あれから10年。これから10年。
ご覧いただきありがとうございます😊
鈴木です。
今日の内容、非常に迷いながら言葉を選択して綴っております。もしも気分が悪くなられたり、不快になられたりする方がいらっしゃったら誠に申し訳ございません。
10年の記憶を私なりに綴っておきたいと思い書かせていただきます。
さて私は福島に半分ルーツがあります。
親戚もいます。
(この言葉選びは良くないかもしれませんが...)
幸いなことに、親族の中には大きな被害に遭われた方はおりませんでした。ただ、震災直後は壮絶だったと伺っております。
当時の自分は、
何かしたいのに、何もできない。
呑気に過ごしている自分が悔しい。
そもそも何ができるのかも分からない。
こんなことを思っておりました。
その時、震災の影響を受けている親戚からいただいた言葉が印象的でした。
「こっちは元気にやっているから大丈夫。まぁ大変だけど。もっと大変な人もいるだろうし。だけど自分自身の苦しみと向き合って乗り越えていこうと思うから。だからゆうじくんも、自分の中の苦しみや葛藤と向き合って。それだけで私たちは「私たちのことを考えてくれる人がいる」と思えて、それはありがたいことだから。」
このように言われたことを今でも覚えています。苦しみに蓋をせず、苦しみと向き合っている親戚の姿がとっても印象的でした。
こちらの記事にもまとめておりますが、この時に初めて「あっ、苦しみって人それぞれだよな。『苦しみは、我慢をして見ないようにすること』が美学になっているけど、それは違うよね。ちゃんと向き合って、乗り越えようとしていくことが大事なんだな。」と思ったことを覚えております。
もちろん、向き合った結果、少しでも自分の気持ちが楽になるように『苦しみからの逃避』を選んでも良いし、苦しみと共存しながら癒えていくことを選んでも良い。それも人それぞれ。大切なことは自分と向き合うこと。
向き合う期間や向き合い方も人それぞれ。それで良い。
これまでの10年、「苦しいな」と思った時には、今書いてきたようなことが生きる上での指針になっているなとも感じます。
さて話は震災から数年後に移ります。この目で確かめたいと思い、東北を回ることができました。
中でも印象的だったのが宮城県石巻です。
奇しくも、たまたまそちらに関する記事を今日拝見しました。
当時撮影した写真の一部がこちらです。
街中の至る所にまだまだ傷跡がありました。本当に忘れてはならない記憶です。
当時から「復興の証として」「復興した暁には」といった言葉が踊っていましたが、そのような言葉とのギャップに衝撃を受けたことも覚えております。言葉が軽く使われていることに対してモヤモヤしたことも覚えております。
そして、そのモヤモヤは今でも変わりません。当事者の皆様は尚更だと感じます。
これからの10年、どうなるでしょうか
少なくとも形式的な復興だけは避けていただきたいところです。当時は黙って見る・現状を知るといったことしかできませんでしたが、今ならもう少しできることも増えているのではないかと思います。
少しでもこのモヤモヤが晴れるように、そうなる未来を願って今日のnoteを書かせていただきました。
これから10年、みんなで「復興したね!」と心から言える未来が待ち受けていることを願います。
本日もご覧いただきありがとうございます😊
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