にもあまり距離を近くはしてこなかった人で、祖母と私が2人きりで過ごした時間はあまりなかったけれど、年々涙もろくなっていて、そんな祖母を見て私と母は笑った。
写真の中で見る祖母はどこか母によく似ていた。そして年齢を重ねた今の母は、本当に祖母に似ている瞬間がたくさん見つかる。
祖母の遺影は、私が撮影した写真が使われた。誕生日でもなく、敬老の日でもなく、ただいつものように顔を見せに行った日に撮った1日の写真の祖母が、すごく綺麗にすっきり見えるから、とおばたちが選んでくれた。
後日、同じ写真をプリントアウトしておばたちに渡した。そのうちのひとつは、我が家の写真を並べている棚にある。
今年の冬、家族旅行に出かけようか、という話が持ち上がった。母が70歳を前にパートの仕事を完全に辞めることと、相当大好きでメロメロになっているTravis Japanというアイドルグループのコンサートに一生に一度でいいから行ってみたい…!という相談があって、コンサート開催地へお仕事おつかれさまの旅行をしよう、ということになった。さらには姉と姪も一緒に行けることになったので母は大喜び。私たちも本当に楽しみにして色々計画をたてた。
私は最近ほんとうに、OLYMPUS製のデジタルカメラの故障をきっかけにぜんぜん写真を撮ることから離れてしまっていたのだけど、せっかくだから、と数か月前からうんうんYoutubeやらネットブログやらを参考にしつつ、久しぶりに一眼カメラを買うことにした。
結果、本当に買ってよかった。
さんざん迷ったし、もう少しランクを下げて買いやすいほうにするか?旅行動画を撮影することが主な目的だから手振れに強いほうがいいのか…?と考えたけれども、ローンを組んで(ローンばっか組んでるな私、でもこのローンは中古カメラ専用店で組めた無金利ローンなので大丈夫)(大丈夫とは)レンズもえいやと買って、本当によかったと思う。
買ったのはSONY a6600 、レンズはSONY 単焦点35mm F1.8。そうです中古市場でも10万超えのセットです。
このカメラの撮影練習として友達の家の猫さんを撮影しつつ相場について話している中で、冒頭の「なんでそんなカメラ好き?」のところへつながるというわけです。
なんだろね。でもやっぱり、写真を撮るのは楽しいし、素敵な写真が撮れたな~!て感じるのはもっと楽しい。
そして思い返してこうして文章にしていくと、写真を撮っていてよかったな、という単純な分岐点がぽちぽちと散らばっていてくれる。家族、その周りのひとたち、そういう人たちとのかかわり合いの中では特にそう思っている。
家族旅行の行き先は福岡、たくさん動画を撮影して、わたしのネットするためだけに買ったスペック低めのパソコンに無理やり動画編集ソフトをインストールして編集してDVDに保存して、そしてそれを、いま足を悪くしてしまって家から出かけなくなってしまった祖父とそんな祖父を心配しているもう一人の祖母に見せたときにも、「カメラを買って良かった、撮影をしてよかった」と感じた。福岡で食べたうどん、もつ鍋、いちご大福、そのどれもがおいしそうに映っているし、天気に恵まれた旅行先で楽しそうにしている母や姉、姪を見せることができてよかったし、姪もとっても喜んでくれた。
その父方の祖母が急きょ入院してしまっていた今年の正月に、久しぶりに親戚一同がそろった団らんのようすも撮影して入院中に祖母に見せてもらったら、祖母は泣いてしまったそう。
SONYのカメラで撮影した動画は色味が海外っぽく映るという色調設定も色々参考にしつつ、私はぐりぐりいじって(もういじりかた覚えてないが)室内を撮影すると少し昔っぽい、フィルムカメラで撮影していたような色合いで撮れる設定にして動画を楽しんでます。
私が生まれる前から、もっといえば私の父が中学生のころに建てられたという祖父母の古い家の中は、動画で撮影してもいつだって綺麗にきちんと整頓されていて、そこに昔わたしたち孫が幼く走り回っていた時のように今度は孫の娘・息子たちがわいわい遊んでいて、それが本当に綺麗に撮影できていて、なんか私もすごくうれしかったし感動した。
これからも写真をなんとなく撮っていきたい。やっぱり、いい写真が撮れると嬉しい。
これからもマイペースにぼちぼち撮るぞ(ローンあと少しで終わります)